
“環七劇場”で目の前を走り去る自動車を追い、友人と一緒にカー雑誌を見ていた10~12歳の少年(私)は、その頃、どんなクルマが「好き」だったか。その記憶を探って、思わず苦笑してしまった。何ともコドモらしくない(笑)チョイスがよみがえったからである。
50年代末から60年代初頭、ニッポン庶民の少年が選んだ(ひそかな)アイドル車種は、華麗なテールフィンのアメリカ車でもなく、俊敏そうな欧州のスポーツカーでもなく、平凡なフォルクスワーゲンだった。もちろん、当時のVWは一車種しかない。そう、あの“カブトムシ”(タイプ1)である。
なぜ、少年がそんなクルマに着目したかというと、これには一応の理由があった。それはフォルクスワーゲンのエンジンが「空冷」であったことだ。おそらくカー雑誌のコドモにもわかる部分の断片を記憶し、それらを繋ぎ合わせて“ストーリー”を作ったのだろう。では、なぜ「空冷」を良しとしたのか?
いわく、自動車のエンジンは、その冷却の方法で大きく分けて二種があり、それが水冷と空冷である。そして、そのうちの水冷方式は、ラジエターなる部品を伴う(らしい)。しかし、雑誌記事によれば、そのラジエターは水漏れなどでしばしばトラブルを起こしていた。そしてその部品の状態如何では、クルマは走行不能になってしまうこともあるという。そういえば、雑誌のオーナー座談会でも、ラジエター関連のトラブルは頻繁に話題に上っていた。それならいっそ、そんな部品などない方がいいのではないか?
では、エンジンが水冷ではない車種にはどんなものがある? こうして、西独製(当時は東西二つのドイツがあった)の“無骨な鉄のハコ”が浮上したのだった。デザインについても、オリジナル・ビートルのあの格好が不細工であるとは露ほども思わなかったから、フォルクスワーゲンはそのまま、少年の“仮想愛車”となった。もっとも、車名の「国民のクルマ」という言葉とその意味はよくわからず、また、アドルフ・ヒトラーとの関わりについても、何も知らないままだったが。
そしてこのとき、「空冷こそ良し」という考え方を裏から支えていた史実があった。第二次大戦での戦闘機でも、水冷(液冷)であったのは三式の「飛燕」だけであり、「零戦」も「疾風」も空冷であったことだ。少年はべつに「飛燕」のファンでもなかったので、「ゼロ」だってそうなんだから……と、よくわからないままに、自分の中で“空冷信仰”を補強するための材料に使っていた。
(例の「水冷のラジエターだって、最終的には空気で冷やしてんだろ。じゃあ、最初っからエンジンを空冷にすればいいじゃないか!」という“本田宗一郎理論”は、この50年代末時点では、まだ世に出ていなかったのではないかと思う。後年、このポジティブ極まる空冷讃歌を知った時には、私はちょっと感動した……)
*
そしてフォルクスワーゲンでは、もうひとつ重要なことがあった。それは価格である。雑誌で見ている限り、フォルクスワーゲンには中古車の売り物が数多くあり、具体的な金額は正確には覚えていないので記さないが、中古車販売の広告であれ読者同士の売買であれ、このクルマだけは売り物リスト中に、いつもその名前があった。そしてその価格は、ときに他車で見られた、少年が夢見ることさえも拒絶しているような天文学的数字ではなかった。
もちろん「空冷」がいいとしても、それは雑誌から得ただけの知識であり、たとえば“水の上着”(ウォーター・ジャケット)を着ていないエンジンが発する音の問題、冷却効率の低さ、さらにはヒーターの効きが水冷には及ばないなど、実用上の空冷エンジンの特徴(欠点か)を知っていたわけではない。
……というわけで、空冷エンジンのフォルクスワーゲンは、少年のひそかなアイドル車種になったのだが、ただ“環七劇場”を一緒に見ていた友人たちには、この件は語らなかったような気がする。たぶん、「なぜワーゲンか」ということを、友だちにはうまく説明できないと直感したのだろう。また、壊れにくい(らしい)から、空冷のあのクルマが好きなんだ……という、あまりコドモらしくない(?)理由を友に語るのも、何となく気恥ずかしかったのではないか。
そしてもちろん、フォルクスワーゲンが他車と較べれば「安価」であったとしても、それを(将来においても)買えるとか自分で使えるとか、そんな風に思っていたわけではなかった。もしも、自分の手許でクルマを使うようなことが起こったなら、その場合はラジエターのない自動車が条件になりそうだなと、ボンヤリと、今日の言葉で言うシミュレーション(?)をしていただけである。
*
さて、この「空冷主義」の後日談だが、これはとくにない。結局、私は“カブトムシ”を買うことはなかったし、VW以外の空冷モデルの何かを購入して、それと生活をともにすることもなかった。
理由のひとつとして、自身でクルマを買えそうになった70年代半ば頃では、ラジエターに起因する自動車のメカニカル・トラブルは、ほぼなくなっていたことがある。冷却方式の違いが車種選びの指針になることは、最早なかった。またその頃には、ワーゲンよりもさらに安価で、そしてもっとおもしろそうな日本製のクルマが多数出現していた。
ただ、私なりの「空冷体験」はある。それは60年代後半の学生時代、友人から紹介されたアルバイトだった。その仕事で、取引先に届け物をする際の“足”が空冷エンジンの「ホンダN360」だったのだ。このクルマではかなりの距離を走ったが、当時は較べる術もなかったので、エンジンの騒音にしてもヒーターの効きにしても、何にも気づくことはなかった。そしてこのバイトは、独りでクルマを動かせる時間があるということが、ただただ嬉しかった。
そういえば後年に『アパートの鍵貸します』という1950年代製作のアメリカ映画を(レンタルDVDで)観ていた時、登場人物の台詞に、ホテル代わりに使うには「あのクルマは狭いし、それに寒い……」というのがあって笑った。車名そのものは映画では語られないが、画面にはしっかり車体の全体が映る。その“寒いクルマ”とは空冷フォルクスワーゲン(カブトムシ)であり、当時のアメリカでは、こうして映画でのギャグに使えるくらいにはVW車が売れていたことが窺える。
そして、たとえヒーターが効かずに寒くても、また、豊かなアメリカであっても、“その種の用途”に迫られれば、どんな自動車であっても人はそれを使う。そんなオトナの事情も、この映画によって知った。そして、オトナになってからこの映画を見てよかったなとも思った。そもそもアパートの自室を、会社の上司に媚びるためにホテル代わりに差し出すというこの映画の基本設定が、コドモには理解できなかったはずだからだ。映画によっては一回だけでなく、時間をおいて何度か観た方がいいというものがある。ビリー・ワイルダーによる、この映画の緻密なシナリオを楽しみながら、こんなことも思っていた。
(タイトルフォトは、トヨタ博物館にて撮影)
ブログ一覧 |
Car エッセイ | 日記
Posted at
2015/01/13 05:55:15