名古屋・岐阜・滋賀は、素晴らしいお城が沢山あるので、今回の旅では全部は回れません。
今回の旅のメインは『織田信長の軌跡』です!!
犬山城

ちょっと木の切り方が残念だったりする(笑)
良い画像が撮れる場所を探して、周りをグルグル。

犬山城と木曽川はセットですね♪
小振りなお城ですが、現存天守の佇まいは本当に美しいです^^
次は稲葉山城(岐阜城)です。 この城には驚いた。
すげぇ所に建ってるじゃないですか!!
戦国ファンには、超・超・超~メジャーなお城。
織田信長が、2ヶ国の太守・有力大名となって、天下統一を意思表示したお城。(天下布武)
その時、信長が 「稲葉山城」→「岐阜城」に改名。
そう、岐阜となずけたのは信長だったりします。
(有力説であり、違うという説もあります)
それ以降、織田家当主の城(本拠地)になります。
勢力を拡大し、信長は安土城に移りますが、息子・信忠を織田家当主とし、
岐阜城主(岐阜・尾張 2ヶ国太守)としました。
本能寺の変後も、数年後に元服して武将となったあの『三法師(秀信)』も岐阜城主となってます。
清洲会議の際、秀吉は三法師を膝に乗せて利用しましたが・・・・・・・
ちゃんと織田家主筋(長男の家系)に岐阜城を返してます。
これは最近知りましたし、意外でした。(秀信も優秀だったとか)
そして、秀吉は意外に義理堅い(笑)
いや~しかしこの城は、力押しじゃ厳しいですね(汗)
補給に難がある為、孤立すると弱いみたいですが・・・・・・
この城を、計略によってわずか18人の手勢で乗っ取った竹中(半兵衛)重治は、
戦国時代最強の軍略家と言われるだけはあるな~と。(竹中半兵衛の凄さも諸説ありますが)
秀吉に天下取りに導いたし、死ぬ間際に後任に黒田孝高(官兵衛)を事実上・推挙してるし。
まぁ、なんにしても、
『稲葉山城』はすげぇ!!!
あまりの凄さに妻も驚いたようで・・・・・
妻いわく、今のご時勢だと
「あそこに城を建てろとか言った奴はパワハラ」
「あそこを攻めろと言った奴もパワハラ」
よって
「今から登ろうとか言う人もパワハラだから」
だ、そうです(汗)
という事で、登るの諦めました。暑かったし。
信長の史跡めぐりはまだまだ続きます。
清洲城

残念ながら模造天守です。
でも、戦国ファンにとって、ここも超メジャーな城なのは間違いありません。
桶狭間の戦いで、信長はここを本拠としていて、ここから出陣しました。
信長と家康が同盟を結んだのもこの城です。
本能寺の変後の清洲会議もこの城です。
で、ここに有った天守はどこよ?と、名古屋城に移動です

名古屋城の天守も残念ながらコンクリートによる模造天守です。
西北の櫓は現存で重要文化財です。(撮り忘れの為、ネットより)

これ、一説によれば、清洲城の天守が移築された物だとか。
(説を裏づける、年代の一致や木材を再利用した形跡がある)
そして、織田信長の軌跡巡りの〆はこちら。
熱田神宮

伊勢神宮に次ぐ格式があるお社。
それもそのはず。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)こと、
三種の神器の一つ『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』が御神体という、格式高い神社なわけです。
では、皇居にある草薙剣は??となりますが、草薙剣の形代だそうです。
神事に代用すべき神道公認のレプリカって事です。
本物はこの神社にあるんですね。
そんなもんで、神社本殿には近づけず、遠くからの参拝になります。
それでも、この神社にこれて嬉しかった^^
もちろん、御朱印もいただきました。
信長も、桶狭間に向かう前に立ち寄って必勝祈願してますし。
本当にご利益がありそうです♪
神事が行われていたので見学。

雅な奏ででした。
今回は急な感じで出かけましたが、大変満足いく内容となりました。
ブログ一覧 |
ドライブ(普通のドライブ・旅行) | 日記
Posted at
2018/05/03 13:16:51