
こんばんは、kazunariです。
自分も岡村さんが復帰した日の「めちゃ×2イケてるッ!」を見てました。休んでた間のブランクがあったからか目がまだ芸人の目になってなかった気がしたけど、何よりも元気に復帰できた事が良かったと思います。番組の最後に休養中に視聴者から番組に寄せられた66万8874人分の寄せ書きを見てる岡村さんを見たときは涙が出そうになりました。
吉本も矢部っちも何も言わないから多分巷で言われてる『心の病?』なんだろうな~って思ってたのですが、記事がホンマだとそんな感じですね。元々岡村さん人見知りが激しくてナイーブな性格とか聞いてたのに去年辺りからお笑いだけでなく映画など他のジャンルでの活動を広げた矢先の活動休止だったんで急にあれこれやろうとして心身共に疲れきって電池が無くなった状態になってしまったんでしょうね。岡村さんもTVの前では面白い事言って笑顔を振りまいてるけど、生真面目で職人肌で笑いに対する情熱はめちゃイケ見てても伝わってきますもん。人に笑われるのではなくネタやしゃべりの技術で人を笑わそうとするエネルギーってハンパじゃないですよ。
自分も岡村さんと同世代ですが、今までの自分を変えようと急に舵を切ろうとした気持ちが何か分かるんです…気持ちは若いと思ってても気がつくと30代後半…30代を振り返ってみることが多く『俺って成長したのかな?』とか『来年は今までの自分を変えなきゃ…』って何か結果を求めようとして、もっと気楽に生きれば楽なのに今の自分に満足できなくて新しい刺激を求める事あるんです。それを考えれば考えるほど余計に疲れて段々疲れが抜けにくいしご飯食べる量も減るしの今日この頃なんで僕もひょっとしたら意外とヤバイのかも知れません。気分転換に出かけたりするけど、何か満たされないんですよ。人に話せば楽なのに打ち明けるられる人がいなくて話せられないんですよ。悩みの無い人生なんかありえないし悩みがあるからこそ人って成長すると思ったりするんで…年代の節目になると今までの自分を振り返ったり自分に何が足りなくて次に何をしようかとする自分がいたりするんです。以前にも書いたけど20代の後半あることがキッカケで電池切れの状態になり1年くらいクスリのお世話になりました。あの時も眠れないから頭が回らなくてミスするし疲れ取れないし人に言っても信じてくれずげっそり痩せこけてしまい岡村さんに比べたら僕の場合なんか月とスッポンみたいですが、今までそんな経験なかったんで辛かったですね。あの時があるから今何とか踏みとどまってるのかもしれません。あの経験がなかったらまわり巻き込んで地獄見てたかも…
ただ記事読んで『凄いよなあ~』って思ったのはあんな状態からよく半年で復帰できるまで漕ぎ付けたと思います。こういった時身近に支えてくれる家族や友人がいるいないで大きく違ってきて岡村さんの人徳からかそんな人が沢山いたから早く復帰出来たと思います。僕が急に心の病になった時に誰か側で支えてくれるのだろうか?アウトローで友達少ないし孤独やからなあ~岡村さん責任感から休んだ分恩返ししようとオーバーワークしたい気持ちがあるのは分かるけど、無理しないで欲しいです。
J-CASTニュースからの引用です…
芸能活動を再開した、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史さんが、2010年12月3日未明、ラジオ番組「ナインティナインのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)に出演した。病気がひどいときは、自分のサインを書くこともできなくなったといい、「地獄を見た」という療養生活について語っている。
岡村さんは、7月中旬から体調不良を理由に芸能活動を無期限休止。復帰が待ち望まれていたが、11月27日放送のバラエティ番組「めちゃ×2イケてるッ!」で芸能活動を再開した。
突如「お金がない!」と言い出す
12月3日未明には、「ナインティナインのオールナイトニッポン」に5か月ぶりに出演。番組冒頭で、「こっぱずかしいような、変な感じなんですけど」と照れながら「ホント皆さん長々と待って頂きありがとうございます。感謝の気持ちで一杯です」と挨拶した。
岡村さんは主治医から「5分だけなら出演してもいい」と言われていたが、結局無視。番組2時間を使って、療養中のことを相方の矢部浩之さんと一緒に語った。
まず休養する前、楽屋で岡村さんが突如「お金がないで!ロケ行けない!」と執拗に言い出した。矢部さんが「銀行に行けばお金あるでしょ」というも、「こんだけしかないで!」と財布の中身を矢部さんに見せてきた。
「お金がない!」しか言わず会話にならなかったため、矢部さんは様子がおかしいと思い休ませることを決めた。その後、休養を言い渡された岡村さんは矢部さんの腕を掴み、もの凄い目で「それだけはやめてくれー!!」と叫んだという。
全てのことに対して気力を失い、髪と髭は伸ばしっぱなし
病名は明らかにされていないが、精神的な病だと思われる。それからの療養中は「地獄を見たで」と語るほど辛かった。全てのことに対して気力を失い、髪と髭は伸ばしっぱなし。体重も増え、矢部さんによるとマラドーナ監督のような風貌だったという。
ご飯の味を楽しむ余裕もなくなってしまい、サラダにもドレッシングをかけない。「かけたところで」と思ってしまうのだという。物忘れが激しくなり、人の名前や、ひどいときは自分のサインの書き方も忘れてしまうこともあった。じっとしていることもできなくなり、部屋中をウロウロ歩き回っていた。
バラエティ番組を見ても「楽しそうでいいなぁ」と思うだけで全然笑えず、療養中の5か月間、笑顔自体もほとんどなかった。大好きなサッカーも見ておらず、ワールドカップもどこが優勝したか記憶が曖昧だという。
唯一見ていたのがNHKだ。病院では7時に起こされ、まず連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を見る。その後、BSでメジャーリーグを見て、次は高校野球とNHKばかり。「NHKはずっと見てられる安心感がある。助けられた」と話している。
療養中は、明石家さんまさんや志村けんさん、タモリさんら芸能界の先輩から見舞いのメールや電話を貰った。ビートたけしさんからは手紙を貰い、「救われた。ありがたかった」。家族にも支えられ、母親に手を握ってもらい眠りにつくこともあった。「落ち着くんです。もう40歳で、恥ずかしいんですけど、母強しです」と語っていた。
5か月で復帰できたことについては、「落ちるスピードが早かったから、同じスピードで回復した」。久しぶりの出演が嬉しく、番組では終始ハイテンションだったが「ほんま今回色んな事勉強になりました。みなさんに笑いで恩返ししていきたい」と意気込みを新たにした。
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Posted at
2010/12/03 23:31:51