今シーズンのF1はオーストラリア、マレーシア、中国と3戦を消化し、今週末はトルコGPを迎える。
去年同様、レッドブルが速く、それにマクラーレンが僅差で付けると言う展開なのだが、下位の方に目を移すと、名門と言われていたウイリアムズの低迷が気になる。
8~90年代あれほど速く強く、何人ものワールドチャンピオンを誕生させていたウイリアムズが、去年新規参戦してきた新興チームとポジションを争うことになっているとは、誰が想像出来たであろうか?
株式を公開し、まるで身売り先を探しているかのような状況でのこの成績不振。
このまま終わってしまうのではないかと思ってしまうほどだ。
そこで、そのウイリアムズF1チームを振り返ってみっかなと。
ウイリアムズF1チームは1969年にスタートするのだが、当初はワークス放出の中古シャシーを買って参戦する小さいチームだった(当時はコンストラクターである必要が無く、市販F1シャシーが存在した)
その中、1974年にようやくオリジナルシャシーFW01が完成し、それで参戦することに。
しかし、成績は全く振るわず1978年、テクニカルディレクターにパトリック・ヘッドが加入し開発したのが、FW06(↑)
すでにロータスなどがウイングカー(グランドエフェクトカー)を開発し、成功している中で、FW06は旧式なマシンだったが、他チームがウイングカーの熟成に戸惑っている中、FW06は速さを見せつけた。
その翌年に満を持して開発したのがウイングカーのFW07(↓)だ。
このマシンを駆るクレイ・レガッツォーニがイギリスGPで初優勝。その年に計4勝を挙げた。
翌年1980年、アラン・ジョーンズがドライバーズチャンピオンを獲得し、一躍トップチームへと上り詰めた。
その後、1982年にはすでにターボエンジンが主流となる中、頑なにコスワースDFVエンジンで戦っていたのだが、FW08でわずか1勝を挙げただけで、ケケ・ロズベルグがドライバーズチャンピオンに輝いた。
そして、ホンダとのタッグを結ぶことに。
当時のウイリアムズは、非常にエンジニアリング面で保守的であり、ホンダとのタッグ初年度は旧式なアルミハニカム素材のモノコックをFW09(↓右)に採用(他はカーボン製に移行していた)
非常にハイパワーなホンダのターボエンジンの性能を生かせるほどのシャシー性能を発揮できず、大荒れだったアメリカGPでロズベルグが勝っただけで


終了。
その反省から、翌年(1985年)にはウイリアムズ初のカーボンモノコックを採用したFW10が登場し、ロズベルグとナイジェル・マンセルが乗り、終盤で3連勝。
その勢いのまま、翌年(1986年)にはFW10の改良進化型のFW11を投入。
ドライバーはロズベルグが抜け、その代わりにブラバムから2度のワールドチャンピオンのネルソン・ピケが加入。
その年に、チームオーナー兼監督のフランク・ウイリアムズが交通事故で現場を離れることになり、その間にマンセルとピケの関係が悪化。
翌年、車いす生活ながらフランク・ウイリアムズが現場復帰したが、ふたりの関係は修復できず、チーム内は混乱。
その中、ピケがチャンピオンを獲得するが、それもマンセルが日本GP予選中に起こした事故による離脱での結果だった。
翌年、ピケはチームを離れ、おまけにホンダエンジンもマクラーレンに取られることになり、F1がターボエンジンから3.5リットルNAエンジンに移行するタイミングだったので、ジャッド製V8エンジンを載せたFW12で戦うことに。
それと同時に、アクティブサス(実はホンダ時代も試していた)を搭載したが、マシンの信頼性や速さは全くなくなり、新たに迎えたリカルド・パトレーゼもマンセルも目を覆うような結果しか残せず(雨の中行われたイギリスGPでマンセルが2位になったのが最上位)
その後、ルノーがF1に復帰するということになり、ウイリアムズがルノーを積むことになった。
ドライバーはマンセルがフェラーリに移籍し、代わりにベネトンからティエリー・ブーツェンが加入。
当初はFW12を改良したマシンだったが、それでもブーツェンが2勝を挙げるなど、再びトップ争いが出来る位置に返り咲いた。
FW13を経て登場したのが、新たに雇い入れたデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイが手掛けたFW14。
ドライバーもマンセルがフェラーリより復帰(ブーツェンは移籍)し、パトレーゼとのコンビへ。
FW14は空力性能に長けたマシンで、さらにセミオートマチックのギアボックスを採用。速さはあったが安定性に欠けた。
その改良型FW14B(↓)が翌年登場し、これには一時期使用しなかったアクテイブサスを再導入。
これが非常に速く、マンセルが初のドライバーズチャンピオンに輝いた。
その後、ウイリアムズ・ルノーの時代が続き、マクラーレンで苦悩していたアイルトン・セナでらウイリアムズに乗りたいと公言するほど。
1993年に引退していた3度のワールドチャンピオン、アラン・プロストがウイリアムズから復帰し、FW14Bの改良型FW15を駆りあっさりとチャンピオンを獲得した。
プロストは再び引退し、その代わりにアイルトン・セナがマクラーレンから移籍してきた。相方は前年から引き継いだデイモン・ヒル(元々はテストドライバーだった)
マシンはFW14からの流れをくむFW16(↓)だったが、レギュレーションでアクテイブサスが禁止され、ノーマルなサスに戻された。
そして、あの悲劇が…。
その後、デイモン・ヒルやジャック・ビルヌーヴがウイリアムズで活躍してチャンピオンを獲得。
そしてルノーのF1撤退…。
2000年、新たにF1に復帰してきたBMWとタッグを組み、ラルフ・シューマッハやファン・パブロ・モントーヤを起用した。
90年代以降、それまで保守的だったウイリアムズが新技術を新たに開発するなど、F1のトレンドメーカーと呼ばれるまでになったのだが、BMWとのタッグでもそれは発揮された。
ただ、ニューウェイが離脱(マクラーレンに移籍した)後は、微妙に迷いがあったようで、←のFW26はシーズン開幕時にはこのような特徴あるデザインを採用(セイウチノーズと呼ばれた)。
しかし、どうやら失敗だったようで、シーズン途中で普通の細身のノーズに変更された。
BMWとの関係は6年間続いたが、計11勝は挙げたがチャンピオンを争うほどにはならずに、BMWはザウバーを買収することでウイリアムズと分かれることに。
その翌年(2006年)にコスワースエンジンを使用するものの、その翌年(2007年)からはトヨタからエンジンの供給を受け、ドライバーに中嶋一貴を起用した。
その前年から起用してたニコ・ロズベルグは、ウイリアムズで活躍したケケの息子ということで、ふたりともF1ドライバー2世ということに。
しかし、トヨタエンジンを採用するも優勝争いできるポジションには返り咲けず、わずか2年でトヨタとの契約を打ち切ることに。

そして去年は再びコスワース製エンジンになり、終盤のブラジルGPでPPを得たが、不安定な天気が見方したのも事実で、実質的には低迷期に陥ってしまった。
今シーズンは未だにポイントを挙げておらず、新規チームのロータスよりも成績が振るわない有様。
テクニカルディレクターの更迭も決定され、この先どうなるのやら。