去年の9月27日は、我が親友であり80年代にRCカーの世界で記憶に残る活躍をした、ケムール霜鳥こと霜鳥由明氏が亡くなった日である。

早いものであれから1年が経ってしまった。
直腸がんが発見され手術で切除されたものの、がんは肝臓に転移していて、それの治療のために抗がん剤の投与で入退院を繰り返していた彼。
彼には言わなかったが、自分の母親が乳がんの治療をした際に抗がん剤治療をしたのだが、副作用で味覚障害などで食事が満足にできなくなり、みるみるうちに痩せ細る母親を見てられなくなり、医師に相談して抗がん剤治療をやめたほど。幸い、念のための抗がん剤治療だったので、やめても転移などは見られず、今は元気で暮らしている。
彼は自分の体の異変を感じ、がんであることがわかった後に色々と調べて最適な治療を施してくれる医師を見つけたと言っていたので、彼が探し信じた医師が施す治療に自分があれこれと異議を唱える必要は無いと思ったから。
直腸がんの手術は成功し、数日後にお見舞いに行ったのだが、普段と変わらない彼がそこにいた。前日までは色々と繋がれていたようだが、その日の朝に全部取れたと。
思えば、普段通り元気な姿はあの日が最後だったかも。
その後、お見舞いに行くこと数回、抗がん剤治療の副作用で元気が無い彼の顔を見に行くのは正直厳しい時もあった。
お見舞いに行くと起き上がり、いつもの調子で話し出すが、明らかに無理しているのがわかったので、いつも早めに切り上げていた。
最後にお見舞いに行った8月30日は比較的元気で、誰かにお見舞いでもらったナノブロックについていつもの調子で語りだす。それ以前にお見舞いに行った時より全然元気に見えた。しかし、それはすでに抗がん剤治療をストップし、副作用が出ていなかったからでしかなかった。
その後、色々とあってなかなかお見舞いに行けずに時が過ぎた。
彼はその間に一度退院し、自宅で静養していたのだが、9月半ばに緊急入院。
入院直後に彼岸というタイミング。
昔から、彼岸の時に病人のお見舞いに行くものではない…と言われているので、高齢の両親がいる彼だけに彼岸中にお見舞いに行くのは避けた。
お見舞いに行きたいが、仕事の都合上でなかなかその時間が取れない。9月24日に彼に「しばらくお見舞いに行けない、ごめん」とメールを送る。いつも返事をくれるのだけど、その時は返ってこなかった。
ようやく彼岸明けに休みになったのが9月27日、面会は午後2時からなので午前中は有明で開催中のホビーショーに出向き、お見舞いの際に話すネタを仕入れて病院へ。
後は去年書いた通り。そこで息を引き取ったばかりの彼と対面することとなった。
後日、彼の親類の方に伺った話では、自分がメールした24日までは意識があったと。時折、着信したメールを見ていたが、返信するだけの気力が無いように見えたと。
その話を聞いて、彼岸だからとお見舞いに行かなかったことを悔やんだ。
数日後、彼の葬儀が行われたが、仕事がどうしても休めず通夜は欠席。告別式はなんとか休みを他の人と代わってもらい出席できた。
棺に生花を入れる際、RC仲間たちは皆泣いていたが、自分は泣かなかった。
「霜さん、こんなところで何やってんの?ほら、(RCカーの)レース行くんでしょ?早く準備しようよ」と言ってしまった。
今日は彼の一周忌法要が営まれ、彼のお母様より声をかけてもらったのだけど、あえて出席するのを辞退した。辞退する理由は特にない、時間がないわけじゃないのだが…。
誰かの前で泣きたくないじゃん、それだけ。
霜さん、ごめんね。後でひとりでお墓参りに行くから。
Posted at 2015/09/27 06:31:01 | |
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