2016年06月03日
“その後”について ~ 1987年以降の日本のクルマ 《2》
1987年のコラムで、当時の「新潮流」を象徴するクルマの二番目に挙げられていたのは、トヨタのカローラ・シリーズでした。そのコラムは「恐ろしいほどのレベルに底上げされたニッポンの中流的日常」という背景が、まずあること。そして、「そのような国で売られるべき『大衆車』」はこうなるしかないのではと、改めてカローラに注目しています。「誰でも(どれ買っても)4バルブ、中・高級車と見まごう仕上げとフィニッシュ。もはや『大衆車』であるのはサイズだけである」と──。
このような強力な「クォリティ」への意志。そして、メカニズムをケチらないというか、コンパクト・クラスであっても、必要なら最新のエクィップメントをためらわずに投入する。これはカローラに限らないことですが、欧州車の習慣とは異なる、日本のクルマの一大特色であろうと思います。
言い換えると、日本のクルマでは、上級車と下級車の区別があまりないんですね。……というか、「下級車」とは、さっき作ったばかりの造語ですが(笑)クルマにおいて、そうした「下級」という概念がそもそも無いのではないか。われらが軽自動車にしても、国内最小サイズでありながら、たとえばパワーウインドーは普通に付いていますよね。また欧州車なら、そのセグメントではATの設定はありませんので……とか、そういうケースがありますが、日本の「軽」ではそうしたクルマの作り方/売り方はしません。
“一億総中流社会”といった言葉が生まれたのは、たぶん1980年代だったと思います、そうした「階級レス社会」に暮らす人々がクルマを使い、またクルマを作って(開発して)いる。そうなれば、当然、クルマにおける「階級差」なんてものは希薄になりますね。だから日本のクルマ(とくに高級車)はダメなんだ!とお怒りの識者は時におられますが、でも私は、そこに日本と日本車の特色を見たい。クラウンとカローラが、こと「クォリティ」では大して変わらない? もし、そんなことがあるのなら、そのことの方が“おもしろい”ことなのではないか。(「格差社会」という言葉が生まれたのは、21世紀になってからですね)
ただ、カローラというモデルは、この1987年に、いきなり「クラスレス・クォリティ」なコンパクト・カーになったわけではありません。思い出してみれば、このクルマはその誕生当時から、小さいクルマであることは認めるが、しかし、何かを諦めたりガマンしたりするようなことは絶対にしない! そんな主張をずっとしてきたのではないか。
では、なぜメーカーは、カローラをそういうキャラにしたのでしょう? これは、空冷2気筒のエンジンなど、ハード的にもいわば「大衆的」に作ったパブリカ(1961年)が空振りに終わったこととも関係がありそうです。ただ、1961年と1966年(カローラのデビュー年)では、同じような車両価格「40万円」であっても、それを受け止める庶民の感覚とフトコロ具合は異なっていた。パブリカが売れなくてカローラが売れたのは、単にそういう理由だったのかもしれませんが。
ちなみに国家公務員・大卒の初任給は、1960年が1万0800円、1966年は2万3300円でした。「40万円」が月給のおよそ4年分にあたるか、それとも2年分に満たない約1・7年分なのか。まあ、こうして計算してみると、1960~62年頃に、庶民各位に「40万円」の買い物をしろというのが、そもそもムリだったのかもしれませんね。こうした物価方面で、もうひとつ余計なことを記せば、この同時期、フェンダー・ギターのストラトキャスター(電気ギター)、そのアメリカ製の新品は銀座のY楽器で25万円でありました。
さて、それはともかく、簡素だったパブリカはウケなかったと判断したメーカーは、1966年に「新コンパクト」をデビューさせる際に、見た目の立派さにもこだわり、装備はケチらないという“まとめ方”にします。そして、ライバル車となったサニーは、いわば簡素なクルマというイメージで、実際にも内装はそのようなものでした。さらにエンジンの容量が「プラス100cc」であったカローラは、宣伝などでその点も強調します。
日本クルマ史で、1966年を「大衆車元年」とする。このことについては、おそらくどこからも異議は出ないと思いますが、この年は実は、コンパクト・サイズながらも「大衆的」に非ず……という世界的にも稀なモデルのデビュー・イヤーでもあったのですね。
しかし、幸か不幸か「大衆車」という言葉と一緒に世に出てしまったため、カローラはその「クォリティ」性になかなか気づいてもらえませんでした。この「1987年カローラ」、つまりE9♯型に至って、鈍感なコラム・ライターでも(笑)ようやくその「質」を感じ取れた。そういうことであったわけです。
ただ、繰り返しにはなりますが、カローラは一つの突出した例であり、基本的にクォリティ志向、サイズには囚われない、たとえセグメントが「下」であっても諦めずに上質をめざす。これらは、日本のクルマが抱えている特質であり、それはまた、好ましい個性であるとも思います。
「階級」や「クラス」があることによって、クルマというものがおもしろくなるのだ──。そういう社会やそうした状況は、確かにあるのかもしれませんが、一方、「クラスレス」な社会とそこで生きる人々が作る(ヨーロッパ的ではない)クルマの存在理由というのも、やっぱりあると考えます。
こうして、ある面ではカローラを“旗手”として「1987年」まで突き進んできた日本のクルマは、その後も(ヨーロッパ的な)前例に囚われることなく、とくに1990年代になってからは、ニッポン独自の「状況」を切り拓いていくことになります。
(つづく)
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2016/06/03 20:07:33
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