
申し訳ないが画像はイメージであり、ワシの言うミニスカートナースではない。さらに言えば実際のスカート丈も画像よりは5cmくらいはロングであった。
ワシはかつて昭和52年の秋から昭和53年の夏前くらいまで、ある病院の整形外科病棟に交通事故による負傷で入院したことがある。
当時、整形外科の看護師は全てナースであり野郎看護師というのは、精神科の暴れる患者を殴り付ける、じゃなかった押さえ付けるためにごく少数の看護師が存在したようだった。
そこで、当時のナースだが
年齢を問わず、ほぼ100%ワンピースタイプのスカート姿で頭には小さめのナースキャップを付けていたので、令和のナースとは全く異なるコスチュームであり、さらにナース服は殆んどが白で、たま~に薄~いピンクとか薄い水色も有ったが、それは小児病棟のナースでありワシの入院していた整形外科病棟には白いナース服しか居なかった。
薄い水色のは、看護学生がアルバイトで病棟勤務する際に着ていて、ナースキャップとは異なる帽子を被っていた。
それで、肝心のミニスカートなのだが、流石に全員ということはなく、やはりナースになって数年目までの、年齢で言えば17歳から22歳くらいまでの人のスカート丈が膝上で短く、ミニスカートと言えた。
高齢(当時のレベル)のナース、具体的には20代半ばを過ぎたナースにはミニスカート姿は居なかった記憶である。
参考までに、当時33歳だった整形外科病棟独身婦長さんは、膝上5cm未満の絶妙な丈で、貰ってくれる相手を探しまくっていたが、ウワサではカラダはとっくに既婚者である。と、聞いた。
そんな状況で、それが当たり前だったので
入院中にミニスカート姿のナースが居ても、ドキドキすることはなく、スカートの奥が見えることも何度か有ったがパンストも白なので下着がハッキリわかることはなかった。
だが、そうは言ってもこんなことが有ったのも事実である。↓
あるミニスカートナースは当時のワシよりもひとつ若く、当時、17歳だった。フルネームをハッキリ覚えているが、ここでは山口さんとだけ。
山口さんは、ワシと年齢が近かったこともあって、親しくなり、ベッドで動けないワシを車椅子に乗せてアチコチ散歩に連れ出してくれたりして、とても親切だった。
ある日、すぐ近くの運動公園で
病院の売店で買ったお菓子をふたりで食べていたら、少し強めの風が吹いてお菓子の袋が飛ばされて中身のお菓子が散らばってしまった。
山口さんはそれを拾い集め始めたのだが、そのときにしゃがんだ丸いヒップのミニスカートに下着が密着して、デザインがハッキリ判った。
とても小さなヒモパンティであった。
そのときはワシもドキドキして、悪いな~と思いながらもじっくり見て、目に焼き付けてしまった。
そのことがキッカケというワケではないのだが、退院後にも良く遊び、お誕生日とかクリスマスに彼女のアパートに招かれてミニスカート越しではない実物を見せて戴いた。
だが、お互いに既に結婚を前提とした相手が居たので、とても仲良しでも結婚には至らなかった。
ワシが今の妻の不正行為により、突然の入籍により結婚し、その後、山口さんも彼と結婚し、お互いに子どもが誕生し、それからは音信不通になって半世紀過ぎたか。
だが、当時のことを思い出すと
山口さん以外にも、ミニスカートナースは名前が出るだけでも片手。
記憶の中には両手くらいは居て、みんなとても優しくて可愛いかったのを覚えている。
特徴として今、分析し、みんからでわかり易く分類すると
1ナンバーナースの場合、ミニスカート姿は100%なし。
3ナンバーナースは、初年度登録から初回車検有効期間まではミニスカート姿が8割以上。継続検査を受けるごとに1割ずつ減少し、24歳までには完売御礼である。
もっともタマカズの多い5ナンバーナースの場合、3ナンバーナースに近いと言えるが、なかには24歳までに売約済みにならず売れ残り、処分品価格、割引き特価販売、おつとめ品となってしまう残念なケースも。当時、裏ビデオと言われたモザイクレス業界に行く人も少なくなかった。
という、ワシの腐った脳で、まだ鮮明な部分を今のうちに公開した次第である。
もうミニスカートナースなんて過去の遺物のようなモノなので、過去の遺物を楽しんだワシが今、自ら進んで入院することなどは絶対に無い。
Posted at 2026/11/03 07:32:29 | |
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