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老人ギタリストもどきのブログ一覧

2024年06月14日 イイね!

昨日と今日の顛末記

昨日と今日の顛末記昨日は、家内のクラブ活動(ボウリング)があったので、午後5時過ぎからの移動となりました。途中、福山サービスエリア、吉備サービスエリア、三木サービスエリアと144MHzと430MHz帯でCQを出したものの、平日と地方の現実のダブル要因で空振りしました。途中で、休憩を取りながらのドライブだった事もあり、結局、京都市左京区の家内の実家に到着したのは、0時22分と相成りました。

本日は、5時に目が覚めてしまったので、全てが前倒しとなり、6時半に出発しました。前回もそうでしたが、カーナビでは、京都東インターからの高速道路イン指示だったところ、前回は京都南インターから乗りましたが、本日は、京都東インターから乗ってみました。結論としては、一般道をクネクネして、京都東インターから乗るよりも、サクッと京都南インターから乗る方が早いと感じましたね。

本日は、天気が良かった事もあり、「静岡県の由比パーキングエリアからの富士山を撮りたい」と言う単純な理由だけで、新東名をやめて、旧東名に乗る流れで、前回の復路のルート(旧東名+旧名神)を逆に行くルートを選択してしまった所為で、かなりの距離をロスしてしまいました。おまけに、途中で遭遇した渋滞も半端なく、暑い日だったので、休憩中もエアコンを付けてしまい、燃料的にもロスしてしまいました。

無線の方はと言いますと、朝から滋賀県大津市の草津サービスエリアで、玉砕したのを始めとして、名古屋近郊、浜名湖、静岡県、他と声を出し続けたものの、ノイズ混じりの微かな交信が静岡県で聴こえただけでした。東京に入り、用賀パーキングエリアで声を出す誘惑に駆られたものの、海老名サービスエリア以降の道路が、千葉市まで連続で渋滞していた為、先を急ぎたい気持ちが強く、無線は断念しました。

昨日から本日の千葉市のガソリンスタンドまでの、全走行距離は、972kmと前回の922km無給油の記録を更新して、燃費も前回は、17.55km/Lだったところ、今回は微増の17.70km/Lとなりました。今回は、前回の復路の様に比叡山運用は無いので、今回の復路は新東名と新名神を乗り継いで、最短距離で記録を更新しようと目論んでいます。それにしても、車任せの自動運転とは言え、本当に疲れてしまいました。

「静岡県の由比パーキングエリアからの富士山を撮りたい」の件ですが、天気は良かったものの、肝心要の「富士山」が、半端ない雲を纏っていて、暫く、雲の動向を注視していたのですが、時間を追うごとに雲の厚さが増して来たので、後ろ髪を引かれながらも、先を急ぐ事にしました。富士山と言い、アマチュア無線と言い、道中の安全は確保出来たものの、アンテナを新調したにも関わらず、残念な結果と相成りました。
Posted at 2024/06/14 22:13:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月12日 イイね!

インターネット過渡期と「Flashマスターの長男」

インターネット過渡期と「Flashマスターの長男」義弟にMSXを貰ってゲームをしていた長男は、その後も順調に成長を遂げていました。中学生に上がる頃には、WEBのコンテンツに興味が移っていました。当時は、ネット回線も未整備で、一部の大都市圏には光回線はあったものの、まだまだ地方都市では、良くて、64KのISDN回線で、多くはモデムを使用する低速の電話回線でした。

しかも、使った分だけ料金を支払うと言う、従量制が採用されていて、現在の様な、ネット使い放題は夢のまた夢の時代でした。深夜帯には、ほぼ使い放題の「テレホーダイ」と言うサービスもありましたが、その回線速度は、現在の光回線と単純比較できない程に、モデムを使用した電話回線を使った恐ろしく低速の環境でした。

ですから、回線速度が望めない環境下では、映像に容量を要求するWEBコンテンツの進化は、二の次になり、それを利用するホームページすらも、まだまだ一般的では無く、一部の大企業が会社を紹介する為に、自社のホームページを持つのが普通でした。しかも、ホームページのトップページは、動きの無い無味簡素なサイトが殆どでした。

そんな中、「Flash=フラッシュ」と言う、トップページに「動き」を作り出す事が可能になるスキルが開発されました。それを機にして、様々なサイトが、Flashを採用して、それまでの動きのない平面のWEBサイトから、動きのあるWEBサイトに変貌を遂げて行きましたが、まだまだ、WEBの潮流的には、一般的なスキルではありませんでした。

当時は、ホームページは会社が持つものと言うイメージで、今でこそ、誰でも気軽に開くWEBサイトも、当時は、有名アーティストであっても、自身のホームページを持つ事は稀な事でした。そんな時代背景の中、中学2年生になった長男は、Mr.Childrenのファンサイトを立ち上げます。当時は、Mr.Childrenに、オフィシャルサイトは存在していませんでした。

しかも、長男の様なファンサイトが複数存在して、切磋琢磨していました。長男がMr.Childrenのファンになったのは、ドラマ「若者のすべて」のエンディングで流れていた「Tomorrow never knows」を聴いた私が、すっかりファンになって、レンタル店でCDを借りては、カセットテープに録音して、家庭内で、率先して流す様にしていたからでした。

その潮流は、やがて家族全員に広がり、現在に至るまで、3人の子供達のファン熱は覚めておらず、コンサートには毎回参加しています。逆に私はと言えば、いつしか、その熱は冷めてしまい、今日に至っていますね。その頃のファンサイトのステイタスはYahooに登録される事でしたが、中学3年生の時に、念願のYahooに長男のサイトが登録されました。

すると、あれよあれよと言う間に、17万アクセスを記録する事になりました。その快挙を間近に見ていた私も、ホームページに目覚める事になります。先ずは、自分のホームページを作った流れで、会社のホームページも作る事を考えたものの、長男の方が完璧なサイトを作るだろうと考えを改めて、長男に話を持って行きました。

すると、長男もやる気を見せたので、一旦は、任せたものの、学業との狭間で、中々、作成が進まず、会社からのクレームに発展しかねない状況になった事から、長男が作ったファイルに、私が手を加えた事で、長男が臍を曲げて、作成を放棄するに至ります。仕方ないので、一応、会社の上司に許可を得てから、会社のホームページを立ち上げる事になります。

しかし、それは、単純に大容量の画像をベースにして、その画像の上に文章を載せると言うタイプにした所為で、今なら笑える様な事態に遭遇する事になります。それは、ネットの回線速度が遅過ぎて、全体像が現れるまでに時間を要してしまい、文字が最初に現れて、徐々に全体が現れてくると言う、間抜けな事になってしまったのでした。

その後、秋葉原で著作権フリーのホームページ作成ツール(外枠が設定済みで文字を追加するだけの便利ツール)を購入した事で、統一感があり、更には動きのあるFlashをトップページに装備した、技の光るサイトに変貌を遂げましたが、仕事に忙殺されてメンテナンスを怠った事から、いつの間にか、プロに頼んでサイトを構築した様でした。

話を戻して、高校生になった長男は、益々、ホームページのスキルアップを目指して、当時、マクロメディアが販売していたFlashの体験版を雑誌の付録で入手して、様々な試しをして勉強していました。親としてはFlashのソフトを買ってあげたくなるのは、当然の心理ではありましたが、正規版のFlashはかなりの高額商品でした。

だったら、新品の製品ではなく、ソフトの中古品があるなら、それがCDである限りは、特に劣化は無いだろうと考えて、様々な掲示板に「Flash」を買いたい旨の書き込みをしてました。しかし、当時、PCソフトの中古品を購入する事自体が、違法だった事を知らなかった私は、馬鹿の一つ覚えの様に、ひたすら掲示板に書き込みを続けていました。

そんな時、突然メールが来たのでした。メールの内容からすると、「Flash」もありますが、他にも色々とありますよ。と意味深な内容でした。私としては、譲って頂けるならお願いします。と返信します。その後、メールの相手からは、1万5千円と言う価格が提示され、受け渡し場所の調整に入ったのでした。その頃、私は、関東事業所の仕事で横浜の寮で出張生活を送っていました。

その後、メールで、地元は別ですが、現在、出張で横浜に来てると言う事を告げると、相手も関東地方のどこかの地域らしく、それならと「秋葉原には来れますか?」と、食い気味に言われたので、行けますよ。と返事をすると、その週の日曜日の13時頃に、今は無き秋葉原の東京三菱銀行のキャッシュコーナーで受け渡しをしましょうと言う話になったのでした。

当日になり、現地にかなり早目に到着した私でしたが、流石にまだだろうと考えたものの、それでも、もしかしたらと、店内を覗くと、既にそれらしい御仁が、キャッシュコーナーに立っていました。その人物は、40歳手前に見えましたが、紙製の手提げ袋を持った人で、見るからに挙動不審な人物ではありましたが、振り返ったタイミングで私を認めて、近づいて来たのでした。

彼は「◯◯さんですか?」と、私の顔を見ながら言います。私がそうです。と小声で答えると、それまで、幾分か強張っていたのでしょう。一気に表情が緩みます。やがて、目をキョロキョロさせながら、辺りを警戒する様な感じで、私に近付く様に促して、徐に紙袋に手を差し込みました。同時に紙袋を覗き込んだ私は、彼の手に何枚かのCDケースが、握られているのを見たのでした。

彼は、そのCDの束を私に差し出したので、私も慌てて、財布を取り出そうとすると、その人はそれに掌を広げて「待った!」を掛けて、小声で、「裸で、そっと頂けますか?」と言うのでした。私は、財布から1万5千円を抜き出して、小さく折り畳み、後手に彼に手渡しました。そして、代わりにCDケースの束を受け取りました。CDは3枚ありましたが、何も書かれていませんでした。

別れ際に、その人は、CDが読めないとか、何か不具合がありましたら、いつでも、メールでお知らせ下さいね!直ぐに対応させて頂きますので!と言い残して、その場を立ち去りました。私も遅れてキャッシュコーナーを後にしました。寮に帰って自分のノートパソコンでCDの中身を確認したところ、3枚のCDの中の1枚には、Flashだけ入っていました。

他の2枚のCDにはAdobeのソフトやら、超高額のCGソフトとか、CADソフトと入っていました。正規の価格で換算すると150万円相当のソフト群が入っていたのでした。しかも、認証時に必要な、シリアルナンバー付きでした。私は、早速、Flashを私のパソコンにインストールしてみました。インストールに問題が無かったので、速攻で長男に郵送しました。

Flash以外の2枚のCDに入っていたソフト群は、横浜の出張が終わってから、所属する事業所の同僚に向けて、お土産として持ち帰りました。会社で使用するのは、訴訟問題に発展しかねないので、CD-Rでコピーしては、個人で使用する事を条件に、仲の良い同僚にプレゼントしたものでした。特にCGソフトは楽しく使用しましたね。

今考えると、1万5千円で購入したソフト群は、Win MX等のP2Pソフト(Winnyはまだありませんでした)を使って集めた、原価ゼロのコピーソフトだったのでした。今でもヤフオクでも同様の違法ソフトは売買されていますが、禁断の世界であればあるほど、人を惹きつける魔力があるのでしょうね。改めて、そう感じました。

私からFlashを受け取った長男は、既に体験版を通してFlashの大部分はマスターしていましたが、そのスキルを自分のMr.Childrenのサイトのバージョンアップにも利用していました。そんな時、某企業が某IT企業とタッグを組んで、「ホームページコンテスト」を開催する事を知った長男は、Flashを多用したサイトを武器に応募する事にしました。

結果、審査員の大絶賛のもと、ジュニア部門でグランプリを受賞する事になります。審査員の評価内容としては、「17歳の少年が創出したとは思えない圧倒的なFlashの世界観」と言うものでした。ジュニアグランプリの副賞は、Flashのソフトは勿論のこと。デスクトップパソコンからWEBカメラ、Adobeのフォトショップが同梱されたWEBコレクション(50万円相当)他と、凄いラインナップでした。

長男は躊躇なく、デスクトップパソコン以外の賞品をヤフオクで転売します。Flashは私からの海賊版を持っており、他には欲しいものが無いと言うのが理由でした。WEBコレクションは、未開封での出品だった事もあり、かなりの金額で落札されました。その長男も、その後、地元の大学に進学し、教授の勧めにより、WEB関連企業に就職して現在に至りますね。
Posted at 2024/06/12 16:44:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月11日 イイね!

千葉ドライブ出発準備と「燃費改善プロジェクト」

千葉ドライブ出発準備と「燃費改善プロジェクト」6月13日の午後から、千葉市に向けて出発するので、現在は移動運用よりも、出発に向けての準備に奔走中です。本日は、車の洗車と給油。それに、今回は後部座席に、お宮参りの際には、長女旦那のご両親も乗車するので、念入りに掃除機を掛けました。とは言え、千葉市までの道中では、休憩時に無線をする気満々で、その準備もしています。

短い休憩時間に効率よくQRVする為に、ルーフに多少、傷が付いても問題ないと言う覚悟で、マグネット基台をルーフ中央に、いつもは必ず敷く、マイクロファイバークロスを、今回は敷かないで、強固にマウントする予定にしています。と言うのは、アマチュア無線局アピールも兼ねて、モービルアンテナを、立てたままで走行しようと考えているからですね。

その為に、この度、第一電波工業製のレピーター対応のモービルホイップアンテナSGM507(73cm)を購入しました。体制としては、後部座席にCAT-283チューナーを置いて、マグネット基台からのケーブルは、敢えて接続しないでおきます。これは、走行中に交信をしない為でもありますが、雷の直撃に合わない為でもあります。

電源は、30,000mAのPDモバイルバッテリーを予定していて、使用無線機であるIC-705の背面のファンには、別途、モバイルバッテリーを充てる予定です。IC-7300Mと違って、休憩時に駐車してからでも、IC-705は軽いので、車外にアンテナさえ立っていれば、車内の準備くらい簡単に終わると考えているからですね。

それと、自宅では、IC-7300Mの内部電池を充電する為に、IWASHN GP-50とシガーケーブル接続して、昨日からひたすら通電しています。自宅で運用する局では、内部電池が無くなって、内部電池の交換になる事はあり得ませんが、完全な移動オンリー局であれば、余計な手間が掛かるものだとつくづく思ってしまいますね。 (2日間の充電で1ヶ月程持つそうです)

以下は、本日のメモリアルストーリーです。笑
前車の「アルファード・ハイブリッド」の頃の話です。その頃の目標は、「燃費の改善」一択でした。片道約50kmの通勤の足と、レジャーも兼ねて使用していたので、特に一般道の改善が急務と考えていました。そんな中、選んだオイルは「ルブテックのハイブリッドオイル」でした。ネットの口コミを見て購入を決めたのですが、ルブテックの社長が、ご自身の車であるエスティマハイブリッドで、燃費改善の効果を上げている点に注目したのが、購入の動機としては大きかったのでした。ルブテックのハイブリッドオイルは、リッター当り約4000円と言う、エンジンオイルでは、特別高価なオイルでした。逆に高めの価格ゆえに期待度もアップしました。

取り敢えず、4.5リットルを注文し、車検時にトヨタディーラーに持ち込んで、交換して貰いました。他にも、「ボロンナイトライド」と言う添加剤もプラス購入していたので、折をみて投入する予定にしていました。ルブテックオイルの購入に合わせて、タイヤもブリジストンのミニバン専用の「PRV」タイヤにも交換して、本当に力を入れていました。購入前には、ルブテックの社長だった佐藤氏とメールのやり取りを行い、前出ですが、私の車と同じエンジンを搭載していた「エスティマ・ハイブリッド」を15万kmまで管理していた実績から、私のアルファード・ハイブリッドの燃費改善サクセスストーリーを展開して頂いたのでした。

それによると、既存のオイルとルブテックのハイブリッドオイルとの交換で、約1~2kmの燃費改善が期待でき、添加剤「ボロンナイトライド」の追加投入で、更に約1~2kmの改善が期待できる。従って、トータルでは、約2~4kmの燃費の改善が期待出来るとの、社長の返答に舞い上がってしまいます。交換直後から、期待度マックスでしたが、結局のところ、最高燃費としては山陽道から名神、東名と、高速道路オンリーで横浜に行った際に記録した「リッター当たり14.8km」がベストとなりました。しかし、その記録を出すのにも、坂道は登坂車線をノロノロと運転して、かなりのストレスが溜まりました。

ルブテックオイルの最終評価としては、やはり、乾燥重量でも2トンを超える、重量級ハイブリッド車の燃費を改善するのは、所詮は無理筋の話だったと言う結論でした。少しでも燃費を改善したいが為に、歩くだけでも汗をかく程の真夏の炎天下でも、エアコンを切って、窓を全開にして走っていた頃が、愚かしくも懐かしい情景です。従って、日産エクストレイルに乗り換えて、エアコンをフル稼働させても、燃費を稼げる環境に嬉しさを感じると同時に、どうせ燃費改善なんて無理だったのなら、汗を流しながらアルファード・ハイブリッドに乗っていた、無駄に失われた時間が口惜しい限りですね。
Posted at 2024/06/11 16:40:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月10日 イイね!

学生時代からの「餃子の王将」ファン

学生時代からの「餃子の王将」ファン私は「餃子の王将」の大ファンです。会社の上司からは、就職先を間違えたなと、よく揶揄われたものでした。京都で学生を始めた頃からの、自他共に認める京都王将ファンですから、王将には格段の思い入れがあります。学生の頃は京都上賀茂にある御園橋店に通ったものです。その多くのタイミングは、王将の2~3軒隣にあったゲームセンター(インベーダーです。笑)に行くついでに、食べに行く事が多かった気がします。当時の王将の多くは、厨房の従業員が見えないくらいに、黄色のスダレ状のメニュー(定食)をカウンターを覆っていました。

今も昔も、京都は学生の街です。大袈裟な表現ではなく、長期の休みとかには、王将を含めて、京都市内の学生がマジで減っていた印象ですね。当時の京都王将は、京都市内にしか無かった事もあり、主に学生をターゲットにした、メニュー展開だった気がします。今でこそ全国展開して、ファミリー層をターゲットにしてる感がありますが、京都から育った「餃子の王将」は、学生が育てた中華レストランと言えるかも知れません。これは、店舗独自かも知れませんが、学生を目当てにしたイベントも多々ありました。

例えば、「昼のピークに皿洗いを30分間すると、当日の食事が無料」とか、「餃子10人前を30分で食べると無料になる」とかですね。痩せの大食いと揶揄されていた私も、挑戦しようと考えた事がありましたが、挑戦した友人の話で止めることにしました。友人によると、「熱々の餃子で口の中が火傷する上、後半になると餃子の脂分が堪える」との話で、結局、挑戦する事は止めにした事がありました。ちなみに、友人は9人前でダウンしたとの話でした。当時の私は10人前を食べる自信はありました。

学生時代には、主に「貸し物屋」と呼ばれるアルバイトをしていましたが、ホテルの宴会場に看板を設置したり、屋台を貸したり、赤い毛氈を敷いた床机を設置する仕事でしたが、その倉庫が京都市山科区にありました。その関係で、山科区にある京都王将の本店にも行った事がありました。その時は、本店だから気前良く大盛りにしてくれる事を期待したものの、量は逆に少なかった印象でしたね。そんな王将側の姿勢に落胆して、二度と本店には足を踏み入れていません。

当時、こんな話を聞いた事がありました。それは、四国の中華料理チェーンに「どんどん餃子」という会社があったのですが、そこの社長が、京都王将に修行に来ていて、郷里である四国に帰ってオープンさせたと言う話でした。いわゆる暖簾分け的の様なんですが、大阪箕面(会社は兵庫県西宮市)から高松に転勤した頃、当時、丸亀市にあった「どんどん餃子」に行った事がありました。前出のエピソード(噂話)を思い出した私は、期待感を持って店に入ったものでした。

そこに、期待?通りの、昔の王将スタイルを発見します。それは、当時のキャッチ・フレーズであった「早くて、うまくて、安い」でしたが、それにプラスして、どんどん餃子には「汚い」がありました。王将創成期の頃と似た感じで、黄色のスダレメニューを採用していました。私はカウンターに座り、メニューの中から、焼きそばと炒飯、それに餃子を選んで注文したのですが、その時、焼きそばと炒飯のサイズを大盛りにしたところ、横にいた客から待った!が掛かったのでした。

その客は常連らしく「兄ちゃん!大盛りはやめとき!むしろ、小サイズにするのがええで!」と進言して来たのでした。どんどん餃子の従業員も「そうだ!」と言わんばかりに頷いています。私も、その助言に従って、小サイズの焼きそばと炒飯を注文したしました。目の前で調理する従業員を見ていると、半端ない量の調理がされていて、私が驚く姿を見て、その客はドヤ顔で、こちらを見ていました。到着した料理も、京都王将を凌駕するボリューム感でした。善意の第三者の客の助言は大正解でした。

そんな時、厨房に鼠がいた様で、サラリと「ネズミやな」と事もなげに言う姿にドン引きもしましたし、その料理の衛生状態も気にはなりましたが、どんどん餃子の焼きそばも、炒飯も美味い!の一言に尽きました。しかし、残念な事に、肝心の「餃子」が違ったのです。王将の餃子は、餃子自体に味がしっかりついていますが、どんどん餃子の餃子は、何故か味がしないのです。つまり、タレがないと食べられない状態でした。その時は、どんどん餃子の社長は、スタイルばっかり真似して、肝心の餃子の味を修行し忘れたのか?と落胆したものでした。

それから東京進出1号店にも、高校時代の友人と行った事がありました。東京の最初の店舗は、歌舞伎町店だったと記憶しています。開店当初はフルメニューでは無く、王将の中でも定番と言える、餃子や唐揚げ、その他の人気メニューでオープンさせてました。一緒に行った友人は、当時、仕事で東京に住んでいましたが、私に劣らずの大食漢だった事もあり、店内に居た外国人客を意識して、若干のパフォーマンスを加えて、友人と私は、餃子を10人前づつ注文したものでした。

当然として、外国人客からは、20人前に盛られた大皿近くに来て、オーバーアクション気味に驚かれましたが、日本人客からは、「えええーっ!餃子を合わせて20人前??あんた!それは、無謀を通り越して単なる〇〇やで!」と呆れられてしまいました。しかし、私達が、その20人前の餃子を、いとも簡単そうな雰囲気を纏って、黙々と胃袋の中に収まっていく様を見ていた店内の客は、最後の餃子が、私の口に入ったタイミングで、拍手喝采と相成りましたね。

徳島県の阿南市の仕事で出張していた時、休日にわざわざ探して、餃子の王将に行った事がありました。普通に焼そばを注文したところ、何故か、いつもの醤油焼きそばでは無く、ソース焼そばが出て来た事がありました。それまでは、王将の焼そばと言えば、独特の甘辛醤油味の焼そばオンリーでしたから、そのつもりで注文したにも関わらず、ソース焼そばが出てきたのでした。ソース焼きそばでも問題無かったので、そのソース焼きそばを見て、時代の要請に応じて王将も変化して来てるんだなと感心したものでした。

それ以降は、焼きそばを注文する時には、醤油味なのか、ソース味なのかを確認するようになりました。それから、自他共に認める王将ファンの私は、友人に王将を勧める度に、王将はラーメン屋ではないので、ラーメンだけは推奨出来ないですね。と口癖の様に言ってました。しかし、仕事で北九州に行った時、近くにあった餃子の王将に行く機会があったのですが、九州の王将のラーメンが、激うまのとんこつラーメンだった事もあって、以降は、ラーメンも食する様になりましたし、友人にも勧める様にもなりました。

島根県に出張に行った時、近くには京都王将はありませんでしたが、少し走る事にはなりましたが、お隣りの浜田市には、大阪王将があり、仕事帰りに立ち寄った事がありました。大阪王将には、過去に利用した際、餃子にパリパリ感が無く、焼売に似た食感だった事もあり、敬遠して来た事情がありました。それ以降、長年に渡って、友人から感想を聞かれた際には、大阪王将は個人的には推奨出来ませんねと言ってたのですが、島根県の大阪王将を経験してからは、大阪王将は「高いけど美味い」に評価は変わりました。

島根県で訪れた大阪王将は、中華料理店には似つかわしくない、かなりお洒落な雰囲気で、料理の方も割と洗練された品々で、それまでの大阪王将の悪しきイメージを、払拭するには充分なインパクトでした。ただ、それぞれ、個々の料理に関しては、長年に渡り愛顧して来た京都王将に分があると感じるのの、大阪王将も決して不味くは無いと言うのが、現在の評価ではあります。ただ、餃子に関しては、京都王将に比べて小振りであるのが残念ですね。

最近では餃子の王将で10人前は到底無理になりましたが、例えば、7人前の餃子を京都王将と大阪王将で試した場合には、大阪王将は割と容易く達成出来ますが、京都王将ではかなりの苦戦を強いられます。その辺りからも、京都王将の餃子の方が大きいと感じるのですね。それと、京都王将の格安の醤油焼そばに対して、大阪王将の焼きそばは、お洒落感は感じるものの、価格が高過ぎると感じていましたが、現在はどうなのか気になるところです。
Posted at 2024/06/10 14:23:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月08日 イイね!

一週間振りのQRVと「ベンチマークテスト」

一週間振りのQRVと「ベンチマークテスト」本日は、午後から雨の予報だった為、午前中が勝負とばかりに、朝食後の9時過ぎから「いつもの公園」に移動運用に出掛けました。運用する公園の高さを選ぶ際、トイレに行きたかった事もあり、運用場所の近隣にトイレがある最長部を選択した時点で、本日の運用に暗雲が立ち込めて来ていました。最頂部の駐車スペースには、上空に電線があった事で、駐車スペースに至る前の坂道にタイヤベースを設置する事にします。いつもなら、タイヤに接近させてタイヤベースを設置するところ、車体も斜めになる事から、アンテナポールが、車体に接触する可能性を考えて、タイヤベースをタイヤから離して設置しました。

その後、車のルーフにもCR8900アンテナを設置して、ダッシュボードにはIC-705。助手席には、IC-7300Mと言う2台体制で準備を終えました。最初の運用周波数は、29FMとして、ワッチに入ると、29.200で、いきなり韓国の局の変調が入感して来ました。しかし、そのコンディションは不安定だったので、29.220に切り替えると、千葉県の長生郡に移動していたJE8/1局が59オーバーで飛び込んで来ました。韓国局に後ろ髪を引かれながらも、JE8/1局と交信する事にして、引き継ぎワッチすると既知のローカル局がCQを送る声を聴きます。しかし、コンディションが安定せずで、交信が不成立となりました。

続いて、私もコールを送ったものの、29.220には様々なエリアの交信が重なっている様で、酷いQRMが混ざってしまい、中々、コールサインを取って貰えませんでした。そこで、出力を30ワットから50ワットにアップして、それでも酷いQRMの中、何とかQSOが成立しました。そこで、ある事に気付きます。それは、何故かローテーターが作動していませんでした。壊れたのか?と考えて、車外に出てアンテナポールを降ろして、最下段でローテーターのスイッチを入れてみました。すると、普通に動いたので、斜め環境でのローテーターの作動は、重量が2kgのV型ダイポールでは厳しい事が判明したのでした。

そうなると、ローテーターが無いHFの運用は厳しいと考え出したものの、丁度、29FMもコンディションが落ちて来たので、他の周波数を覗いてみました。しかし、他の周波数から、変調が聴こえる事はありませんでした。そこで、HF帯は諦める事にします。144/430MHz帯にQRVする為に、IC-705もダッシュボードに設置してあったので、早速、144MHzからワッチに入ります。しかし、何も聴こえて来なかったので、430MHzにQSYしてワッチに入りましたが、こちらもバンド内は静かでした。そこで、メインで試しにCQを出すも、思いっ切り空振りしてしまいます。それでも諦めずに連発して、そして玉砕しました。ガッツリ地方の悲哀を体感した次第です。笑

私がパソコンに詳しい人から、最初に教えて貰った考え方は、CPUは頭脳、メモリーは机、ハードディスクは倉庫でした。いくら倉庫が大きくても、他が小さければ効率が悪く、頭脳明晰でも、他が小さければ意味を成さない。つまりは、それぞれのパーツは、バランス良く配置してこそ、真価を発揮すると言う例えと理解したものでした。パソコンの心臓部、CPUの巨大メーカーであるインテルが提唱した理論である「ムーアの法則」。それは、インテルの創業者の1人であるゴードン・ムーア博士が提唱した、大規模集積回路(LSIやIC)の製造・生産における長期傾向について論じた、ある意味、インテルに都合良く作られた理論と言えるものでした。

先ずは、集積回路あたりの部品が毎年2倍となると予測し、この成長率は少なくともあと10年は続くと予測しました。1975年には、次の10年を見据えて、2年ごとに2倍になるという修正します。彼の予測は1975年以降も維持され、それ以来「ムーアの法則」として知られるようになりました。この法則は、ロード・マップなる図式で表されていますが、これは、インテルがこれから歩む未来のCPUの進化を予測した図式であり、つまり、インテルがそのロード・マップに沿った形で新CPUを投入すれば確実に儲かると言うサクセス・ロードでもあるのでした。そこに待ったをかけた会社が「AMD=Advanced Micro Devices, Inc」でした。

当初はインテル互換のCPU(インテルに許可を受けたCPU)のメーカーでした。しかし、新しいテクノロジーを提唱し、インテルの寡占化に待ったをかけてきたのです。次々とインテルに対抗馬を投入して、CPUのロード・マップもムーアの法則を遥かに凌駕して、超加速度的に進化していったものでした。今日では有名メーカーのCPUにも採用されて、そのテクノロジーは留まることを知らない確固たる地位を形成しているAMD。そのAMDがパソコン市場に台頭し始めた頃、時代は「ベンチ・マーク競争ブーム」でした。ベンチ・マークとはパソコンに使用されている各部品の性能や、そのパソコンの総合的な性能を数字に表して、そのスコアで優劣を競うネット上のある種の遊びです。

ベンチ・マーク競争ブームは、特定のベンチ・マークソフトを基準として、全国各地のマニア(廃人)が、そのソフトを使用して、自分のパソコンで計測されたスコアを、特定の掲示板に貼り付けては、競い合う熾烈な自己アピール合戦でした。それと同時に、多くの支持者のもと、CPUを嵩上げするスキルも進化して行きました。それは、クロックアップと呼称される、CPUの基本速度を嵩上げアップさせると言うものでしたが、通常のCPUであれば、100MHzという基本速度(FSB)を3.6倍の360MHzで動かすところ、それよりも高い倍率の5.5倍の速度にアップさせて、550MHzで動かす事でスコアのアップを図るというものでした。

当時、Celeron(セレロン)360なるCPUが、クロックアップ界隈を賑わしていました。どこで製造されたものが良いとか、製造のロットだと何番が良いとか、〇〇製造国のCPUがクロック・アップに耐性があるとかの情報が駆け巡っていました。例に漏れず、私もCeleronユーザーでした。当時、パソコン雑誌で、CPUの冷却にペルチェ素子を使用して、結露が生じてしまい、マザーボードに深刻なダメージを負ってしまったとか、クロックアップで、CPUを壊してしまったとかの残念エピソードを読みながらも、クロックアップの肝は、やはりCPUの冷却であり、引いてはパソコンケース内のエアーサーキュレーションだと分かってはいました。

しかし、私も潤沢に資金がある訳でも無いので、自分のパソコンで出来る放熱対策を模索したものでした。そんな中、ある時は、パソコンのミドルケースの蓋を開けて、家庭用クーラーの噴出し口の近くに、パソコンを移動させ、扇風機で直接CPUを冷やしながら、ベンチマークソフトを起動して計測した事もありました。やがて、ビデオ・カード(パソコンの色と画面の広さを司る部品)のクロック・アップにも手を出して行く事になりました。後半はセレロン360を、550MHzから微増の560MHzにクロック・アップし、そのCPUを2個のデュアルCPUで構成し、OSもWindows NTを使ったりしました。極め付けは、ビデオ・カードもモンスター3Dの2枚挿しでした。(SLI接続)

このモンスター3Dというビデオ・カードですが、当時、パソコン・ゲームの多くがVGA(画面の広さが640×480)だったのを、2枚挿しのSLI接続だとXGA(画面の広さが1024×768)になり「クォーク」というゲームで血の形状がカクカクしてたのが、XGAになってリアルな血の形状に変化すると言う、今では想像出来ない様な微微たる変化にも一喜一憂したものです。それ以降はMatroxのG-400と言うビデオカードを使用したのですが、このカードも色彩の美しさに秀逸なカードでしたから、結構、重宝したものでした。潤沢な資金は無かったものの、買ったり売ったりの繰り返しで、マニアック度を深めて行きましたね。笑

私の興味は、やがてWindowsからLinux(リナックス)に移行して行きます。たまたま観た「X-Windows」なる幻想的なインターフェイスのThemsの世界観に傾倒してしまい、怖いもの見たさではありませんが、そのMS/DOSの世界にも相通ずる、難解とも言える敷居の高さに興味を惹かれて行きました。システム的には、パソコンのミドルタワーの前面で、OSを入れ替える様にもなり、徐々にベンチ・マークの世界から遠のいて行った気がします。それまでは、時間の掛かるOSの入れ替えも日常茶飯事で行い、実に無駄な時間を費やしたものだと思います。それで得たパソコンの知識も、日進月歩の現代では、形骸化した過去の遺物レベルに成り果てています。
Posted at 2024/06/08 17:19:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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