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2016年02月20日

【クルマ史を愉しむ】vol.08 『自動車の世紀』を読む 《01》

【クルマ史を愉しむ】vol.08 『自動車の世紀』を読む 《01》 (このシリーズは、折口透さんの名著『自動車の世紀』(岩波新書)を参考に──というよりたっぷり引用させていただき、クルマ史のさまざまなシーンを愉しみます)

○クルマの草創期
1885年の秋、カール・ベンツは三輪自動車を完成。ただ、ドイツでは自動車誕生の年を「1886年」としている。ベンツが三輪自動車の特許を申請した年、そして、ゴットリープ・ダイムラーのモトールワーゲン(四輪)の完成の年が、ともに「1886年」だったから。つまり、この二人に一緒に花束を贈りたかったからではないかと著者は記す。フランスでは、1994年を自動車100年の年としている。これは、1894年にル・マンの街を四輪車が走ったとされているからだが、しかし、これには異説がある。

想像するに、19世紀末もしくは20世紀初頭の西ヨーロッパでは、馬が引いていないのに動く新種の“馬車”が、特定の誰かが作ったというのではなく各地に存在した。その頃の科学と手工業が、一種の時代の必然として、この種の新しいものの発見と具体化に動いていたのだろう。著者によれば、19世紀末から今日まで、「発明家」が手がけた自動車の数は3000あるいは4000であるという。

○内燃機関
なぜドイツで、自動車が生まれたか? 内燃機関は、蒸気機関の延長上にある発明。蒸気機関は効率を上げるためには大型化が必要で、つまり、巨大資本があることが前提。しかし、これは当時後発国であったドイツには無理だった。また、蒸気機関には「水」が要る。だが、当時のドイツの都市には上下水道がなかった。水が豊かではない地域(ドイツ)にとっての、水に頼らない定置用の原動機が必要で、それゆえの内燃機関だった。

○オットー・サイクル
1863:ニコラウス・アウグスト・オットー、燃料にアルコールを用いた4ストロークエンジンの研究を開始し、1876年に試作品が完成。
1872:オットーのドイッツ・ガス・モーター製造会社の工場長に、ゴットリープ・ダイムラー。設計主任がヴィルヘルム・マイバッハ。
1878:“オットー式静粛エンジン”市販開始。
1882:ダイムラーとマイバッハ、ドイッツ社を離れる。
オットーの特許は、1886年に消滅した。

○ベンツとダイムラー
1879:カール・ベンツ、2ストローク定置用ガソリンエンジン完成。その後改良、マグネトー点火となる。
ゴットリーブ・ダイムラーはシュツットガルト、カール・ベンツはマンハイム。直線距離でおよそ100kmの距離。しかし、互いに気づかず。ほぼ同時期にガソリン自動車を完成させた。
「ドイツ」が統一され、ドイツ帝国となったのは1871年だった。

○ジョーク
19世紀末のヨーロッパのジョーク。新規技術は「ドイツが発明し、フランスがそれを開発し、イギリスがそれで儲ける」──。ただクルマの場合は、実際には自動車で大儲けしたのはアメリカだった。

○初のロードテストと交通違反
1888:ベルタ・ベンツ、夫カールの作ったベンツ1号車で、マンハイムからフォルツハイムまでの約100kmをドライブ。
このベンツ車の最高速は13km/h、このドライブの平均速度は10km/h弱と推定される。当時の最も進歩した駅馬車と同レベルの速度だった。

そして、実際にハンドルを握っていたのはベルタ夫人ではなく、主に15歳の長男オイゲンだったという。ただし1887年時点で、ドイツでは「自動車」で公道を走ることは禁止されていた。この“ベルタの冒険”は、クルマ史での初のロードテストであり、そして最初の交通違反だった。

1893:公道上の自動車の走行禁止を解除。制限速度は、広い直線路で11.3km/h(7マイル)、市街地では5.6km/h(3.5マイル)。

イメージ作りも巧みな21世紀のメルセデス・ベンツは、同社の「完全自動運転車」初の公道走行に、このベルタ夫人がたどったと同じコースで、自動運転のテスト走行を行なったことを全世界に発表した。

○開発したのはフランス
エンジンだけでなくクルマの全体、「自動車」を開発することで先行したのはフランスだった。その主役のひとりがパナール・エ・ルヴァッソール、前身は木工機械の製造ペラン社。
1885:ドイツのゴットリープ・ダイムラー、高速ガソリンエンジンの特許を取得。
1886:ダイムラー、フランスでの製造権をパリの代理人サラザンに与える。

ダイムラーは、自動車よりも自分のエンジンを普及させたかった。「スリー・ポインテッド・スター」とは、陸(バス、トラック)海(モーターボート)空(飛行船)のこと。これらの三分野で、ダイムラー・エンジンを実用化したい。

そのサラザンは、資金も設備もなかったので、友人のパナール・エ・ルヴァッソールに、エンジンの製造を依頼。しかし、サラザン自身は不治の病にかかり、妻に遺言した。「ダイムラーとの仕事の関係は大事にせよ。自動車は、現在想像もできないような明るい未来を持っている」

○女性による長距離ドライブ
夫の死後、サラザン夫人は自らダイムラー社の本社に出向き、パリにおける代理権を確認。ダイムラー車を運転して、帰途についた。ドイツのカンシュタットからパリまでの長距離ドライブ。独仏国境を越えてフランス税関で、“馬なし馬車”を初めて見た税関吏と一悶着あったが、たまたま居合わせた政府高官の騎士道精神で入国し、パリへ戻った。
その後、彼女はパナール・エ・ルヴァッソールと結婚。

○市販車の開発
自動車の開発は、まず、パナール・エ・ルヴァッソールによって始められ、同社からダイムラー・エンジンの供給を受けたプジョー社がそれに続いた。この二つの会社は、ともに1891年から製品の販売を開始した。

(つづく)
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Posted at 2016/02/20 12:17:18

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