またしても(苦笑)、久しぶりのブログです。
今回記事の「真土(まつち)トンネル」は前アカウント時代に訪問し、記事化した事のある物件ですが、最近再訪する機会が何度かありましたので改めて再取材・再記事化してみる次第です。
なお記事中の画像は2018年10月から2019年2月にかけて撮影したものです。
↑その「真土トンネル」の位置を(グーグルマップ)。
奈良・和歌山県境近くに存在する旧国鉄和歌山線のトンネルで1898(明治31)年の同線開業時から1951(昭和26)年まで使用されていました。トンネル老朽化の為1951(昭和26)年に山裾をなぞる現在のルートに変更され、以後廃隧道となっています。
一般的に「真土トンネル」と呼ばれていますが、所在地は奈良県五條市相谷町であり、「相谷トンネル」と呼ばれる事もあります。
↑「真土トンネル」最寄り駅のJR和歌山線隅田(すだ)駅(和歌山県橋本市)。トンネルはここから東へ歩いて7分位の所にあります。
この駅の特徴でもあるカラフルなイラストで彩られた駅舎は相変わらず健在でした。
↑隅田駅の東にある「落合第二踏切」、実はここが新旧線の分岐点だったりします。
踏切の向こうに見える道が「真土トンネル」に至る旧線の跡です。
↑「落合第二踏切」から見た旧線跡(左)と現在線(右)。
↑旧線跡の道をテクテクと歩いて東へ。この地点から20mくらい先が奈良県と和歌山県の県境です。
この時点で目指す「真土トンネル」が見えています。
↑奈良・和歌山県境の落合川に架かる「落合川橋りょう」。1951(昭和26)年竣功のモダンなコンクリートアーチ橋です。
↑「落合川橋りょう」上を行く和歌山線の105系電車。
今年2019年秋までに引退の予定です。余談ですが、最近はこの電車の動画撮影にハマっております(^_^;)
↑県境を越えて奈良県入り。「真土トンネル」に近づいてきました。
トンネルに至る旧線の路盤がしっかりと残っています。ここ和歌山寄りの坑門前は地主さんのご厚意により、常にキチンと手入れされていてアプローチが極めて容易です。
↑「真土トンネル」西側坑門。
1898(明治31)年に和歌山線の前身である私鉄の紀和鉄道の手によって穿たれたトンネルです。煉瓦積みの荘厳な造りの坑門で今もかなりの存在感があります。
↑ちなみにこの「真土トンネル」は和歌山線で唯一のトンネルで、廃止により和歌山線はトンネルが皆無の路線となりました。
同線唯一のトンネルだけあってかなり凝った造りの坑門です。
↑坑口は柵で封鎖されていますが、これはやむを得ますまい。
↑例によって柵の隙間から洞内を覗ってみました。
洞道は緩やかにカーブしていて、その先には漆黒の闇があるだけでした。
↑木漏れ日に照らされる煉瓦積みの壁が良い感じです。
↑坑口前から見た隅田駅方面。
穏やかな陽光に照らされて、ゆったりとした時間が流れる空間でした。
↑さて国土地理院のサイトにて真土トンネルを含む旧線が現役だった頃の航空写真を閲覧する事が出来ます。
廃止の4年前の1947(昭和22)年米軍撮影の写真です。これによると線路はまるで何かを避けるかのように山側へ逃げています。
↑現在線沿いの道を東へ歩いていくと、こんなガーダー橋がありました。
↑この橋の名は「相谷橋りょう」。裏山の真土トンネルが廃止された1951(昭和26)年10月竣功とあります。
↑東側から見た相谷橋りょう。
線路沿いの道は狭く、通行はほとんどありません。
↑相谷橋りょう上を行く105系電車。轟音を立てて走り去るその姿はなかなかの迫力です。
このすぐ裏に廃隧道が眠っていると思うと胸が熱くなります。
↑さらに東へ歩くと、こんな脇道が。
一見、線路沿いの墓地へのアプローチ路に見えますが、その先には線路際に至る階段がありました。
↑階段を登っていくと、線路の向こうの藪の中に石積みの構造物が!!
↑拡大してみました。これが真土トンネルの「幻の」東側坑門です。
坑門前はかなりの激藪でとてもではないですが、一般の人間が近寄れる状況ではありませんでした。
↑動画です。新たにビデオカメラを購入しましたので、それのテストも兼ねていたりします。
↑最後に夕日を浴びる真土トンネル西側坑門の姿を。
駅から歩いて7分位の廃線隧道でした。
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Posted at
2019/03/04 16:31:34