若い頃、片岡義男の小説(彼のオートバイ、彼女の島)に感化されてバイク便のライダーやってたことがある。
小説の主人公はプレスなんで、ホントは、箱付けたバイク便とは少し違うんだけど。
所属してたのは、岩本町にあったグリーンの箱の新○○即配、今じゃなくなっちゃったみたいだ。○田社長や配車みてた来□さんなんか今どうしてるんだろか?
その頃の競合みたいな黄色い箱のスーパーマウスも今はないみたいだね。当時からパリッとした会社カラーヘルメットでカチッとした箱で走りもジェントルなIEC、赤い箱のソクハイは今でもあるみたいだね。
当時はバイクの営業ナンバーなんてなかったのか、記憶にないけど営業車を示すのが、プレスなら社旗の旗棒、バイク便だと会社カラーの箱だった。とはいえ当時は魚市場で使っているような水色コンテナをシートにくくりつけた上に各社固有のビニールのカバー被せたものがほとんどだったんですが。
今じゃクラウドなんかで済んじゃいそうな会社間の書類やりとりや、証券証書や小切手、時々急ぎの宅配便みたいな荷物もあった。
定期便はいいけど、そうじゃないところは、スマホ、ナビなんてなかったから、タンクバックに地図入れといて見るんだけど、分からない時は延々とグルグルしてて、会社に電話(これも公衆電話)すると「何時までやってんだ~」と怒られ…
雨の日は嫌だったな。ずぶ濡れ、頭グシャグシャでキレイなオフィスの受け付けに配達にいくと少し卑屈になるよね。
自分はCBXでスタートして、途中、XJにチェンジしたけど、周りはFXやらRZ、VTなんかの中型がメインでバイクの好きな若者が好きなバイクを持ち込んでる感じだった。まだビッグスクーターの時代でもない。
すり抜け命だったから、ミラーは右だけのショート、ハンドルは切るか絞るか、セパハン絞り。更に肘を内側に絞って乗る、いわゆるプレス乗り。音がデカイ方が車に気付かれやすいからと集合管に変える。
所属していた会社は、車両持ち込み、ガス・タイヤ・オイル自前の歩合制なんで、実質の手取りなんかはかなり少ない。たまにロングがあるとラッキーだったが、ほとんどが23区内、もっと云えば環七以内。定期便含め、だいたい1日5便位だったと思う。
箱付の自尊心からか、とにかく飛ばす。若気の至りもあったけど、ストリートすり抜けは他社には負けない、まして一般ライダーには絶対遅れを取らないとか。結果、白バイ、ネズミ取りに捕獲される確率も高い。累積免停が2回にもなったし、もちろん罰金も自前。不幸な日は午前に免許証取り上げられ、午後にまた捕獲されたこともあった。
ほとんど学校に行かずにやってたけど平均しても月に15万は行かなかったと記憶してる。
だいたい毎月誰かしら事故る。書く云う自分も、たまたま借りてた社有車のオフ車、これがまた初めて乗ったもんだから面白くて、バンク角もスゴいので調子に乗って三田の慶應大近くの交差点で大転倒して店先まで滑走した。
極めつけは、甲州街道の渋滞車列の真ん中ぶっ飛んでいて、たまたま中央寄り止まっていた車のテールランプに膝から食い込むように刺さって大怪我、だけどバイク無傷って事故があった。
最終的にはこれがやめるきっかけになった。
今バイク便って何運んでるのかな?
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Posted at
2023/04/20 23:28:00