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まとめ記事
御朱印放浪記(群馬県北毛地区)
ぎるでぃさん
2019/02/16
2,722
群馬県北毛地区(沼田市・渋川市・北群馬郡・吾妻郡・利根郡…辺り)の…
2016年9月17日「伊香保神社」「甲波宿禰神社」「吾妻神社」
10月29日「水澤観世音」「榛名神社(沼田)」「弥勒護国禅寺」「吉祥寺」
2017年4月16日「水上寺」「金剛院」
2018年4月21日「光泉寺」「日晃寺」「龍澤寺」「雲林寺」「鎌原観音堂」「浅間山観音堂」「林昌寺」「清見寺」「善福寺」
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伊香保温泉・・ぢゃなくって伊香保神社に行ってみました こちらは榛名山の山腹にある伊香保温泉街の石段の最上部にあるのですが・・ 石段かぁ。。 と・・とりあえず車を市営駐車場に止めて 観光案内図の看板を眺めると ・・・・やっぱり石段一番上まで登らなくっちゃぁならないのですね・・ 気を取り直して こちらから(私は)のんびりと登ることにしました この石段は365段あるそうで10段ごとに何段目か解るようにプレートが階段(蹴込み)に付いています 登っていきますと190段くらいのところに 階段が左右に分かれてガラス張りな部分が ガラスの向こう側には温泉が流れる様子が見られます またすぐ脇には足湯もありますが 誰かが入り始めないとワタシにはいまちょっとばかし入りにくい・・ さて 石段も上の方になって神社が近くになってきますと少々趣の違う石段に やっと・・ 登りましたよ~~~365段♪ こちらの拝殿で参拝を 明日からお祭りのようで飾り付けられています♪ さて御朱印帳に記帳してもらおうと社務所に行ってみましたが (社務所に)人の気配が・・無い ・・・・・? 飾る ...出典:ぎるでぃさん
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伊香保温泉を後にして次は 甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)を探すことに こちらは上野国の四の宮になるのですが・・・(またローカルだとは思う・・ 自宅で調べると渋川と吾妻川沿いにありまして・・ なんか嫌な予感がしたので軽で行動してみました が・・・軽(nbox君)のナビで検索しても出てこない・・ なんとか渋川行幸田の甲波宿禰神社につくことができましたが こちらで参拝しましたが 社務所に人の気配が・・・無い;; 仕方なく川島の方に向かってみましたが ・・・・これまた解らない・・・ 何とか近辺をうろうろして目を凝らすと控えめな看板が(写真撮り忘れるとゆう) この辺りですと川沿いといっても山が近いので街道からちょっとそれると道幅が・・かなぁり(レヴォーグだと)厳しいと思う(ワタシの腕では 幸い危なっかしくうろついているワタシに(引き返すためにターンをしようとしたら脱輪したからね)見かねて宮司様が声をかけていただいたから 無事(ぢゃないけれども)たどり着けました ・・・・怪我の功名? 先に宮司様にあっちゃいましたが こちらで参拝をしてから記帳してもらいました さて宮司様と ...出典:ぎるでぃさん
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甲波宿禰神社を後にして吾妻川の上流の吾妻神社へも行ってみました こちらから鳥居をくぐって入ってみますと 何やら様子が 絶賛掃除中・・ 翌日にお祭りとのことで掃除と飾り付け中でしたので ちょっとばかし落ち着かなかったけれどもこちらで参拝をしました 今回ここまで来て草津温泉までいかないのがワタシらしい・・・出典:ぎるでぃさん
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榛名神社の後に水沢観音にも行ってみました ・・まぁ・・もしかしたらこのお寺さんの前に軒を連ねている水沢うどんの方が興味のあるお方の方が多いかもしれませんですが ・・・そういえば最近お土産品の水沢うどんしか食べていないなぁ・・ さて水沢観音 うどん屋さんのある方からですとこちらの階段を上って こちらの仁王門をくぐっていくことになりますが 上の方にも大き目な駐車場がありますので 階段を上らなくても参拝できます こちらでお参りをしまして 脇にある六角堂の中に入って回転する六地蔵尊を回してみたりしまして 記帳してもらいました ・・・・そしてまた水沢うどんを食べずに次の神社へと行ってしまうワタシ出典:ぎるでぃさん
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水沢観音のあと沼田市の榛名神社へと行ってみました まぁ榛名神社の御朱印を並べてみるのも面白いかなと思ったのと 今年の大河ドラマの舞台だった沼田にも 今年のうちに行ってみたいなと思っていたのがありますが (もう舞台は大坂で沼田から離れちゃいましたけれどもね さて榛名神社 沼田城の坂下ともいえるところにありまして 沼田駅と沼田城の間にある形になります 高速道路と沼田城が坂上で 沼田駅と国道17号が坂下って認識でイイのかな?(少し自信ない・・・ こちらのなんか趣のある鳥居をくぐりまして こちらが境内になりなすが この日は753の日らしくって 着飾ったお子様(と親御さん)がちらほらと ま・・気にしつつも参拝をしましたが 記帳していただいたときに真田の里をアピールしていましたけれども ・・・御朱印にもアピ-ルしてあったりしていたりします出典:ぎるでぃさん
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榛名神社(沼田)の後 迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ) へと向かってみました こちらはちょっとばかし山の方かなぁ・・と・・軽い気持ちで向かってみたら 結構(思っていたよりも)奥の方にあって ・・・山に入る道の入り口は看板はすぐに見つけられたのですが ・・・・・何故か私は最初通り過ぎちゃって戸惑ってしまいましたとゆう>< さて 山道を(車で)上っていきますと 唐突に山門のお出迎え さらにそのまま上っていきますと(道が狭めなのですこぉし心細くなっちゃったりしましたけれども) 道端の駐車場に車を停めちゃいましたけれども 少し先に大駐車場があるのですね 階段を上って こちらの本堂の中に入って参拝をしましたのですが 中は天狗様のお面がいっぱいでびっくりしちゃいました(大きいのもあるし・・出典:ぎるでぃさん
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迦葉山弥勒寺のあと山を下って 吉祥寺(きちじょうじ)へと向かってみました こちらは 東国花の寺百ヶ寺群馬11番札所 と 新上州観音霊場三十三カ所第29番札所 でして・・・ まさか霊場巡りの伏線?(いやまだそのつもりは… こちらは花の寺というだけあってお花が沢山ありました 山門をくぐりますと きれいなお庭と 本堂が・・こちらの中に上がってお参りをしまして ぐるりと濡れ縁えをお庭を眺めながら一周してみたりしました さて この後2kmほど離れたところに 道の駅 川場 がありますのでなんとなく立ち寄ってみましたけれども ・・・混んでいた・・・出典:ぎるでぃさん
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御朱印集めにお寺さんとかも迷走していて 霊場巡りというのを目にしたりして まぁ・・近くを通った時にでも少しづつでもやってみようかなと軽い気持ちで・・・(気長にいければいいなぁ・・ とりあえず・・群馬から始まる北関東三十六不動尊霊場の 所から記帳してみようかなと・・ 途中から順番どおりに廻れるか自信はないですけれども^^; さて・・第1番はみなかみ町にありまして・・ ネットとかで検索しましたら雪景色だったりしたので・・ 雪の残っているうちにとか思っちゃってみたりして行ってみました まぁ・・だいぶ溶けかけていましたけれども・・ね・・ 山門をくぐり抜けて本堂へ 本堂の中で 北関東三十六不動尊霊場専用の御朱印帳を新調しまして 記帳をしていただきました♪ (・・・つづけることができるかなぁ・・・出典:ぎるでぃさん
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水上寺の次に第二番でもあります金剛院へと行ってみました 丁度帰り道のそばですし♪ こちらは真田幸村の兄貴・真田信之と落語家の林家木久扇師匠ゆかりのお寺だそうでして 林家木久扇師匠が定期的に「友引寄席」を開催しているようです さて・・ こちらは大きな大燈篭がお出迎えを こちらの山門から(通用口は脇の入り口からのようですが)入りますと 小坊主が遊んでいる? さてこちらの本堂でお参りをしてから 記帳をしていただきました(^^♪出典:ぎるでぃさん
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4月21日 冬季通行規制が解除されて開通しました渋峠をふらついた後に 光泉寺(こうせんじ)へと行ってみました まぁ・・いつものパターンですが さて・・いつものごとくうぃきによりますと ・・・ 721年、薬師堂を行基が創建したと伝えられる。光泉寺自体は1200年(正治2年)に当時草津を治めていた湯本氏によって白根明神の別当寺として再建されたと言う。僧職は鎌倉幕府から地頭に任じられていた。南北朝の争いでは南朝側につき僧兵を率いた。護良親王、新田義貞、楠木正成、名和長年、北畠親房らによる神札が奉納されている。その後、1481年(文明13年)には勅願寺となって後花園天皇の勅額、柏原天皇の宸翰が下賜された。戦国時代には上杉輝虎が戦った猿ヶ京合戦に参加、輝虎より感状を受けている。1703年(元禄16年)に建立された釈迦堂も現存している 本寺は、行基創建の有馬温泉温泉寺に、山中温泉薬王院温泉寺または道後温泉石手寺か城崎温泉温泉寺(道智上人開基)の一つを合わせて「日本温泉三大薬師」と呼ばれている。[1] ・・・ となっていまして・・ 草津温泉の湯畑の すぐ近くに鎮座しています ...出典:ぎるでぃさん
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4月21日 光泉寺の次に 日晃寺(にっこうじ)へと行ってみました こちらは草津温泉ポータルサイトによりますと ・・・ 安政4年(1857年)草津祖師堂が建立され、安政5年に本山久遠寺の許可を得て浄行庵になりました。昭和3年には日蓮宗草津教会と改称を、昭和21年身延山の許可を得て妙立山日晃寺に昇格。 ・・・ となっていまして 光泉寺とは湯畑を挟んで反対側に鎮座しています さて こちらから境内へ こちらのお堂でお参りをしまして 無事(??)記帳していただきました(間違い探し状態^^;出典:ぎるでぃさん
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4月21日 日晃寺の次に 龍澤寺(リュウタクジ)へと行ってみました こちらは・・・ ちとうぃきがみつからない? ま・・まぁ・・ こちらから境内へ こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月21日 龍澤寺の次に 雲林寺(うんりんじ)へと行ってみました こちらは某ホムペによりますと ・・・ 所在地は、日本三大名泉で有名な草津温泉(群馬県) より7キロ先、国道145号に面し、 吾妻郡長野原町の中心部の北側の台地上にある。 雲林寺は、弘長3年(1263年)、 臨済宗妙心寺派に属する龍幡和尚が創建した。 その場所も大字長野原字火打花(ヒウチバナ)にあったが、 その後貝瀬(カイセ)に移った。 このためこの霊地をは寺屋敷と呼ばれている。 約300年間、非常に栄えていたが、大火災で亡失してしまう。 永禄2年(1559)3月15日、 海野幸光が開基となって現所在地に伽藍を再建した。 海野幸光は、西吾妻地方の吾妻川左岸に勢力を持ち、 戦国時代に羽根尾城に拠った羽尾景幸の孫である。 しかし、天正9年(1581年)、 真田十勇士の伝説で有名な真田幸村の父、 真田昌幸に滅ぼされてしまう。 永禄2年(1559年)、 後閑(安中市上後閑)の長源寺九世、 為景清春(イケイセイシュン)が曹洞宗大洞山雲林寺として 創建され現在に至っている。 ・・・ となっていまして・・ ...出典:ぎるでぃさん
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4月21日 雲林寺の次に 常林寺へ行ってみたのですが ・・・・住職様が法事でご不在とのことで・・・ それも高崎にへ行っているので戻ってきますのは夜中になるとのことで (ワタシ高崎の隣の市に住んでいるのですが・・・思いっきりすれ違いですね・・・) まぁ・・こんなこともあるのですねぇ・・・ ので 次は鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)へと行ってみました この辺はちと気が重いのよねぇ・・・ さて・・いつものごとくうぃきによりますと ・・・ 1783年(天明3年)7月8日(旧暦)、火口より北側約12Kmにある鎌原村は、浅間山の大噴火(いわゆる天明の大噴火)による土石流[注釈 1]に襲われ壊滅。このとき鎌原村の村外にいた者や、土石流に気付いて階段を上り観音堂まで避難できた者、合計93名のみが助かった。この災害では、当時の村の人口570名のうち、477名もの人命が失われた[1]。 現在、地上部分にある石段は15段であるが、村の言い伝えではかつてはもっと長いものだったとされていた[注釈 2]。1979年(昭和54年)に観音堂周辺の発掘調査がおこなわれた結果、石段は全体で50段あった ...出典:ぎるでぃさん
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4月21日 鎌原観音堂の次に 浅間山観音堂(あさまやまかんのんどう)へと行ってみました こちらは鬼押出し園内にありまして そちらのホムペによりますと ・・・ 園内中央に位置する東叡山寛永寺別院「浅間山観音堂」は浅間山噴火の犠牲になられた霊を供養するため 昭和33年5月に建立され、寛永寺伝来の聖観世音菩薩が厄除観音として祀られています。 毎月18日は御開扉として、ご本堂の扉が開かれます。 ・・・ となっています さて 早速鬼押出し園に入園しまして 漠然とマップを拝見 ・・やっぱり・・まぁ・・歩きますのね・・ 浅間山を背後に仰ぎ見ます こちらの楼門から とぼとぼと・・(やっぱり999な印象が。。 よく考えてみますと 鬼押出しの溶岩は1783年(天明3年)7月8日(旧暦)の噴火の溶岩流らしいですけれども ・・・・今に至るまであんまり草木の少ないほぼ岩原って・・ それはそれで凄いのかも とか思ってみたり さてこちらの観音堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月21日 浅間山観音堂の次に 林昌寺(りんしょうじ)へと行ってみました こちらは中之条町の紹介によりますと ・・・ 林昌寺は南北朝時代に、僧の長馨(ちょうどん)が創建し、戦国時代に真田幸隆の弟、矢沢薩摩守頼綱によって再建され、沼田真田氏の保護下に寺勢を伸ばしました。 境内の観音堂と鐘楼の間にある、しだれ桜の古木(目通り3.8メートル、樹高16メートル)は年々見事な花を咲かせ、名所となっています。このしだれ桜は、町の指定天然記念物に指定されています。 ・・・ となっています さて こちらから境内へ 山門をくぐりまして こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました (手書き要素が。。。。) 屋根の棟のところとか御朱印に六文銭の主張が^^。出典:ぎるでぃさん
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4月21日 林昌寺の次に 清見寺(せいけんじ)へと行ってみました こちらも中之条町の紹介によりますと ・・・ 清見寺は、長禄2年(1458年)に開創後、京都知恩寺から来た岌山和尚(きゅうざんおしょう)が慶長元年(1596年)に再興以来、平成8年(1996年)には四百周年を迎えました。 先人の遺徳をたたえ、恒久平和・交通安全・諸願成就等を祈願し、身丈十八尺の大聖観世音菩薩像が建立されています。 境内木は、町の天然記念物に指定されています。 ・・・ となっています こちらはナビ子ちゃん任せに行ってみましたらとても狭い道に案内されちゃいまして ・・・暫く周りをうろついてみましたら 国道側に駐車場があったりする次第・・ さて駐車場側から境内へ こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月21日 清見寺の次に 善福寺(ぜんぷくじ)へと行ってみました こちらは某ホムペ(全国善光寺会)によりますと ・・・ 当寺は、慶永元年(1342)道覚浄辨上人が開基となって創建し、日本48体の善光寺如来第45番の尊像を安置したと伝えられています。浄土宗西山派に属していたが江戸時代に増上寺末寺となりました。明治22年(1889)本堂、庫裡、善光寺堂、鐘楼、長屋等が焼失しましたが、本尊は無事に搬出されました。大正7年(1918)本堂再建。本尊は古来秘仏であり昔から午年毎に大開帳を営んで来ましたが、昭和33年(1958)に県重要文化財に指定され、その翌年慶讃法要を兼ね御開帳を行ないました。昭和41年(1966)4月には信州善光寺第120代一條智光上人の御親修による大開帳が厳修されました。 ・・・ となっています さてこちらから境内へ 本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました そして日もくれちゃいますので 今回はここまでで帰宅しました出典:ぎるでぃさん
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