
○1961年
トヨタ・パブリカと日野コンテッサがデビューした1961年。
アメリカ大統領にジョン・F・ケネディが就任。「国家があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを自らに問うてほしい」と演説。ソ連の有人ロケットで初めて地球を宇宙空間から見たガガーリン少佐は「地球は青かった」と証言。ヨーロッパではベルリンで、東ドイツ側が西ベルリンへの通路を有刺鉄線で封鎖後、壁を建てて強化。東西を隔てる「ベルリンの壁」が出現した。
女子バレーボールの日紡貝塚チームはヨーロッパに遠征、24戦して無敗。現地で「東洋の魔女」と呼ばれた。相撲では、柏戸と大鵬が同時に横綱に昇進し「柏鵬時代」へ。この年に大鵬が3勝、日本シリーズでは巨人が南海ホークスを撃破。子どもたち(=みんな)が好きなもの、「巨人、大鵬、玉子焼き」の語源となる。
TV受像器の普及は、この年、60%を突破。白黒テレビは14インチで4万円台に。NHK朝の連続テレビ小説が始まり、第一作は「娘と私」。「みんなのうた」もスタート。音楽バラエティ「夢であいましょう」は「遠くへ行きたい」「上を向いて歩こう」などヒット曲を生み、日テレの「シャボン玉ホリデー」では、ザ・ピーナッツとクレージー・キャッツが大活躍。ヒットドラマは「特別機動捜査隊」「七人の刑事」、米国ドラマでは「アンタッチャブル」。
邦画は「用心棒」「大学の若大将」「あいつと私」「モスラ」「悪名」、そして「小早川家の秋」(小津安二郎)。洋画は「ウエストサイド物語」「荒野の七人」「ナバロンの要塞」「ティファニーで朝食を」「ハスラー」、トリュフォーとジャンヌ・モローの「突然炎のごとく」。
国内のヒット曲は「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)「硝子のジョニー」(アイ・ジョージ)「銀座の恋の物語」(石原裕次郎・牧村旬子)「おひまなら来てね」(五月みどり)「コーヒー・ルンバ」(西田佐知子)「スーダラ節」(植木等)「北帰行」(小林旭)「ラストダンスは私に」(越路吹雪)「ルイジアナ・ママ」(飯田久彦)。レコード大賞はフランク永井の「君恋し」。
アメリカのヒット曲は、「悲しき街角」(デル・シャノン)「ライオンは寝ている」(ザ・トーケンズ)「悲しい恋の物語(浮気なスー)」(ディオン)。そして「スタンド・バイ・ミー」(ベン・E・キング)「好きにならずにいられない」(エルビス・プレスリー)など。
ビートルズのジョン、ポール、ジョージはハンブルグで、トニー・シェリダン(ボーカル)のバックバンドで「マイ・ボニー」をレコーディング。彼らを世に出すマネジャー、ブライアン・エプスタインとは、この年にリバプールで出会った。
ファッションでの注目は「ホンコン・シャツ」。ネクタイを締めることができる半袖のワイシャツ。開襟+半袖はあったが、半袖でフォーマルOKというシャツはそれまでなかった。そして、「40年間お待たせしました」と「アンネ・ナプキン」が登場、“あの日”が変わったと圧倒的に受け入れられる。縫い目のラインを気にしなくていい「シームレス」のストッキングとともに、日本の女性を“解放”した二つのアイテムがこの年に出現した。
カメラでは「キャノネット」が新登場。シャッター優先の露出計が内蔵されたカメラで、誰もが失敗なく写真を撮れるという方向への第一歩に。そして、飲み物が多様になった。コーラの輸入が自由化され、街にコカ・コーラが進出開始。紅茶にティーバッグが登場、コーヒーに入れる粉状ミルクの「クリープ」もこの年にデビュー。
出版物での注目は、「英語に強くなる本」(岩田一男)「何でも見てやろう」(小田実)「砂の器」(松本清張)「国民百科事典」(平凡社編)。「現代子供気質」(阿倍進)からは“現代っ子”という流行語が生まれた。
物価は、封書10円、ハガキが5円。そばが40円でラーメン50円、週刊誌は40円。そしてこの年、東京の街からゴミ箱が消えた。家庭ゴミは決まった日に回収されるという、今日にまで至るシステムへ。この件と英語学習のブームは、多数の外国人が来訪するであろう東京オリンピックの開催(1964年)とつながっている。
この年、故人となったのは、俳優・赤木圭一郎、俳優ゲーリー・クーパー、心理学者カール・グスタフ・ユング、作家アーネスト・ヘミングウェー。
二輪の世界GPでは、常勝を誇っていたイタリアのMVアグスタが、ホンダに勝てなくなって(?)突如ワークス活動を中止。小排気量クラスではホンダの独壇場となり、ドイツ・グランプリの250ccでは、高橋国光選手が日本人ライダーとして初めて世界GPで勝利した。
(タイトルフォトはパブリカ初代、トヨタ博物館にて)
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クルマ史探索file | 日記
Posted at
2016/02/16 13:22:29