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りがとみ~ぬのブログ一覧

2025年06月16日 イイね!

ハスラー搭乗日記3~4週目

整備関係は特になし。家の駐車場に遮光ネットを使った簡単なカーポートを拵えた。
加茂市の粟ヶ岳登山に行った。初めて3時間超のドライブだった。


権ノ神岳から見た粟ヶ岳(1293m)。梅雨前の好いタイミングで登ることができた。ハスラーのおかげ。


以下はこのとき気づいたこと。

● 前のクルマより疲れない
乗り心地は前のクルマよりよい。長距離ドライブでも疲れないかも。

● アクセル踏み込みの体感速度が15~20kmくらい早い
例えば制限速度40kmの道で、そのつもりでアクセル踏んで走っていると、メーターでは60km前後を差していることが多かった。スピード違反で捕まる恐れがある。
制限速度50km、つまり50~70kmの速度で走っていた道も、気が付くと80km以上出ている。
このように今までのクルマより速度が出るので気をつけたい。

● 夜中の山道で虫が窓ガラスに当たる
帰りの113号線で小国町から飯豊町に向かうとき、頻繁に虫がフロントガラスに当たった。まるで降り始めの雨のように「ピシッ、パチン」と絶え間なく音がして、それぞれ脂分がガラスに残った。特に街頭の真下を通るときがヒドかった。
これは運転席が高いしガラスが垂直に近いからなんだと思う。やはりスピードの出し過ぎはよくない。


ほかこの期間に気づいたこと。
● カーステレオの音質が悪い
スピーカーが安ものなんだと思う。それに前のクルマと比べて、耳から遠いところにスピーカーがある。つまり以前より離れたところから音が聞こえる感じがする。
そのため雨が降ったときなど、音楽より屋根に当たる雨の音の方がより近く感じる。

● 燃料の目盛
燃料のメーターが、量に応じて針が下がっていくものから10個の目盛式に変わった。このことで最後の一目盛になったとき、「あとどのくらい走れるのか」が分からないので若干の恐怖がある。

調べると燃料タンクは27Lの容量があるので、一目盛は2.7L分を示していると思われる。だからこれから測っていく燃費×2.7L分は走れる。だいたい40~50kmほどか。
さらに走り込んでいくと最後の一目盛が点滅することが分かった。こうなる前に給油する。
Posted at 2025/06/17 21:12:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ハスラー搭乗日記 | 日記
2025年06月01日 イイね!

ハスラー搭乗日記1~2週目

ハスラーを買って2週間が過ぎた。ゼンマイ採りの一番忙しいときであり、いきなり雨の中の険しい林道に突入するなど、厳しい働きをしてもらった。


このような山中にゼンマイ採りに3回行って、3回とも大雨だった。


新しい愛車と干したゼンマイ。このような用途で働いてもらう。


そういえばゼンマイを茹でた後のワイン色って似てるな~と思った一枚。


整備関係


この間の整備手帳は2件↓

● カーナビとiPhoneを繋ぐ
https://minkara.carview.co.jp/userid/2925090/car/3734323/8251620/note.aspx


● タバコの焼け焦げ跡の補修
https://minkara.carview.co.jp/userid/2925090/car/3734323/8251651/note.aspx

● サンシェードのこと
あとはサンシェードのサイズのことで悩んだ。
前のクルマのはまだまだ使えるのだが、ハスラーのフロント部分に対して10cmくらい高い。


全く当てはまらない。これからの季節で必要になる。早くなんとかしないと!


カー用品店に行くとハスラー専用のサンシェードが売っている。私のは旧型ハスラーだが、新旧のハスラーでそんなにフロント部分に大きな違いはないらしい。


だから新しいのを買うかと悩んだけど、現行のを10cmくらい折って使っていくことにした。


乗ってみての感想


● 加速について
ターボ付きのため以前のクルマより加速が少し早い。
「横断歩道を歩行者が渡っているので停車…」「渡り終えた、後ろも仕えているし発進しよう」と思ってアクセルを踏むと、以前よりやや強く走り出すので「おっ」と驚いてしまう。

直に慣れると思うけど、混雑した駐車場などでは気をつけたい。

● アイドリングストップについて
初めてのアイドリングストップ車なんだけど、上手く使いこなせない。

完全に停車する前にもうアイドリングストップが始まるので、毎回困ったことになる。
自分らしい運転としてゆっくり停車しようとすると、、、
1、ギアがDのまま一旦エンジンが止まる(0秒~1秒くらい)
2、そして完全に停車してPに入れると再度エンジンがかかる
3、最後にボタンを押してエンジンを切る

このサイクルから抜け出せない。バッテリーに無駄な負担がかかっているんじゃないかと心配になる。

ゆっくり停車しすぎなんだろうか? それともハスラーはこういうものなのかな?
Posted at 2025/06/01 22:29:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ハスラー搭乗日記 | 日記
2019年02月25日 イイね!

アイドリングの不調


久しぶりの日記更新。シボクルちゃんに乗るようになって1年を迎えようとしたころ、初めてクルマに異変が起きた。

異変の経緯

1月になって信号待ちでエンストすることがあった。よく調べてみると、ギヤがDでのアイドリング時に回転数不足な気がする。パーキングやニュートラルのときは規定通り700回転だけど、Dや2やLやRだと500以下になる。

一度エンストするとしばらくのあいだヒドい不調に陥る。回転数1000を下回るとそのまま0へストンと落ちる感じになる(つまりエンストする)。回転数2000くらいを境目に「どるん!」と、クルマ全体が跳ね上がったり跳ね下がったりする。怖くて乗ってられない。

2月になってこのアイドリングの不調が頻繁に起こるようになった。
ギヤをDに入れたまま一時停止するのが怖くなった。交差点での右折待ち、踏切通過時の完全な一時停止などは、ギヤをDにしたままでないとできない。信号待ちはPに入れてもいいけど、右折のとき対向車が通過するのはどうしてもDで待たなければならない。
これが緊張の時間になった。


ISCVの交換

エンジンの故障は怖いので、スズキのディーラーに持っていって診てもらったら、「ISCVの交換が必要」「バラして洗浄はできない」と判断された。これが作業代も含めて結構お高い。エピフォンとかスクワイヤの楽器が買えそうなほどに高い。

アイドリング・スピード・コントロール・バルブ…。バルブの先端部分にカーボンが付着してアイドリングの制御ができなくなるらしい。下手をするとECU(エンジン・コントロール・ユニット)の故障へと繋がることもあるとか…。
調べてみると、自分でバラして洗浄している記事もあった。ワゴンRではよくあるトラブルらしかった。それは今のエンジンだからできることであって、2000年代のシボレー・クルーズでは確かにできなさそうだった。


赤丸がISCV。最初はブツを特定するのも大変だった。フロントの中央左奥部分。


カメラを忍ばせて撮ったもの。ネジが五角形な時点で自分にはお手上げだった。

症状からして原因はISCVの汚れで間違いなさそうだった。走行距離は80,000㎞を超えたあたり。長く使うと、確かにカーボン(煤<すす>)が付着してもしょうがないのかもしれない。洗浄できないのは、昔のエンジンだから仕方ない。ネットにはシボレー・クルーズのISCVを自分で洗浄という記事はなかった。

…このように様々自分を納得させて、先日、修理してもらった。
回転数については何かさらに低くなったような気がするけど、確かにエンストは起きなくなった。燃費が向上したような気がするけど、急速に暖かくなっている気候のせいかもしれない。


お知らせ

この不調の直前に私はフェンダー・ジャガーというさらに高価なギターを買い、部屋にこもって音楽制作に熱中していた。ぜひ聞いてみてくだされ~! いわゆるボーカロイドものだけど、結構、丁寧に歌ってもらってますよ~!

【猫村いろは】 嘘のない世界を 【オリジナル曲】

(→ブログの記事

【猫村いろは】 タソガレッシヴ音頭 【オリジナル曲】

2018年12月14日 イイね!

初めての除雪機オイル交換


除雪機のエンジンオイル交換を生まれて初めて、自分で学びながら行ったので備忘録的に記事にする。メーカーはホンダ、型番はHS970。


この除雪機は数年前に知人から譲ってもらって、そのままのもの。このようにエンジンオイルが真っ黒。早く交換しなくては!


注入口と反対側。真ん中の黒い坂道の部分がドレンボルトらしい。ここから油が流れ落ちてくるわけだ…。


少し考えて用意したもの。寒冷地用エンジンオイルは、リトルカブのエンジンオイルを通販で買うとき、送料を無料にするために併せて買っていた。今が当にキミの出番なわけだ。


刺身のパックを鋏で切って排出口にセットする。風で吹っ飛ばないよう、「メリッ」と音がするまで強く押し込んだ。


ボルトを緩めると、どひぇ~、真っ黒なオイルが流れ出てきた。


ポタポタの状態になったころ、時間が余ったのでグリススプレーを各所に吹きつけた。


すると逞しい生命の痕跡が現れた。まだ生きていて僅かにもがいている。このあと除雪機を動かしたんだけど、シートと除雪機で二重に守られた落ち葉の塊に、ダンゴムシやら地グモやら、割と豊かな生態系が残っていて注目した。


新オイルの注入には、灯油タンクのホースを使った。青マルの部分が奥にありすぎ&横に寝そべりすぎで、このように曲がる管でないと絶対に注げないようになっていた。


作業開始時は注入するオイルの量も分からなかったが、廃油の量から1リットル丸々使うことが大体分かった。買ったものを全て注入してこの状態。やや少ない。


おかげで缶が空いたので廃油を注ぎこんだ。処理するときはこのまま持っていく。

終わりに:
今は寒波到来で真っ白になっている。今回の試運転で露わになった、落ち葉の下の生命はみんな星に還ってしまっただろう。自分が除雪機を動かしたことでそうなったのだから、生き物同士の不思議な繋がりが心に残った。
2018年11月19日 イイね!

小国町の片洞門とめがね橋


国道113号線の飯豊町と小国町のあいだに廃道が残っているらしいので、現場に向かってみた。
東から来たとき、宇津峠の先にトンネルが3~4つ連続で並んでいるところがある。本当に短い間隔でトンネルが並んでいるので、一度点けたランプを消す気にはならない。全て通り抜けてから消す習慣がついている。その部分に廃道が残っているのだ。

結論から言うと、これはジグザグに蛇行した渓谷をくり抜いたものである。
● 自作おすすめスポットのページ(下の方に地図あり)

この渓谷をぶち抜くトンネルや橋が建設される前、渓谷に合わせてジグザグに蛇行する沿道があった。今回はそれを徒歩で辿った。
日時:2018年11月18日


トンネルとトンネルの間に、このような広場がある。背中側には片洞門休憩所というカフェもある。


シボクルちゃんの脇に廃道が伸びている。ここを歩いてゆく。


すぐに文明の面影は消え、剥き出しの露岩が現れた。つまり、右手のトンネルはこの巨大な岩盤をくり抜いたものなのか?


左手の渓谷を写したもの。分かりづらいかもだが、落ちると死ぬ高さに感じた。仮に生きていたとしても、這いあがれるポイントがない。濡れた状態で探しまわる内に低体温症で死ぬと思った。日の光が当たらないため、辺りはヒンヤリしている。


露岩の先端部分に達した。道が右方向へとカーブしている。渓流も同じくカーブしている。


この先端部分を真下から撮った。岩のミートボールみたいな、丸くて巨大な岩盤なのである。前の写真から分かるとおり、対岸も巨大な岩盤である。なんていう所なんだ!?


不意に一つめの片洞門が現れた。奥には私が今まで当たり前に通ってきた113号線のトンネル入り口が見える。


切り落とした部分がよく分かる構図でもう一枚。奥には崩落した箇所もあるようだ。


案内板は腐食して読めなくなっていた。難工事であったため観音様が祀られている。1959年(昭和34年)までここは車が通る道路だった。ここで転落事故があったけど、運転手は偶然樹に引っかかって助かったという。

ここで歴史を振り返る。
この難工事を断行したのは、前回記事の栗子隧道と同じ、三島通庸・初代県令である。明治14~19年にかけて越後と山形を結ぶ新しい道路が建設された。この片洞門の部分は明治16年に完成したという。
明治より前は、ここよりも南方の十三もの峠を越える越後街道が使われていた。三島が建設し、いま我々が歩いているのは小国新道と呼ばれる。
小国新道は戦後になって自動車の通行用に少し改修され、高度経済成長期の少し前に国道113号線の開通によって廃道になった。この順番・時期も、前回の栗子隧道とだいたい重なる。


片洞門を過ぎると、その113号線の橋とトンネル入り口が見えてきた。今日の今日まで、こんな険しい渓谷をくり抜いたものだとは全く気付かなかった…。


道が最も崩落した箇所に出くわした。ブルーシートで覆ってある。最も狭いところで40cmくらいの幅だった。左手は相変わらず「落ちると死ぬ」感じの崖である。

道は草が生い茂っている。夏場ここを通過するときは特に足元に注意したい。岩盤にツタが通っていて、そのツタに足が絡まって少しよろめくこともあった。


国道113号線の橋の下に立つと、奥に米坂線の橋とトンネルのセットが現れた。


相変わらず渓谷沿いに道が続いていて、線路まで行けるようだ。

以下の小国町のページに、トラックが当にこの部分を走っている往時の写真が残っている。線路の脇に小さく踏切もあったようだ。
● 小国町の近代の歩み 昭和30年(1955)~
● 片洞門を通行する車(昭和34年)


米坂線の線路に辿りついた。ウワサでは道中にめがね橋があるはずなのだが、まだ現れない。まさか、この線路を渡るのか…!?


落石止めのコンクリ・シェードの説明を読む。昭和38(1963)年9月2日に完成とある。電車が来てないことを耳でよ~く確認して、、、


線路をピョンコと渡った。そして振り返る。米坂線と113号線が写っている。今まで乗り物に乗って一直線だった場所に、こんな道があるとは夢にも思わなかった…。


線路の先を辿ると、ふいにレトロな雰囲気を醸し出すめがね橋(アーチ橋)が現れた。


生い茂った樹木に邪魔されて上手く写せない。樹木に遮られずに全体を写せるポイントはない。私が落葉後の時期に訪れたのはこのためである。


全体をパノラマで撮る。ジグザグに蛇行した渓谷と、それを真っ直ぐにくり抜いた国道と線路の橋(とトンネル)。捨てられた明治期の橋と奇妙な形の岩盤という構図…。


橋の上流側の図。渓谷は相変わらず「落ちたら死ぬ」高さを保っている。よろめくと大変なので、這いつくばって撮った。赤い国道の橋はよく見えるけど、米坂線の橋は樹木でよく見えない。


橋の下流側。向かいの谷から小さな滝が流れ落ちている。片洞門を続けずに橋をかけたのには、どんな理由があったのだろうか。このまま渓谷の北側を通ってもよかったのではと思ってしまう。


橋を渡り切った。軽自動車同士でもすれ違えない幅だった。この片洞門の沿道は、だいたい一台のクルマしか通れない(今のだと)。どこかですれ違い用の待避所があったに違いない。

この石橋は薩摩から設計士を呼んで造られたという(石工は置賜の人)。三島通庸もその次官も薩摩の人なので、その繋がりであろう。
調べてみると、薩摩は江戸時代後期からこのような石橋建設の技術に秀でていたのだとか。明治維新によって薩摩の人物が官僚として我が県にやってきて、このような道ができて、越後・山形間の通行が容易になったという流れが想像できる。


どうやって石を積んでったんだろうか???足場が特に大変そう。 2年の工事のあいだに、事故によって1名が亡くなり、3名が重傷を負ったと伝え残っている。


橋を後にすると、2つめの片洞門が現れた。「落ちたら死ぬ」渓谷は右手側に移った。


片洞門の真下に立つ。この高さをトラックやバスが通っていたとは信じられない…。


蛇行する渓谷に合わせて、道が南西方向を向いた。役目を終えた車止め用の石がコケシのようにちょこんと並んでいる。


続いて、苔むしてラピュタっぽくなった米坂線用のスノーシェードが見えてきた。


これは遺構ではなく現在も使われている。この中を米坂線の電車が通る。廃道はここで終わりっぽかったので、探索は終わりにして来た道を戻った。


入り口まで戻った。「落ちたら死ぬ」渓谷を何十分も歩いたので、シボクルちゃんの後ろ姿が見えたときはだいぶ安心した。

プロフィール

「ハスラー搭乗日記3~4週目 http://cvw.jp/b/2925090/48491529/
何シテル?   06/17 21:12
りがとみ~ぬです。車には20年近く無関心だったけど、突然変わりました。よろしくお願いします。 その他の出没場所: ツイッター(音楽関連)→ https:...
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