"《「純粋なバカ」と批判も》ヒロシ 焚き火台メーカーが誹謗中傷で被害届提出…トラブル悪化もダンマリで疑問の声続々"
こんな記事を見かけました。
最初にお断りしておきますが、LINEの全内容や契約書の原文、実際の設計・試作の経緯を見ているわけではありませんので、どちらが法的に正しいのかを判断するつもりはありません。以下は、現時点で公表されている双方の主張を読んだうえでの、あくまで個人的な感想です。
そのうえで言うと、現時点で報道されている内容だけを見る限り、「ヒロシさんが完全な被害者」という捉え方には、私はかなり無理があるように感じています。
報道によれば、ヒロシさん側は「自分が作りたい具体的な形」を提示し、メーカー側がそれをもとに約3か月かけて企画・設計・試作を行った。一方、メーカー側は「作りたいコンセプトはもらったが、構造やデザインは自分たちで考案した」と主張しているようです。
ここで私が気になるのは、「アイデアを出した」という言葉の意味です。
仮に、
「こういうコンセプトの焚き火台を作りたい」
「こういう焚き火台があったらいいな」
という要求や願望を依頼者が伝え、それを受けてメーカー側が構造を考え、設計し、図面を起こし、試作して製品として成立させたのであれば、
「最初にこういうものが欲しいと言った」=「完成した製品についての知的財産権を持つ」
とはならないはずです。
もちろん、依頼者が具体的な技術的構成を自ら考案していたり、具体的なデザインを創作していたりして、それをメーカーが製品化したのであれば話は変わります。
また、開発開始時点で「開発によって生じる知的財産権を依頼者に帰属させる」といった合意が成立していたのであれば、それも当然、その合意に従って考えるべきでしょう。
しかし、そうした合意がなかったのであれば、「アイデアを出した人だから、当然その成果物の知的財産権も自分のもの」という考え方には、私は違和感があります。
特許について考えると、この違いはかなり明確です。特許法でいう「発明」は、単なる願望や思いつきではなく、自然法則を利用した技術的思想の創作です。そして、特許を受ける権利は、原則としてその発明を創作した「発明者」に原始的に帰属します。その権利は譲渡することができます。つまり、「誰かがこういうものを作ってほしい」と言っただけで、その人が発明者になるわけではありません。
例えば、
「もっと燃焼効率がよくて、持ち運びやすい焚き火台が欲しい」
という課題を提示した人がいたとします。それを受けてメーカーの技術者が、
「では、こういう部材をこの形状にして、このように配置し、この構造にすれば、その課題を解決できる」
と考え、技術的な構成を創作し、設計し、試作して完成させた。
この場合、「こういうものが欲しい」と言った人と、その技術的解決手段を創作した人は、同じではありません。特許を受ける権利が誰に帰属するかという問題では、まず「誰が発明者なのか」が重要になります。もちろん、発明者が個人であっても、職務発明として会社に権利を取得させる契約や勤務規程があれば、会社が権利を取得することはあります。また、発明者から第三者へ権利を譲渡することもできます。
だからこそ、開発を依頼する側と受託する側が、あらかじめ「誰がどの権利を持つのか」を契約で決めておくことが重要です。
意匠権についても、基本的な考え方は同じです。意匠については、その意匠の創作をした者に意匠登録を受ける権利があります。特許庁の資料でも、単に課題を指示・示唆した者や、アイデアを提示しただけの者は、意匠の創作に実質的に関与した「創作者」とは区別されています。もちろん、誰が具体的にどこまで創作に関与したのかによって判断は変わります。
しかし、「こういう形のものが欲しい」と言ったことだけをもって、その製品の意匠を創作したことになるわけではありません。
著作権についても同様です。著作権が原則として保護するのは「アイデア」そのものではなく、それが具体的な表現として創作されたものです。文化庁も、アイデアなど表現されていないものは著作物から除かれると説明しています。もちろん、アイデアを説明した文章や、創作性のある図面・デザインなど、具体的な「表現」には著作権が成立する場合があります。
ですから、
「私はこういうものが欲しいと言った」、「私はこういう製品を考えていた」 ということと、
「私はこの具体的な技術を発明した」、「私はこの具体的なデザインを創作した」、「私はこの具体的な表現を創作した」 ということは、法律上も別の話です。
メーカー側の説明では、3か月ほど無償で企画・設計・試作を行い、サンプルのOKが出て材料を発注したところで、ヒロシさん側から契約書が提示されたとのことです。そして、その契約書には、
・知的財産権はヒロシさん側に帰属する
・図面もヒロシさん側に帰属する
という趣旨の条項があった、とされています。
これが事実だとすれば、私は「いや、それは最初に話しておくべきことではないの?」と思います。
もしヒロシさん自身が具体的な技術的構成を考え、図面まで描いていたのであれば、その点を主張すること自体は理解できます。しかし、もし実際には「こんな感じの焚き火台が欲しい」という要求仕様や願望を伝え、メーカー側に設計・試作を任せていたのであれば、話はかなり違ってくると思います。
「こういうものを作ってほしい」という発注と、「そのものをどういう技術的構成で実現するか」という設計・開発は、同じ仕事ではありません。そして、こういう権利関係を巡って揉めないために、契約を先に交わすのではないでしょうか。
その意味では、開発開始前に両者が知的財産権や図面の帰属、完成品をメーカーが自社商品として販売できるのかどうかなどを明確にしていなかったのであれば、そこは双方に落ち度があったのだと思います。契約は、こうした「後から揉めること」を防ぐためにするものですから。
そして、契約がなかったことと、「では依頼者側に権利がある」ということは同じではありません。後から一方が自分に有利な条件を契約書として提示したとしても、相手がそれに合意していなければ、その条件が当然に成立するわけではないでしょう。
「アイデアを盗まれた」という感情と、知的財産権の侵害は別の話です。これが今回の件で私が一番気になっているところです。もし本当に、「自分が考えた具体的な技術的構成をメーカーが無断で利用した」というのであれば、その具体的な技術的構成を示せばいいと思います。
「自分が具体的なデザインを創作した」というのであれば、そのデザインについて説明すればいい。「メーカーとの間で、同じものを販売しないという合意があった」というのであれば、その合意について説明すればいい。つまり、「何について、どのような権利・合意を主張しているのか」を明確にすればいいのです。
ところが、「自分が最初に思いついた」、「自分がこういうものを作りたいと言った」、「だから企業がそれを作ったらパクリだ」 となると、私はかなり違和感を覚えます。「アイデアを盗まれた」という感情と、「知的財産権が侵害された」という法的な評価が、ごちゃ混ぜになってしまっているように見えるからです。
アプリ開発の話で例えてみると、
「AIを使って、冷蔵庫の中身を撮影したら、今日作れる料理を提案してくれるアプリがあったらいいな」
と誰かが言ったとします。それを聞いた開発者が、
・画像認識の仕組みを設計する
・食材データベースを構築する
・レシピとのマッチング方法を考える
・システムを設計する
・プログラムを書く
・サーバーを構築する
・実際に動かしてテストする
・バグを修正する
・実用に耐えるものに仕上げる
ところまでやったとしましょう。
その後、最初に「こんなアプリがあったらいいな」と言った人が、「それ、私が言ったアイデアじゃん。パクリだ!」と言い始めたら、「いや、あなたは具体的に何を創作したのですか?」という話になるのではないでしょうか。
もちろん、実際には発案者が具体的な技術的アイデアを提供していた可能性もあります。その場合は話が変わります。
だからこそ、「私のアイデアをパクられた」と言うのであれば、何を自分が創作したのかを具体的に説明することが重要なのだと思います。
「思いついた」と「発明した」は違う。「欲しいと言った」と「設計した」も違う。「課題を提示した」と「その課題を技術的に解決した」も違う。私は、ここを社会がもっときちんと区別してほしいと思っています。
今回の件が正しく理解されないまま、「最初に思いついた人=権利者」という物語が世間に広まってしまうと、私はかなり怖いと思います。
例えば、「こんなアプリが欲しいな」と言っただけの人が、その後アプリを開発して実用化したエンジニアに対して、「俺が先に言った。パクリだ」と言い始めたらどうでしょう。
「こんなクルマが欲しい」、「こんな家電があったらいい」、「こんな機械があったら便利だ」・・・・・こういう願望はいくらでも言えます。しかし、「こんなものが欲しい」と言うことと、「それをどうやって実現するか」を考えることは、全く別です。
そして、実際に製品を作る側には、そこから先に膨大な仕事があります。
設計する。計算する。材料を選ぶ。試作する。失敗する。改良する。安全性を確認する。コストを下げる。量産できるようにする。ソフトウェアなら、アルゴリズムを考え、コードを書き、テストし、バグを潰し、サーバーを構築し、運用する。
「こんなものが欲しい」という言葉は数分で言えるかもしれません。しかし、それを実際に使えるものにするには、何か月、場合によっては何年もかかります。
もちろん、最初に課題を見つけることにも価値はあります。「こんなものがあったら便利なのではないか」と考えることも、立派な能力です。
しかし、「課題を発見すること」と、「その課題を技術によって解決すること」と、「それを実際の製品として成立させること」は、それぞれ別の能力です。誰か一人がすべてを担う場合もありますが、企業のものづくりでは、多くの場合、それぞれ異なる人たちが分担しています。
だから私は、「最初に思いついた人が一番偉い」という考え方には賛成できません。まして、著名人やインフルエンサーが「俺のアイデアをパクられた」という形で発信すれば、その発信力によって、事情を知らない人たちが企業を一斉に批判することも起こり得ます。法的な正しさがまだ分からない段階で、「有名人が被害者、企業が加害者」という単純な構図が出来上がってしまうのは、私はかなり危険だと思います。
もし本当に契約違反や知的財産権の侵害があったのなら、契約書や設計資料などをもとに、しかるべき場所で争えばいい。逆に、自分が何を創作したのかが曖昧なまま、「パクられた」という感情だけを大きな声で発信するのは、慎重であるべきだと思います。
そして、今回の件を考えていて、私は改めて「エンジニア」という存在にもっと敬意が払われてもいいのではないかと思いました。世の中では、企画した人、社長、著名人、インフルエンサーなど、表に出てくる人が評価されやすい。でも、その製品が実際に動いているのは、表にはほとんど名前の出ない人たちが、設計し、計算し、試作し、失敗し、修正し、完成させたからです。「こんなものがあったらいいな」と言う人と、「それを実際に作ってみましょう」と言って、技術的な問題を一つひとつ解決していく人。どちらも大切です。でも、私は後者の仕事が、世の中からもう少し正当に評価されてほしいと思っています。(わかり易い例で言うと、Appleのスティーブ・ジョブズは皆が評価して知っていますが、スティーブ・ボズニアックはどれほど知られていますかね?)
「最初に言った人」ばかりが注目され、「実際に作った人」が単なる下請けや作業者のように扱われる。そんな風潮にはなってほしくありません。今回の焚き火台の件が、そういう誤解を広げる話にならなければいいな、と思っています。