
またやっちまった・・・。昨日20時頃、ずっと思案してたアルゴリズムを思い付き、夢中でデザインしてたら、気が付くと夜が明けていた。「しまった、おふくろが居た・・・」と思い出してもアフターフェスティバル!(おやぢ)時計を見ると午前7時。開き直って1Fのスタバにコーヒーを買いに行き、仕事を完成させ、けりをつけた。9時前になるとフレックスの早組の同僚達が出社してきた。「帰って寝る」と同僚の一人に告げて、オフィスから人の流れを逆行する。10分程で自宅に着き、ドアを開けると「電話の1本もできないの?」と母親のお小言が始まる。「ごめん、会社に泊った」「家は目と鼻の先だから、会社に泊る必要なんてないでしょ!そんなことだから病気で倒れるのよ・・・」予想していた通りのセリフを言われて、つい微笑んでしまった^^; 僕のこの依存症という病気は一生治らないだろうな。母親のお小言を無視しながら、そそくさと熱いシャワーを浴びるとアドレナリンが大量分泌され、まったく眠くなくなる。PCでメールのチェックを済ませ、公共料金の自動引き落としをチェックするため、メインバンクのネットバンキングサービスを開くと、昔懐かしい見覚えのある出版社名があった。入金\37-・・・??何、これ??かれこれ20年近く前になるだろうか、僕は正社員だったにも関わらずアルバイトで書籍や雑誌の記事を執筆していた。その時の契約出版社だ。当時、車だの、バンドだの、スクーバダイビングだのと、とにかくまるで生き急ぐかのように遊びまくっていた。当然会社のサラリーだけでその資金が追い付く訳無く、その時たまたま知り合いのエディターにバイトで一筆書いてみないかと誘われ、手始めに、ある月刊誌のコラムを連載することになった。と言っても一般の雑誌ではなく、ビジネス寄りなコンピュータ専門雑誌だが。僕は当時エンジニアとかではなく、営業系のプレーイングマネージャで、コンピュータの技術に秀でているという訳でもまったく無く、ビジネスマン目線で連載して欲しいという依頼だった。高校は理系進学クラスで大学は理工学部化学科卒・・・それに何と中学の頃、国語で「2」を頂いたこともある、筋金入りの文系オンチだ!そんな僕が「し、し、執筆なんて・・・」と怖気づいたのも刹那、ギャラの額に後々の苦労も考えず、遊ぶ金欲しさに目が眩んだ(笑)その時の雑誌の執筆料は当時の会社の給与の1/4程度だったと思う。夜中にちょちょいと書いて、そんだけ貰えるんならラッキー!と有頂天で引き受けた。実際に連載が始まると、愚筆な僕が嘘のようにすらすらと書ける(実際はキーボード打つのだけど、書けるの方がそれっぽい 笑)連載も読者からの評判も好評で、あっと言う間に当初の企画の3ヶ月を超え6ヶ月間の連載となった。そうなると出版社も黙ってはいない。「初心者向けの表計算ソフト講座」などという書籍出版企画を打診された。僕も調子に乗って二つ返事で受けた。約300頁にもなる書籍は雑誌のコラムとはまるっきり勝手が違う。担当エディターに協力してもらいながら、処女出版はやっと果たされた。もちろん会社には内緒だったので、女性の名前のペンネームで出版した(笑)その本が意外に売れて、すぐに次の依頼がやってきた。そんなこんなで結局5冊出版して、そこそこ売れた。ただ、会社員と執筆業をかけ持ちしてるといくら若いとは言え、身体がもたない。「ぼちぼち足の洗い時だな」と思い、最後に実名で出版しようと思い、出版社に打診したらOK。ついでにギャラも印税にしようか、と言われ逆にOKを出した。専門書はだいたい1冊いくらで契約して、売れても売れなくても、いくらで終わりだ。印税にするということは、売れた分の定価の数パーセントが入ってくるし、売れなかったらまったく入ってこない。そんなリスクがあるので、書く題材は誰でも気軽に欲するお手軽技術書にして、数で勝負する作戦に出た!150頁程度の新書版は題材のソフトウェアの人気も手伝って発売と同時に結構売れた。大きな書店で技術書では珍しく平積みしてあり、その光景を見たら、その場でサイン会でもしてやろうかと、大いなる勘違いした(笑)ギャラのトータルで、ランチアが買えた!
そんなこんなも、昔の話し。第3版まで出版され、すぐに絶版となった。
で37円はと言うと、当時の担当エディターは既に退職しているのは知っているので、先程直接経理部に問合わせ折り返し返事と言われたが、未だに返事は無い。どうでもいい話しなのだが、1度気になりだすと気持ちが落ち着かない小心者・・・。
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2012/05/30 15:05:19