
「おもしろいレース」というのを、とりあえず、誰が勝つのかわからない、出場車がダンゴ状態になってメインスタンド前に還ってくるようなレースとすると、そういうレースを創り出すというのは相当にむずかしい。……というより、ほとんど至難のワザだ。
F1のように、基本(フォーミュラ)だけ決めておいて、あとは割りと自由にやれ!……ということにすると、ご存じのような事態に陥る。たとえば1992年のF1シーンは、ハイテクを導入してきちんと消化し得たチームとそうでないチームの間で、極端な差が生じた。鈴鹿の日本グランプリでは、一周してきただけで、マンセル/ウイリアムズがほとんどストレート一本分の差を他チームにつけるという違いを見せつけた衝撃は、記憶に新しいところだ。
じゃあ、道具を同じものに揃えて、レースをしよう。これが一車種しか出場しない、いわゆるワンメイク・レースである。ただ、こうすればダンゴ状態になってのレースになるかというと、なかなかそうはならない。不法改造などのレギュレーション違反は一切ないとしても、レース展開はすぐにバラけてしまう。
なぜなら、ハード(道具)が同じだからこそ、レース屋さんはソフト(運用)の方を頑張るからで、許された範囲でのモディファイを続け、セッティングなどの面で差をつけようとする。(もうひとつ、現実に行なわれている多くのワンメイク・レースは、参加ドライバーのスキル=力量が揃っていないため、各車/各ドライバーが“それぞれの速度”で走る。つまりバラけた展開になることが多い)
むしろ、何でもアリ!……というレギュレーションの方が、結果としてはレベルが揃ってダンゴに近くなる。フシギだが、こういう逆説がレース界にはある。日本のF3000レースがいま、それに近いかもしれない。
そして、セッティングなどのそういうチャレンジングなことを一切やってはいけないとすると、レベルだけは揃うかもしれないが、これは最早「レース」ではない。そういうレース(レギュレーション)には、誰も参加しないであろうし、それがレース屋の性(サガ)というものでもある。
……そう、このへんで、エントラント(参加者)と観客との立場の違いが出て来てしまう。人は勝ちたいからレースに出る、一方、人はバトルを見物しに闘技場(サーキット)へ出向く。この二者の折り合いを、どうやってつくるか。
しかし、観客も熱狂し、エントラントも激しくシノギを削る、極めてヒートアップしたレースが、ドイツでは行なわれているらしい? こういう噂が伝わり始めたのが、数年ほど前からだった。30台以上のクルマが一団となってコーナーへなだれ込み、競り合って、時には押し出されたりする。そして、そのダンゴ状態のバトルがチェッカーフラッグまで続くという。それが「DTM」という名のレース、ドイツ・ツーリングカー選手権である。
その名の通りに、参加車両は年間5000台以上の量産車(=グループA)をベースに改造されたツーリングカーによるレースで、メルセデス・ベンツ190E2.5、BMW/M3、アウディV8クワトロ、さらにフォード・マスタングGTというのが1992年シーズンのメンバーシップであった。(オペルは、この年は休止していた)
このようなさまざまな機種が、なぜ、前述のような“くっつき合い”のバトルを演じるかというと、それは巧妙なレギュレーションの設定と、各エントラント間の密接な協力の故であるという。メーカー、チーム、ドライバー、タイヤ・メーカーからスポンサーまで、DTMはこれらの協議機関(IRTという)を設けて、レースをどう盛り上げるかを検討するのだ。
ここでいう「盛り上げる」とは、観客やTV視聴者にとって「レース」はどうあればいいかということ。このような思想で貫かれたDTMの象徴的なエピソードがひとつある。それは、勝ったチームの側から、「ウチはタイヤ幅を(いまより)狭くしてもいいですよ」とか「他チームのウイングを、もっと大きくしてもいい」といった提案が行なわれることだ。
要するに、勝利者が自らに対してハンディキャップを課すことを認める。勝ちたくないチームなんてどこにもないはずだが、“ツバぜり合い”というレースの魅力を提供し続けるためなら、あえて自分が遅くなることも許容するのだ。これはなかなか凄いことだと思う。
(つづく) ── data by dr. shinji hayashi
(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
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2016/03/13 12:00:43