2008年03月23日
メルセデス・ベンツとの出会い・その3ーW202からW203へ編ー
■人生で初めてのメルセデス・ベンツであるC200を手にして、僕はメルセデス・ベンツの世界の扉を開いた。そしてこのCクラスでこれまでの自分の「無知」に気づいたわけだが、それでもまだメルセデス・ベンツの本質を全て知ったわけではなかった。
■高機能車であることを認識させてくれたC200はその後も、常に感じられる優れた走りで自動車ジャーナリストとしての僕に様々なことを教えてくれた気がする。C200に乗るようになって感じたのは、自分の中に優れた定規が作られたように思えたこと。普段何気なくC200に乗ることによって、僕の中には知らぬうちに乗り心地やハンドリングを始めとしたものに対する評価基準が作られていったような気がする。国産車だけを所有していた時には感じられなかった感覚が感じられるようになった、とでもいえばよいだろうか? もちろんそれでもまだ「無知」であることに変わりなかった(今でも変わらないかw)が、C200との生活によって徐々に何かを知っていったように思える(もっともそれで無知ではなくなったとまでは言わないけど)。こうして初代CクラスであるC200と約1年半をともにした。そうして僕の自動車ジャーナリストとしての世界も広がった(と思う)。そうして次に手にするのが2代目のCクラスであるW203だった。
■W203のデビューを今改めて振り返ると、とても衝撃的だったといえる。「ベンツ」ではなく「メルセデス・ベンツ」もしくは「メルセデス」のイメージを広め本格的な大衆化を押し進めた初代Cクラスは、ある意味新たな世代のメルセデス・ベンツを世に広めたといえるが、それを受けて登場した2代目のW203はさらに新時代へと進むメルセデス・ベンツを象徴する1台だったといえる。93年の初代Cクラスから2年後の95年にW210、2代目のEクラスが登場した時、このEクラスは先に登場したCクラスとともにメルセデス・ベンツの大きな変化として語られた。つまりW202やW210はクオリティ低下の問題などをして、かつてのメルセデスではなくなった…と言われた頃である。これを受けメルセデス・ベンツはW203において品質の向上を図ったわけだが、その成り立ちは大きく変わったのもまた事実だった。例えばW202ではフロントのダブルウィッシュボーンと、190Eから受け継ぐマルチリンク(ちなみにマルチリンクを世界で初めて使ったのは190E)という構成だったが、W203では再びフロントにストラット式が採用されたほか、W202で使われたボールナット式ステアリングはラックアンドピニオンになるなど大きな変化があった。そして前者をしてやはりコストダウンともいわれ、後者をしては伝統の消失とも言われた。シートの構造の変化は前者と後者の両方が言われた。このためW203は、W210より少しは品質を取り戻したが…という評価があったことも事実である。
■しかし2000年にW203が登場し日本上陸を果たしたとき、鈴鹿サーキットで開催された試乗会で僕は圧倒的な衝撃を受けたのだった。W203で驚きだったのは鈴鹿サーキットを走らせて全く不満がないどころか、圧倒的なダイナミクスの進化とそこから生まれる絶大な信頼感を見せつけ、これにかなう国産セダンなどないと思わせるほどだった。しかも場所はサーキット。それまでもメルセデスに対して徐々に様々なことを教えてもらっていたが、この時まだ自分が全く知らないメルセデス・ベンツの世界があると思えた。W203にはもちろん走りの楽しさは感じなかったが、鈴鹿サーキットを走らせてその走りから得られる気持ちよさは実は圧倒的なものであり、それは極限の世界でも変わらないということを思い知らされた。そしてこのとき、W202で高機能車だと感じたメルセデス・ベンツの機能の高さは、自分が計り知れないほどの高みにあることを実感した。この頃メルセデス・ベンツはW202やW210といったプロダクトをして、様々な雑誌やジャーナリストから同社の社是である「最善か無か」は失われたと記された。もちろんW203に対してもそういった意見があった。しかし僕はW203を鈴鹿で試して、それは全くの思い違いだということに気がついたのだ。
■確かにモノ作りや生産方式、コストに対する思想や哲学には変化があったのは事実である。それは時代の流れによるものでたとえメルセデス・ベンツといえども抗えぬものだったといえる。しかし、実際に走らせるとそこに「最善か無か」はしっかり継承されているではないか! と僕は思った。W203の圧倒的なダイナミクスとそこから生まれる走りに対する圧倒的な信頼の高さは、自動車の本質である走り、また走りによって生み出される安全という部分に対してまさに「最善」を実現していたのである。
■そんなW203との出会いは突然だった。実は初代CクラスC200を手放してすぐにW203を買ったわけではない。しばし次の候補を考えて年をこし2001年を迎えた。当然前年の2000年に登場した新型CクラスW203が欲しかったが、まだ登場したばかりだったため当然買うとなれば新車になる。しかしそこまでの予算はなかった。ならば初代Cクラスの次は何にするか? としばし悩んだのだった。そうしてしばらく経った頃(多分登場から半年後くらいだったと思う)、自身が大学時代にバイトをしていた中古車屋さんでTVオークションの画面を見ていると、なんとまだ発売間もなく中古車はほとんど存在していなかった新型Cクラスが競りにかけられているではないか! それを見た瞬間に僕は中古車屋さんの社長に「これ、いきましょう!」と伝え、その場で競り落としたのだった。こうして手に入れたのはタンザナイトブルーのC240だった。このモデルは当時、新車価格で500万円と非常に高価だったが、走行5000キロに満たないその新古車はかなりお買い得と感じる価格になっていた。価格は忘れたが、なんとか60回ローンでぎりぎりいけるくらいの価格にはなっていたはずだから、400万円前後だったと思う。
■こうして僕はW203を所有することになった。鈴鹿での衝撃的な体験を経ての所有は、まず購入した段階で大きな満足感を与えてくれた。そしてその後さらに僕は強い満足感を覚えることになったのだった。
<以下続く>
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Cクラス生活 | 日記
Posted at
2008/03/23 04:12:40
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