
17時過ぎには、家内と孫を抱えた長女が帰って来ました。そして、いつもの様に、18時半頃から夕食となり、夕食後には、怠惰で静かな夜が過ぎて行きました。翌日の2025年7月1日は、これまでにも、何度も目にしながら、行った事が無かった、長女のマンションからは、徒歩5分圏内にある、焼肉レストランに行く事にしてました。それは、看板メニューにあった、リーズナブルなランチメニューに、エントリーする事が、この日の主目的でしたが、その焼肉レストランは、10時から10時半の間に入店すると、焼肉ランチが780円になると言う魅力的なものでした。
私達は、変に気合いが先走ってしまい、11時前から出発準備を始め、10時50分には長女宅を出発。10時55分には、店の前に到着していました。しかし、入店するのを躊躇していると、3人グループのオバチャン達が現れて、コンクリートの階段を登り始めたので、それを後追いして、入店する事にしました。入口から店内に入ると、既に開店待ちの先行客が、待っていました。そして、開店時間の11時なると、順に窓際の席に誘導されて、次々と注文が出されていました。私達も、窓際の席に誘導されましたが、少し遅れて、780円のランチを注文したのでした。
到着した780円のランチメニューの内容は、100グラムの霜降り風の柔らかい牛肉と、サラダとワカメスープ、それに、お代わり自由のご飯と言う構成でしたが、そのメニューに、更にお肉を追加して、注文するのが普通の注文方法と、後で長女に聞いたのですが、朝食を割とガッツリと食べていた所為で、ご飯もお代わりする事なく、リーズナブルな構成で満足した夫婦は、この日、一番に退店したのでした。焼肉レストラン下の歩道で、シマムラに寄ってから帰ると言う家内とは別れ、私は家内に頼まれた、麦茶とモヤシをスーパーで買い求めてから、長女宅に戻りました。
長女のマンションの鍵は、昼食後に、シマムラに立ち寄ってから、帰る事を明言していた家内から、既に預かっていたので、先にマンションに帰っても、家内からの帰宅のチャイムにさえ、気を付けていれば良かったのでした。。マンションに戻ってからは、再び、エアコンを掛けて、カーテンを閉めた暗い部屋で、YouTube三昧に過ごして、長女が帰宅してからは、孫と遊びながら、長女宅の最後の夜を過ごしました。その翌日の、2025年7月2日には、長女と孫を送り出した後、家内は掃除と洗濯を進め、私は客間に置いていたスーツケースに、荷物を詰めて、帰り支度を始めていました。復路は、東京駅からの始発だったので、精神的に余裕がありました。
10時過ぎには、全ての準備が完了します。長女のマンションを出ると、スーツケースを引っ張って、都賀駅を目指し、10時42分発の、東京駅直通のJR成田線快速+JR総武線快速に乗って、11時32分に東京駅に到着しました。直ぐに、超特急で、新幹線で食べる弁当を購入すると、エスカレーターに乗って出発ホームに急ぎ、自由席の乗場を目指したのでした。すると、予定していた12時12分発の、のぞみ31号博多行き目当ての乗客の姿はまだ無く、今度こそは、富士山ビューが望める最前列のD,E席が取れると喜んだのでした。しかも、トイレにも近い場所の、乗降口でもあったのでした。
それから、僅か2〜3分後には、私達の後側には、列ができ始めていました。本当に、間一髪とも言えるタイミングでの、ポールポジションゲットと相成りました。のぞみ31号博多行きが到着して、アナウンスに誘導されるままに車内に入ると、希望していた、最前列のD,E席に腰を下ろして、暫し余韻に浸っていましたが、時間も昼の12時を回っていたので、超特急で購入していた、昼食用の弁当を食べる事からスタートする事にしました。その内には、新幹線も東京駅を出発していました。次駅の品川駅に到着すると、外国人観光客が大挙して乗り込んで来ました。
この頃は、まだ席にも余裕がありましたが、品川駅を出発して、次駅の新横浜駅に到着した頃には、大きなスーツケースと共に、通路に立つ外国人観光客も散見される様になります。一方で、この日の天気は、薄曇りだったので富士山の方向は、深い雲に覆われて、富士山ビューは望み薄の状況でした。名古屋では、指定席の状況は分かりませんでしたが、私達がいる自由席に変動はありませんでした。しかし、次の京都では一気に外国人観光客が降りて行き、再び、どっと乗車して来ました。その多くは、次の新大阪駅と、その次の新神戸駅で大半が降りて行きました。
そうなると、たちまち、新幹線のエアコンの冷気を、一際感じる様にもなり、半袖のシャツしか着用してない夫婦にとっては、過酷とも言える時間帯が訪れました。長袖類はスーツケースの中にあったので、どうする事も出来ず、約1時間半の間、夫婦は肩を寄せ合って凌ぐしかなく、漸く、16時2分に広島駅に到着しました。連絡通路を通って、在来線乗場から、岩国行きの普通電車に乗り換えると、16時23分には、自宅の最寄り駅であるJR西広島駅に帰り着く事が出来ました。2階の改札からエレベーターで地上に降りると、再び、スーツケースを引っ張って、徒歩5分圏内の自宅マンションに向かい、1週間の千葉旅行が終わったのでした。
翌日の2025年7月3日は、千葉旅行で使用したスーツケース内の荷物は、7月2日に帰った時点で、殆ど整理は付けていたので、当面はやる事が無く、自分のスペースに置いているiMacを起動させて、YouTubeを視聴したり、iPhoneを触ったりして過ごしていました。午後になると、喉の奥に違和感を感じ始めるも、まだまだ咳を伴う程では無かったので、当初は、安心していましたが、しかし、時を追うごとに、徐々に咳が出始めて、直接、鏡で扁桃腺を見た訳ではありませんでしたが、何か腫れて来てる様な違和感を感じたので、これは、新幹線のエアコン冷気に遣られてしまったと考えたのでした。
Posted at 2025/08/05 09:15:01 | |
トラックバック(0) | 日記