
道の駅『しもつけ』から車で1、2分くらいの場所にある龍興寺に行きました。
ここには”道鏡塚”なるものがあるからです。
(写真)
由来が本当なら道鏡はこの土の下で眠っているということになります。
南無阿弥陀仏(合掌)
このお寺、孝謙天皇の御代に来日した鑑真の縁のお寺でもあります。
そもそも下野の薬師寺に戒壇をもうけたのは鑑真であり、その時に別院を龍興寺と改名したらしいです。
鑑真和上の碑なるものもありました。
鑑真と道鏡。
この二人を結びつけるものは藤原仲麻呂ですかね。
アンチ仲麻呂(笑)
吉備真備もあわせてアンチ仲麻呂トリオですね。
これだけのビックネームを敵にまわし、他の藤原氏や橘氏も敵にまわし、なおかつ太政大臣となって位人臣を極めた仲麻呂はたいしたものだなあと改めて感心してしまいます。
その仲麻呂と鑑真について、出典は忘れましたが、昔、図書館で読んだ本の中にこんな話がありました。
仲麻呂の娘には絶世の美女がいた。
仲麻呂はいずれは天皇の后にと目論んでいた。
ある時、鑑真がこの娘を見て「1000人の男と交わる相がでている」と不吉な予言をした。
(「見て」というのはおかしいですね。鑑真は盲目ですから。「感じて」ですかね)
仲麻呂は怒って鑑真を遠ざけた。
しかし、鑑真の死から1年後、仲麻呂は乱を起こして敗れ、殺された。
その時に娘は1000人の兵士に犯されて死んだとか。
恐ろしい話です。
鑑真と道鏡の名が並ぶ龍興寺であれこれ思い出して空想しました。
学んで時に之を旅する また楽しからずや(笑)
(つづく)
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Posted at
2011/05/07 04:32:26