峰城を攻略した後は、其のまま峰峠を越えて大塩湖沿いの道を東へ。
次に向かうのは、最後の小幡氏の本拠国峰城。
途中、案内の看板が出てくるので、其れに従って南に進みます。
事前に仕入れた情報によると、城内の御殿平に車が停められるけど、其処までが随分と悪路と云う話。
縄張り図に灰色で書いた道に路上駐車して、歩いて行く事にしました。
路駐した辺りも城の範囲と気づいたのは、帰る頃になってから(^_^;)
国峰城
国峰城、小幡氏については、文献が多く残っているが、内容が異なっている物も多く確定出来ない。
戦国時代、小幡氏は関東管領山内上杉氏の重鎮だったが、山内上杉氏滅亡後は、同族の小幡景純に国峰城は乗っ取られ、小幡憲重は武田信玄を頼った。
武田信玄は、国峰城に小幡憲重を復帰させ、其処から箕輪城攻撃の拠点とした。
長篠の戦いでは、小幡の赤備えも参陣するも壊滅。
武田滅亡後は、滝川一益、北条氏政に仕えた。
天正18年(1590)の小田原の陣では、城主小幡信貞は小田原城に籠城し、国峰城は子の信秀が守ったが、上杉景勝家臣の藤田信吉に攻められ、落城。
其の後、廃城となった。
い 御殿平
15分ほど歩いて、御殿平に着きました。
最近道が整備されたらしく、未舗装ですがよっぽど車高が低い車でない限り、通れる道になってました。
御殿平は、居館があった跡で、段々に曲輪が並んでました。
最上段は、此の様に奇麗になってますが、他は薮がヒドくて確認してません(^_^;)
ろ 竪堀 其の壱
御殿平を後にして、本城へ向かうべく進んで行くと、竪堀が出て来ました。
山城の魅力は、やっぱ竪堀ッスよね〜( ´∀`)
は 濠内道
道は、其のまま濠内道となっていきます。
写真奥の部分は物見台の鞍部で、御殿平と本城を結ぶ重要な箇所です。
に 竪堀 其の弐
此処から折坂を登って、本曲輪へと向かう事になります。
ほ 腰曲輪
「ろ」と「に」の竪堀の間には腰曲輪が何段かあり、写真の箇所には土塁の様な盛り上がりもありました。
へ 土橋
比較的面積のある二の曲輪から本曲輪へ向かうと、土橋があります。
と 本曲輪
此処が本曲輪ですが、ちっちゃい…
其れなりの規模がある山城ですが、ひとつひとつの曲輪の面積は狭く、大した人数は籠城出来なかったんじゃないでしょうかね。
ち 虎口
本曲輪の東南には窪みがあり、虎口です。
高崎の
根小屋城もこんな感じの虎口がありますね。
後編へ続く。
参考サイト:
余湖くんのお城のページ
参考文献:日本城郭大系4、群馬の古城
本日は此れ切り。
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上州小幡の城 | 旅行/地域
Posted at
2013/05/10 23:58:04