まとめ記事(コンテンツ)

2018/05/29

鎌原観音堂(群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原)

4月21日

雲林寺の次に
常林寺へ行ってみたのですが
・・・・住職様が法事でご不在とのことで・・・
それも高崎にへ行っているので戻ってきますのは夜中になるとのことで
(ワタシ高崎の隣の市に住んでいるのですが・・・思いっきりすれ違いですね・・・)
まぁ・・こんなこともあるのですねぇ・・・

ので
次は鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)へと行ってみました

この辺はちと気が重いのよねぇ・・・

さて・・いつものごとくうぃきによりますと
・・・
1783年(天明3年)7月8日(旧暦)、火口より北側約12Kmにある鎌原村は、浅間山の大噴火(いわゆる天明の大噴火)による土石流[注釈 1]に襲われ壊滅。このとき鎌原村の村外にいた者や、土石流に気付いて階段を上り観音堂まで避難できた者、合計93名のみが助かった。この災害では、当時の村の人口570名のうち、477名もの人命が失われた[1]。

現在、地上部分にある石段は15段であるが、村の言い伝えではかつてはもっと長いものだったとされていた[注釈 2]。1979年(昭和54年)に観音堂周辺の発掘調査がおこなわれた結果、石段は全体で50段あったことが判明し、土石流は35段分もの高さ(約6.5メートル)に達する大規模なものであった事がわかった。また、埋没した石段の最下部で女性2名の遺体が発見された(遺体はほとんど白骨化していたが、髪の毛や一部の皮膚などが残っていて、一部はミイラ化していた)。若い女性が年配の女性を背負うような格好で見つかり、顔を復元したところ、良く似た顔立ちであることなどから、娘と母親、あるいは歳の離れた姉妹など、近親者であると考えられている。浅間山の噴火に気付いて、若い女性が年長者を背負って観音堂へ避難する際に、土石流に飲み込まれてしまったものと考えられ、噴火時の状況を克明に映している。
・・・

となっていまして・・

現在はこんな感じですが


かつてはこの橋の下の方まで石段がありまして・・今は埋まってしまいましたと


さてこちらのお堂でお参りをしまして
無事記帳していただきまして・・お昼もごちそうになっちゃいました
Posted at 2018/05/29 22:43:02

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