
2024年10月26日から27日には、日頃から29FMの普及に尽力されている、大分グループが主催する「令和6年 西日本・秋のGW交信を楽しむ日」に参加する為に、香川県仲多度郡まんのう町にある大川山(だいせんざん)で、QRVして来ました。1987年に大阪府箕面市で開局した私でしたが、そのキッカケとしては、箕面市の社宅(借り上げマンション)から、仕事先のある兵庫県西宮市の仕事先まで、車通勤する必要が生じたからでした。
そこで、中古ではありましたが、ISUZUのジェミニ・ディーゼルを、近所の中古車センターで初めてのマイカーとして購入した事が、開局のタイミングとしてはありました。大阪府箕面市に転勤する前は、社会人2年目に新婚生活を開始した、神戸市西区王塚台の賃貸マンションで、当初は、就職直後に購入したホンダの水冷バイクのGL-400があったものの、結婚後は、乗る機会が激減した事で、友人に残債込みで譲る事になりました。
GL-400を手放してからは、家内が独身時代に乗っていた、YAMAHAパッソルIIが、夫婦の足になりました。しかも、神戸市垂水区舞子駅の近くにあった仕事先までは、YAMAHAパッソルIIで通えていた事情もあり、車が必要な時には、レンタカーを借りていたので、特にマイカーを購入する必要性を感じて無かった事もありました。その後、同じ県内の西宮の仕事先に転籍するに当たり、大阪府箕面市に転居する事になります。
しかし、この転籍により、マイカーの購入を検討するに至ります。転籍した西宮の仕事先では、直属の上司を含めた社員全員が「遊び」に対して寛容で、「新天地でも頑張って行こう!」と言う、私の出鼻を挫く事にもなり、元来の遊び癖が呼び起こされて、小学生4年生で興味を持った「アマチュア無線」の資格取得に向けて、動き出す事になります。アマチュア無線は、友人宅の短波ラジオで、初めて交信を聴いた事で興味を持ちました。
しかし、当時、小学校の教員だった父親に、「あれは、電気屋の息子とか、特別な知識を持った人間にしか出来ない!」と一蹴されて諦めた経緯があり、その後も、中学生〜大学生まで、「取りたい時には、別の優先事項があり取れない」「取れる時期には、他に興味があり取れない」の繰り返しで、アマチュア無線には、心の片隅には、いつもあったものの、後一歩が踏み出せないと言う状況が続いていました。
そんな時、西宮の仕事先の緩い空気感も手伝ってくれて、その流れで上司に相談したところ、特別の配慮を頂き、三交代制の勤務の内、常に早朝のシフトに固定して貰えて、そのお陰で、JARL主催の電話級の講習会に参加する事が出来たのでした。当初は、国家試験の受験も考えたものの、たまたま、目にした講習会の情報で、安易に取得可能な道を選んだのでした。待望の従事者免許が到着してからは、開局に向けて一気に加速して行きました。
先ずは、大阪の日本橋にある無線ショップに車で向かう事にします。その後、店員に勧められるままに、アイコムの無線機に、興味をそそられて購入に至ります。その無線機はHF帯のトランシーバーに、オートアンテナチューナーと2.5mのステンレス製のアンテナが付属したモデルでしたが、その他にも付属品を購入して、総額は25万円程にもなりました。しかし、購入したものの、その設置方法に関しては、呆れる程に無知でした。
現在も変わり映えしませんが、特にアンテナの設置方法に関しては、説明書を見ても、理解力が恐ろしく劣っていた私に、そのイメージが湧かずに困っていたところ、見るに見かねたショップの店員さんが、店先で、牽引用フックに金具を固定して、2.5mのステンレス製アンテナだけは、設置してくれたのでした。それ以外の機器の設置方法は、説明書を見なくてもイメージとしてはありました。その後、何度も御礼を述べてショップを後にしました。
意気揚々の体で、無線機一式を持って自宅に帰宅した私でしたが、思いの外に高額だった無線機類に、当然として家内が渋い顔をしました。しかし、全ては後の祭り!として押し切った事は言うまでもありません。箕面市の住居は、阪急箕面線の半町駅(現在の桜井駅?)の近くの、2階建ての2階の部屋だったので、最初から固定局での運用は考えておらず、移動局として無線機を購入し、且つ、無線局申請をした経緯でした。
しかも、マンション下の駐車場も狭かった事から、車内のセットアップが出来ないでいました。そこで、またしても上司の許可を得て、休日に、割と広かった西宮の会社の駐車場で、会社内からコードリールを引っ張って、グローブボックスやトランクの底部に、ドリルで穴を開けたり、その穴にボルトを通して、無線機やオートアンテナチューナーを取り付けたりして、徐々に体制が整って、遂にモービルハム局が完成しました。
開局申請が下りて以降、最初の頃は、当時から人気だった7MHz帯にもチャレンジしたものの、全く使い物にならず、自然な流れで、ハイバンドに傾倒して行く様になります。しかし、当時はHF機しか持って無かった事もあり、必然的に、21MHz帯に偏る様にもなっていました。そんなある日、移動運用中に繋がった局の手解きで、29FMにQRVして以降、FMラジオを彷彿させるクリアな音質に、心奪われるのに時間は掛かりませんでした。
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2025/05/29 15:08:04