前回アップした
丹生城から半月も経ってしまいましたが、上州小幡の城巡り、最終回です。
今回最後に訪れたのは、宮崎城と其の要害である神成城。
宮崎城は現在大部分が富岡市西中学校になっていて、其の脇から神成城を登る神成山ハイキングコースがあります。
中学校沿いの道路に路駐して、散策を開始しましたが、どうやら此処は外堀があった場所の様子。
中学校の脇に城址に関する案内板があるのがうれしい。
宮崎城
国峰城に次ぐ小幡氏第二の城で、小幡信貞の弟播磨守昌高が在城した。
天正18年(1590)の小田原の陣では、小幡吉秀・則信が守っていたのを、上杉軍の藤田信吉・木戸玄斎らが攻略したと云う。
其の後、関東に移封となった徳川家康が奥平信昌を三万石で封じたが、慶長6年(1601)美濃加納に移封となり、廃城となった。
い 櫓台
城内の一番北に突き出た箇所にあった櫓台址。
畑の中に盛り上がって木が生えている辺りが其の様ですね。
ろ 堀切其の壱
中学校の西端の外には堀切があって、其の外にささ曲輪、更に堀切。
此の後は、神成城へ登る緩やかなハイキングコースになります。
途中、石仏や見晴台があってなかなか楽しい。
ところで、此の神成山ハイキングコースは日本一奇麗なハイキングコースを目指しているそうで、いいですね。
神成城
小幡氏第二の城である宮崎城の詰めの城。
は 堀切其の弐
堀切らしき物が現れたので、iPhoneの地形図で確認してみると、ビンゴでした。
に 本曲輪
ハイキングコースは本曲輪の脇を通りながら進むんですが、薮がヒドい(^_^;)
道は整備されていても、城址は整備されてません。
ほ 堀切其の参
一度ハイキングコースを外れて、最南端にある物見台に向かいました。
途中堀切があります。
へ 物見台
物見台ですが、今の季節は木が生い茂っていて、眺望は良くありませんでした。
と 堀切其の四
御嶽山に向かう途中にある堀切は、竪堀となって下に落ちて行ってます。
ち 御嶽山
御嶽山が西端の曲輪の様で、本曲輪よりも高い位置にあります。
ご覧の通り眺望が良く、小さな子供を連れた家族連れも、ベンチで休んでました。
そして此処にも三等三角点 神事谷がありま〜す。
り 水の手
帰る途中でコースを外れて、北と北東の尾根にある曲輪を目指しました。
此処は其の分かれる地点にある水の手。
斯う云うのを「扇の要の縄」って云うんだそうです。
国峰城・
丹生城にもあったんですが、此処でやっと確認出来ました。
ぬ 堀切其の伍
北尾根には、二つの堀切があり、此れは南側の物。
此の後、北東尾根に云ってみたんですが、薮がヒドくて何処にいるんだか分かりゃしない(;´Д`)
仕方無いんで断念しましたが、折れのある堀切が見たかったなあ。
此れで、上州小幡の城巡りはおしまいですが、次の日から二日間筋肉痛になりました(^_^;)
そんなに歩いてなかったんだけどなあ。
参考文献:日本城郭大系4
参考サイト:
余湖くんのお城のページ
本日は此れ切り。
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上州小幡の城 | 旅行/地域
Posted at
2013/06/17 23:37:55