
8月14日に高槻の局と交信した際、「いつ広島に帰るんですか?」と言う問い掛けに対して、私は「明日(15日)に帰る予定です」と答えたものの、家内の実家に帰って、ゴリ押し気味に確認すると「おしょらいさんを送ってから帰るって言うたやろ?それって16日のことやで」と言われた事で、早速、高槻の局にLINEで「15日に帰ると言いましたが、16日の間違いでした」と送った次第です。笑
京都では先祖の霊のことを「おしょらいさん=お精霊さん」と呼びます。家内の実家でもその風習は根付いていて、私達が8月12日に京都市左京区にある家内の実家付近に辿り着いた際、小野小町が晩年を過ごしたと言われる「小町寺=補陀洛寺」の直近にある菩提寺に墓参りした後で、実家には寄らず、静原町からの山越えで大原に抜けて、滋賀途中(途中峠)で一旦滋賀県に入るも、また、京都市左京区に入り、久多の「北山友禅菊」に立ち寄ってから、来た道を引き返して家内の実家に帰省しました。
前置きが長くなりましたが、補陀洛寺の直近にある菩提寺の墓所にお参りした、8月12日には御先祖様は、まだ菩提寺の墓所に居ると言う大前提があるのですね。翌日の8月13日の夕方に鐘を撞きながら松明を焚いて、御先祖様をお迎えしました。更に翌日には菩提寺の住職が実家の仏壇にお参りしてくれました。(お義母さんは御布施を3千円包んでましたね)8月15日は何も無くて、8月16日の朝には御見送りの為に、昔は、お盆の間に仏壇にお供えしていた果物やお菓子を、川に流す事で御先祖様をお見送りしていたそうです。
しかし、今では環境破壊も甚だしい、これらの風習は、近くお寺に設けられた回収箱に納める形式に代わっています。そして、その夜には上記の様な個々の家庭の儀式とは別に、京都全体の儀式として、現世に帰ってきた「おしょらいさん」を、再び冥土へと送り出す行事として、「五山送り火」があるのですね。家内としては、8月16日の朝にお見送りをしてから帰ると言う選択を私に告げたものの、本音では8月16日の五山送り火を見届けてから、翌日の8月17日に帰る選択したかった様でしたが、私が帰る気満々だった事で、その気持ちは封印した様でした。
しかし、8月16日に帰った事で、8月17日に帰りのルートを襲った集中豪雨からは免れた事は確かな事実としてありました。京都好きの長男からは「どうせなら五山の送り火を観てから帰れば良かったのに」と言われた時に、「結果的には集中豪雨に遭遇しないで帰って来れたので良かった」と答えていたので、結果オーライの巻でしたね。一方、アマチュア無線の方ですが、私の頭の中で、広島に帰る日を8月15日から8月16日に変更した事で、一日空いた日をどう過ごそうか考えた時、家内から唐突に言われたのでした。
「明日も比叡山に無線に行く気?」この問い掛けに、瞬時に絶好のチャンスと捉えた私は、極力、ポーカーフェイスを装い「そのつもりやけど、何で?」と答えました。家内は続けて「朝から夕方まで行く気?」私は「そうせんと、1700円が勿体ないやろ!」と言い切ります。それを受けて、家内は「何なら今日帰ってもええよ」と私の比叡山行きを阻止する構えの様です。そこで私は「お義母さんの手前、そう言う訳には行かんやろ」と言う言葉で、それ以上の言及はありませんでしたね。それでも家内としては、一日位は京都の実家で過ごせば良いのに!と言う思いがあった様でした。
私が実家に居るなら、車で行きたいところにも行けると言う事で、宇治にいる親友の所を訪れても良いし、京都市内の映える観光地に行くのも自由自在と考えていた様でした。第7波のコロナ禍でもあり、公共交通機関を使うと言う選択肢は考えられなかったと言う事もあった様でした。(比叡山から帰ってから色々と言われました)結局、出番は無かったものの、実は私も比叡山に行けても一日だけだろうと考えて、京都の実家での暇潰し目的で、Amazonの prime videoを多数ダウンロードして持って来ていたのですね。しかし、今回の帰省では体調が悪くなった長男家族が居なかった事で、家内も含めて滞在中の自由度が増したのでした。
8月15日の午前9時過ぎに出発した私は、近所のコンビニで昼食用の菓子パンや調理パンを買い求め、比叡山の山頂に到着したのは、午前10時過ぎでした。準備が整って無線機のスイッチを入れたところ、29FMはノイズだらけの状態で、コンディションは昨日と変わらない状況に落胆したものの、気分を切り替えて、午前10時半頃から21MHz帯のSSBモードでスタートする事にしました。滋賀県の大津市の固定局との交信を皮切りに、東大阪市の移動局と交信した後、大阪府泉南郡熊取町の雨山に移動されていた、僅か500mW出力の移動局と59(信号強度です)で交信が成立しました。次に29FMに移ったところ、大阪府茨木市の固定局との交信が成立した時点で、トイレと昼食タイムと相成りました。
昼食後は、アンテナをCR8900に変更して50MHzのFMモードでCQを出したところ、12時半頃に大阪府高槻市のLINE交換したフレンド局からのコールバックがあり、その局の50MHz帯の自作デルタループの話に花が咲きました。その局からは、アンテナベースとポールは必要になるけど、無調整で直ぐに使えるものだから自宅に送りましょう!と仰ってくれたものの、まだまだオペレーションが覚束ない輩ですから、アンテナに凝るほどの余裕はありません。と固持しましたね。しかも、アンテナアナライザーも必要になるらしく、それを持ってない私にとっては、更に敷居の上がる要因にもなっていたのでした。
高槻市の局との交信が終わってからは、昨日に続いて144MHzにも出てみたくなりました。しかし、昨日のSWR値の事もあったので、一瞬、躊躇したものの、それでも運用したいと言う気持ちが強くなった事で準備に入る事にしました。昨日と同様にマグネット基台の同軸ケーブルを後部ドアの窓ガラスの隙間から通し、アンテナチューナーを介さず無線機に直結しました。そこで、昨日と同じではSWRの改善が望めない事から、CR8900の説明書を見ながら色々と考えた結果、もしかしたら、車のルーフに設置してあるアースマット(MAT-50)が元凶だったのでは?と言う仮説に行き着きました。と言うのは、説明書に「アースの必要のないノンラジアルタイプです」と言う文言が載っていたからでした。
私はルーフに設置してある2枚のMAT-50をマグネット基台から取り外して、CR8900を設置し直しました。そして、車に戻って無線機のSWR計で確認すると、SWR値が目分量で1.6程度に落ちていたのでした。それでもまだまだ高めの数値ではありましたが、昨日よりも下がっていた事で、気を良くした私は、昨日と同様に144MHzのSSBモードをワッチしていると、CQを連呼する局に遭遇しました。すると、その局が昨日、144MHz帯のSSBモードで交信した滋賀県彦根市の移動局だと判明するのでした。この日の移動地は滋賀県愛知郡愛荘町でしたね。その後、この局と2回目の交信を楽しんだ後、今度は144MHz帯のFMモードにも挑戦しようとモードを変更したのでした。
すると、運良く、144MHz帯のメイン周波数でCQを出していた局に遭遇して、呼んだのですが、その局はルーティンワークの様に、ただ単にCQを出して走っていた様で、まさかのコールバックに大いに慌てていました。しかも、59オーバーで電波が入感していた事で、スーパーローカルの局だとも考えていた様でした。しかし、比叡山山頂からの局だと知ってからは、とても驚かれていました。流石の標高の威力でしたね。続いては、430MHz帯のFMモードにも移りました。すると、そこでCQを出していた局が、3局目に21MHz帯のSSBで交信した大阪府泉南郡熊取町の雨山の移動局でした。430MHz帯のFMモードでは、流石に出力が2.5Wにアップされてましたが、それでも59同士の交信で終われたのは素晴らしい体験でした。
その後は、21MHz帯のSSBモードに戻り、大阪府堺市の局と京都市西京区の局と交信した後、京都市北区の局と交信したのですが、この局とは波長が合ったのでしょうね。初めての交信にも関わらず、2時間越えになるロングQSOとなりました。その局が2アマ以上の資格持ちで、FT8の運用もされていて、私と同じIC-705を使用されていた事にもシンパシーを感じたのですね。彼はFT8では200Wの出力で運用するらしく、それでもリニアアンプを使用する局には敵わないとも話していました。この局の次に繋がった局は、多分、私達のやたら長い交信に痺れを切らしていたのでしょう。私がこれにてQRT(交信の終了)します!のアナウンスを無視する形で呼んで来ました。その局はD-STARをやってると言う事で次回は、D-STARでお会い出来たら嬉しいです。と締め括ったのでした。
8月16日は、おしょらいさんを近くのお寺に送りに行った後で、午前10時過ぎの出発となりました。前日の夜に、帰りの道すがら映えるスポットに立ち寄って帰りたいと言う家内のリクエストにより、復路は淡路市にある、ひまわりが21万本咲き誇る「兵庫県立公園あわじ花さじき」に立ち寄ってから帰る事にしたのでした。つまり、四国に回って帰るならと「帰り道にどこかに立ち寄って無線してもええ?」と、さり気なく言うと、家内からは「ええよ!」と言う好返答が返って来たのでした。私はすかさず、あまり復路の移動時間に影響を与えない候補地として、先ずは小高い場所にあった「兵庫県立公園あわじ花さじき」と、高松市に住んでいた時に良く無線運用していた「坂出市にある城山」とする事にして、早速、高槻市の局にLINEで、帰る道すがら上記の2箇所で運用する事を伝えたのでした。
すると、高槻市の局は「今のポイントからだと私の所とは、近距離Eスポでも無いと難しいですね」と言ったのでした。話を戻して8月16日の午前10時過ぎに出発した私達は、その後、順調に明石大橋を渡って12時過ぎに「兵庫県立公園あわじ花さじき」に到着しました。しかし、21万本のひまわり畑は、既に旬が過ぎていて、拍子抜けする様なものでした。既に枯れてしまい抜いた後の様な畑もありましたね。高低差もあったので、炎天下で身体も疲れやすく、ある程度、見学した後であわじ花さじきを後にしました。家内は、あわじ花さじきの敷地内にあったカフェでの昼食を望んだものの、疲れ果てていた私が一際高い位置にあったカフェを嫌って駐車場を選んだと言う事もありました。(無線をする元気はありませんでした)
神戸淡路鳴門自動車道に乗ってからは、最初の緑PAをパスした後、キッチンマークのあった淡路島南PAで食事を摂った後、大鳴門橋から久し振りの高松道に入りました。府中湖スマートインターチェンジから一般道に降りてからは、一路、城山を目指しました。すると広大な蓮池に遭遇して、リクエストにより車から降りた家内をひたすら待ちました。その道は通行量も多く、おまけに狭い道だったので、車をその都度、動かしては耐え忍びましたね。城山に到着すると、32年前の姿とは当然として異なる公園化していて、かつての面影がありませんでした。私は粛々と無線の準備を進め、準備が出来たところで、大いなる期待感を持って無線機のスイッチを入れたものの、21MHz帯〜430MHz帯まで、ノイズの嵐で交信が叶わず失意の元に城山をあとにしたのでした。(大袈裟。笑)
その後は、瀬戸大橋を渡って山陽自動車道に入り、福山サービスエリアで給油をしてから、五日市インターチェンジに無事に辿り着きました。夕食をサービスエリアで取ろうとも考えましたが、京都では割と寿司が多かった事もあり、定番のくら寿司にも行く気が無く、牛丼と言う気分でも無かったので、久し振りのマクドナルドに立ち寄る事にしました。私はビッグマックの倍マックとソフトツイストを注文し、家内はフィレオフィッシュとマックシェイクと言う、至ってリーズナブルな夕食と相成りました。その後は家内を先に自宅マンションに送り届け、私は指定駐車場に入庫して帰宅したのでした。
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2022/08/20 17:59:07