
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
フォルクスワーゲン・ジェッタをご存じか? 無印で良品という表現は、それ自体がどこかの商品名らしいので使わないが、目立たぬスグレモノであることは確かであり、また、アウディにおける某氏のような声高なコメンテーター(注1)を持っていない点も好ましい。
思えば、俺はかくなる故にこの車種を選ぶ!とか書かれるのは、クルマにとってもかなり迷惑なことである。そんなことに惑わされるのが、まさに情報化社会の情報ドレイであることの証明なのだが、しかしクルマという商品は、好むと好まざるとに関わらず、そういう“情報含み”の商品になってしまった。それはもう、個人の反発やあがきを超えており、クルマも既にハードのみで自立してはいない。
「サンローランは五木ひろしがツブしたから、今度は俺がイッセー・ミヤケを着てやるんだ」と、数年前に言ったビートたけし(注2)は、やはり鋭い。ツブすとは大衆化ということであり、たけし流のデモクラシー宣言という含みとともに、自身の“成り上がり”ぶりを自己批評し、さらに、ソフトウェアが商品価値そのものだという時代相をも、同時に射ていた。
この発言は、予言としても見事なもので、事実として、つい昨日まで、われわれはすべてをツブしまくってきたといって過言ではない。(プリンセス・ダイアナのディナー・メニューを見て、オレの飲んでる酒と変わらねぇ……と言った奴がいる)
痛快なほどの民主化の嵐の、その風速が弱まったのは、ここ一年くらいだろうか。戦後の焼け跡のような(?)フラットな商品の地平に、揺り戻し的な保守反動の風が吹き始めた。インかアウトかの「ネオ・サベツ主義」の台頭である。いわゆるお嬢様現象にしたって、明らかにこの流れの中にある。
また「渋い」という言い方も、このネオ・サベツ主義をひとひねりした土壌の産物であろう。民主化(平準化)のあとの、差異を見つけるためのキーワードだからだ。使い方次第では、極めてイヤミにもなる“武器”だから、取り扱い注意の語でもある。(いま一番むずかしいのは、商品選択=何を買うかだ、ほんとだぜ!)
仕立ての良い、ケレン味のないデザインだが、しかしブランド誇示の胸マークなどは決して付けない。しかし、良い品という意味でのブランド商品であり、そのプレーンさによって、知ってるヒトは知ってるけれど、知らないヒトはまるで知らない、そんな白無地のシャツ……。こういう製品がファッションにおいて実在するかどうかは定かではないが、VWジェッタ──ゴルフでもサンタナでもないジェッタは、おそらくそのような位置にいる。
流行現象からは巧みに離れ、新しモノ探しのカタカナ職業人の魔手からも逃れ、デザイナーズ・ブランド風のケバさもなく、成り金からは(安価だから)無視され……。VWはいま、そのような好ましいブランドであるが、その中でもジェッタは、お目立ちヤング版でもなく、お買い得ですよKDバージョンでもない、程よきマイナーである。
この7月からラインナップに加わった、ゴルフGTIと同じエンジンを積む「GT」に試乗したが、これがまた、いかにもジェッタ的なというか、そんな渋い速さを持ったクルマであった。なるほど、太いトルクをいつでも吐き出すエンジンとは、このような走りを生むのか。
回して乗ることもむろん得意な、よく吹けるエンジンなのだが、それよりも、徹底したフラットトルク設定にむしろ感心する。スポーツカーとGTとは違うものなのだと、ヨーロッパ人に諭されているような気さえしたが、しかし、そんな定義論や史観よりも、「渋い」かどうかなんてことの方が重要な市場だというのは、これも“成熟”なんだろうな。
ともかく、クルマ選びに雑音が多すぎる昨今、ジェッタの選択というのは、なかなか毅然たるものがあると思う。なぜジェッタかなどは語らず、乗るべし。
(1986/07/02)
○単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
フォルクスワーゲン・ジェッタGT(86年~ )
◆トルク型エンジン、そのパワーに対してたっぷりと余力のある足、軽快な運動性、シンプル・パッケージ。ジェッタGTは魅力的だったし、自身でもジェッタCLDには乗ったが、このGTはついに買わなかった。ひとつは、右ハンドル仕様がないこと。そして、高価なことである。VWのラインナップの中で追っていくと、まァこんな値段になるのかなとも思うが、その値段をまず口に出してみて、それでどんなクルマが買えるのかと車名/仕様を挙げてみると、このGTはものすごく高い!
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○2014年時点での注釈
注1:このコメンテーターは、自身が大学生の頃に「なんとなく、クリスタル」(通称なんクリ)なる小説でメディアに登場した作家・田中康夫。当時の彼は、アウディという(まだ目立たなかった)ブランドを、これこそスグレモノであるとして絶賛していた。
注2:今日の読者にとっては「ビートたけし=北野武」であり、むしろ「北野武」が何かのブランドを着るなら、そのことの方が(ポジティブな意味で)ニュースになるのかもしれない。しかし、当時の「たけし」は、あくまでも「ツービート」の片割れという立場の一漫才師。「北野武」という映画監督が出現するのは、このコラムから数年後の1989年、「その男、凶暴につき」公開以後のこと。80年代半ばのこの時点で、ビートたけしが後に「世界の北野」になるというストーリーは(おそらくは本人も含めて)誰も想像していなかったはずだ。
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80年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2014/06/22 13:25:32