
愛媛県松山市では、神泉園ユースホステルに宿泊しました。道後温泉では坊ちゃんの湯である「神の湯」の個室セットを注文して、ひとつ上の楽しみ方を満喫します。その頃には、ユースホステルによっては、ミーティングが無かったり、ミーティングがある場合にも、そのスタイルも様々に存在していて、地域の歴史を伝える様な静かなミーティングもあれば、歌や踊りで特色を出すミーティングもある事は経験値として、蓄えられつつありましたが、何れにしても、ユースホステルと言う場所に対する好印象と共に、参加者相互の親睦を図る「ミーティング」と言うツールに感銘を受けていました。
松山市の次に選ぶ候補地としては、その時点では、「人気のユースホステル」とハンドブックには記載があったものの、わざわざ、別途、料金を追加して船に乗って行く小豆島の「オリーブユースホステル」の選択肢は外していたので、あとは、高松市のユースに行くしか無いと考えていた事もあって、高松市に到着した時点で、楽しかった四国ツーリングも遂に終わりを告げて、再び、来たルートで京都に帰るしか無いと、ノスタルジックな思いに耽っていました。しかし、終わる事は、分かってはいたものの、何か、物足りなさも同時に感じていました。そんな中、選んだ高松市のユースは屋島ユースホステルでした。
当時の屋島ユースホステルは「ミニ草鞋作り」と共に、ペアレントが無類の卓球好きとのワードがハンドブックには書かれていました。早い時間帯に到着した私は、ペアレントと対戦すべく、卓球を申し込んだものの、食事の準備に忙殺されていたペアレントからは、色良い返事が貰えず、代わりに館内放送で対戦者を募ってあげるよ。と言ったかと思うと、直ぐに館内放送で、卓球室に寂しがり屋の1人の男が卓球相手を求めて待ってるよ!暇な人は行ってあげて!と呼び掛けたのでした。すると、直ぐに同世代と思われる3人の対戦者が現れたのでした。
丁度、3人来た事で、来た3人の内の2人がペアになり、残った1人と私はペアになりました。お互いに、軽い自己紹介をした後、暫しの卓球大会となりました。私の対戦相手となったH君は、コカコーラのアルミ缶を切り取って、ビニール紐で器用に繋ぎ合わせた、自作の帽子を被っていました。風貌としては、ボサボサ頭にサングラス姿の長身のとっぽい人でしたが、関西の大学に通う理系学生で、今回の旅行で、最初に泊まるユースが屋島ユースホステルだった様でした。私達は、交互にパートナーを変更しながら、卓球を楽しみました。途中でペアレントも見に来ましたが対戦する機会はありませんでしたね。
そのH君とは妙に馬が合い、一気に親密度が増しました。その後、屋島ユースホステルのミーティングとして開催されていた「ミニ草鞋」を作る頃には、埼玉から来ていた女子大学生と、福岡から来ていた女子大学生も交えた、4人のグループが出来上がっていました。翌日には、屋島ユースホステルに荷物を預かって貰って、屋島の山頂に観光にも一緒に行きました。すると、別々の場所から来ていた女子大学生2人が、偶然にも、その夜に予約しているユースホステルが、一時期、甲子園を沸かせた徳島県立池田高校がある「阿波池田ユースホステル」だと判明します。
まだ、旅行が足らないと感じていた私は、屋島ユースホステルから、その先の予定が決まって無かったH君と話をして、じゃあ、俺たちも阿波池田ユースホステルに行こう!と言う話になりました。そして、それぞれの予定で行く事にして、私はバイクで行き、それ以外の3人は電車で行く事にして別れたのでした。時間的に厳しい私は直接目指す必要があるものの、他の3人は、それならと予定を合わせて、一緒に阿波池田ユースホステルを目指すと言う事になった様でした。屋島ユースホステルを先行して出発した私は、屋島の坂道を下った最初の交差点で、出会い頭に乗用車と接触してしまいます。
接触は軽かったものの、向こう脛から血が出て、痛そうにしていた私に、恐れを成したのか、相手の車には、バイクが接触した際に、付いたと思われる傷があったにも関わらず、「もし、貴方が事故にしないと言うのであれば、このまま、お互いの痛み分けで、済む話になりますが、どうします?」と言われたので、こちらのバイクには傷は付いてなく、足の怪我も、観察する限りは、皮の薄い向こう脛が、少し擦りむいた程度だったので、阿波池田ユースホステルへの時間的な余裕も無かった事で、焦る気持ちもあり、その提案を承諾して挨拶をして別れました。その後、足の痛みは、徐々に引いて行きました。
その後は一路、阿波池田ユースホステルを目指したものの、途中で半端ない雨に遭遇して、ユースホステルに到着した時には、全身がズブ濡れになっていました。他にも私の様なライダーが沢山いて、皆んなで笑いながら、バイクに合羽を干したのでした。その後、食堂で再会した私達4人グループでしたが、他のホステラーやヘルパーさんからは、別々に到着した4人が、仲良く話しているのを見て、その理由を聞くまでは、どうしてだろう?と訝しげな目で見ていたそうでした。翌日には、大歩危小歩危で遊覧船に乗って、埼玉と福岡の女子大生とは別れました。
後に残った私とH君は、次は、何処に行こうか?となった時、この際だから、2人乗りでツーリングしようと言う話になります。しかし、2人乗りをする為には、肝心のヘルメットがありませんでした。そこで、大歩危小歩危の近所にあった、よろず屋(何でも売ってる様な小さな店です)に立ち寄って、「すいません!ヘルメットを盗られてしまって困ってます。何かありませんか?」と、そんなよろず屋に、ヘルメットが置いてある訳ないと思いながらも、店番していたお婆ちゃんに無茶振りすると、お婆ちゃんが、店の奥から、そんならと、ある物を持って来てくれたのでした。
それは、内張りの無い建設現場で使う様なプラスチックのヘルメットでしたが、全体に赤マジックで不細工に塗りたくっていました。お婆ちゃんは、こんなもんで良いならあげるよ!と言いました。私達は、まさかヘルメットは無いだろうと思っていたので、それには狂喜乱舞して、「本当に助かりました。そのヘルメットはお幾らですか?」と振ると、頑なに代金は要らないと言うお婆ちゃんに、せめて300円だけでも!と無理矢理に手渡して店を後にしました。紛い物のヘルメットを入手した私達は、2人乗りでツーリングの続きを始める事にします。何処に向かうか相談した結果、H君が松山に行きたいと行ったので、既に行った場所でしたが、H君に合わせて向かう事にしました。
その後、松山に向かう途中には、小さなスーパーに立ち寄って、食パンだけ買って、丸亀城の近くで、パンを分け合ってウマイ!ウマイ!と笑いながら食べたりした記憶が残っています。そんな中、当初の予定より、かなりずれ込んで、追加の旅行をしていたので、私の財布事情は割と切迫していました。そこで、本当は使いたく無かった最終手段として、当時、松山近郊に住んでいた6歳違いの次姉に、お金を借りに行く事にします。次姉は、大手化学メーカーのご主人(義兄)の転勤に伴い、たまたま松山近郊に住んでいました。次姉に事情を話すと、次姉は快諾してくれたので、ホッとしたのでした。
松山市では、再び、神泉園ユースホステルに宿泊した私達でしたが、私とH君の会話が、掛け合い漫才の様に感じたのか、他のホステラーから次々と話し掛けられて、いつの間にか、楽しいホステラーの和が出来上がっていました。その流れで近くの温泉である「道後温泉椿湯」に行こうと言う話になって、皆んなでゾロゾロと入湯しに行ったりしました。夜のミーティング時には、私とH君以外のホステラーが、一様にユースに慣れて無い事が分かったので、必然的に、私とH君が場を仕切る形になり、旧知の間柄の様に、お互いにボケとツッコミを阿吽の呼吸で切り替えながら、ミーティングを盛り上げる事になりました。
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2024/05/23 06:51:54