
2024年10月6日は、久し振りに嵩山(だけさん)に行こう!」と思い立ちます。嵩山と言うのは、山口県大島郡周防大島町にある、標高が618mの山で、ハングライダーの離陸場(テイクオフ場)が併設された山で、1990年代には2回の移動運用経験があり、2022年に再開局した際にも、29FMのEスポシーズンに嵩山に訪れた際、東北エリア各局からパイルアップ気味に呼ばれたポジティブイメージな場所でもありました。しかし、2023年1月中旬に訪れた際には、山頂付近にあるトイレまでは行けたものの、それより先の頂上エリアには、車止めがガッチリと施錠されていました。
おまけにカラーコーンも置いていたので、144/430MHz帯でQRV予定だったところ、やむなく、トイレ横で21MHz帯を運用する羽目に陥りました。ただ、後で知った事ですが、嵩山は、凍結時期には頂上には行けないらしく、それを知らなかった、私の単なるミスだったのでした。一方、10月5日の午後から、京都の実家を経由して千葉に住む長女宅に向かった家内には、そのタイミングでは移動運用は未確定だった事もあり、行く行かないは別として、一応、日曜日には何処かしらに移動運用に行く旨は伝えていたので、嵩山に行く事自体には問題はありませんでした。
その後、夕方になって目的地を嵩山に決める訳ですが、それにはある理由がありました。嵩山は、久し振りとなる移動地ではありましたが、実はそれだけではありませんでした。これまで、簡易ローテーターを使用して、DO-2B8アンテナを回転させるのは、9ボルト乾電池1個でしたが、風が強い日には抑圧を受けて、風上方向には、向ける事が叶いませんでした。しかし、ポータブル電源に装備されているシガーソケットから、12ボルト電源を取り出して、簡易ローテーターに供給する事が可能になった今、強風時には簡易ローテーターは、動いてくれるのか?と言う疑問を解決する移動運用でもあったのでした。
しかし、検証作業であれば「いつもの公園」でも良かったのですが、いつもの公園では標高が120〜130m程度しか無く、天気予報で風の予報があっても、強風を感じた事も皆無だったので、より高い山に拘った経緯でした。しかも、どうせなら、アマチュア無線的にも、久し振りでもあり、より楽しめる場所と言う位置付けで、選んだ場所でもあるのでした。と言う事で、嵩山には気合を入れて、早朝6時からの出発にする事にしました。嵩山までの行程は、Google mapでは約1時間半でした。2024年10月6日は、朝の5時に起床して、身支度を整えてから朝食を摂り、自宅を出発したのは、6時を少し過ぎた頃でした。
その後、順調に進み、周防大島町のJA-GASステーションで給油し、コンビニで昼食用のパンを購入して、嵩山の登山道に向かいました。嵩山久賀港線を進む内に、大島オレンジロードとの交差点が現れました。そこで、大きな失敗を冒す事になります。その交差点は、直進しなけれはならないところでしたが、1年半の空白が、うっかり、大島オレンジロードを右折する方を選んでしまったのでした。その後は、まさか間違えたとは、少しも考えて無かった私が第二の失敗を冒す事になります。なかなか、分岐が現れない事に焦った私は、路肩に停車してGoogle mapを起動して、そこに嵩山への脇道を見出したのでした。
その入り口は、割と狭く、しかも急勾配でした。そのまま、走らせて行くうちに、その道が過去には通った事のない道だと認識した時には、後戻りする事は出来ない状況になっていました。その道には、Uターンするスペースも皆無で、しかもバックで後戻りさせるには無理がある狭路でした。もう行くしか無いと決めた私は、直ぐに厳しい現実と対峙する事になりました。ただでさえ狭路の上に、倒れた竹や樹木が道に覆い被さり、その都度、無理して車から降りては撤去していましたが、降りる事も儘ならない状態になって以降は、車体に当たる障害物は止む無しの境地になっていました。
とにかく、この狭路を抜ける事を、最優先させて進む事を選んだのでした。そうして悪夢の時間が過ぎ去り、いつもの舗装された嵩山の登山道と合流する事が出来ました。その後、あと少しでトイレエリアに到達するところで、トイレの備品の補充に来ていた山口県の車と離合しました。山口県の車とすれ違った後、トイレエリアの横の状況を見て愕然とします。そこには、2023年1月中旬と同じで車止めがしてあったのでした。大きな落胆を感じながら、車をトイレエリアの駐車場に入れて、車から降りてボディの傷チェックに入りました。
しかし、下側には汚れもあったので、傷はあったものの、正確な状態は判別出来ませんでした。嵩山の頂上には行けないのであれば、長居は不要とばかりに、トイレで用を足した後、一気に正規の登山道を駆け下りて、海沿いのJA-GASステーションのセルフ洗車で、汚れを落とす事にしました。洗車後は、軽く車の下回りを中心にチェックしましたが、特に重篤な傷は発見出来なかった事で、少し気が楽になった事もあり、それまでは帰宅一択だった気持ちに変化が起こり、帰り道の途中にある岩国市の「銭壺山」にでも移動しようと考える様になっていました。
しかも、周囲に障害物の無い銭壺山であれば、風が吹けば遮るものが無い分、簡易ローテーターの抑圧チェックも可能と言う、ポジティブ志向にもなっていました。9時過ぎに銭壺山に到着すると、風が良い感じに吹いていました。粛々と準備を進めて、アンテナポールを最大に伸ばすと、ポールの曲がりが酷く、強度を考えて、各段共に短めにしたものの、それでも風の抑圧で片側に傾くので、その状態で簡易ローテーターの動作チェックをする事にしました。すると、流石の12ボルト電源でした。どんなに強風であっても、意図した方向にしっかりと回ってくれたので、大いに安心したのでした。
本来の目的は達成したものの、せっかく準備したのだからと、144MHzのFMモードを聴いてみると、既知のJJ6/6局が入感していたので、10時27分にコールを送り交信がスタートしました。JJ6/6局は、大分県中津市の八面山に移動されていました。ついでに430MHzのFMモードにもQSYすると、またしても既知のJJ5/5局が入感していたので、10時53分にコールを送り交信がスタートしました。JJ5/5局は徳島県三好市の矢筈山に移動されていました。その気になった私は、144MHz-FMのメインでCQを出してサブに移りました。
すると、11時5分に山口市の小浜山に移動されていた、初めての交信となったJR4/4局からコールバックがあり、交信がスタートしました。続いて、11時30分には、これまた初めてのJE6/4局からもコールバックを頂きました。JE6/4局は、東京都知事選に出馬した、石丸伸二氏が知事を勤めていた広島県安芸高田市にある、郡山城跡に移動されていました。その後は、周防大島町のコンビニに買っていた菓子パンで、ランチをした後、ボディに傷を負ってしまいましたが、簡易ローテーターの検証としては、成果を感じていたので一気に撤収して自宅に向かって帰りましたね。
写真は、最初に道を間違えた101号線です。101号線が正規ルートでしたが、右折してしまいました。
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2024/11/21 10:03:06