ふと思うことがあるんだけど、オイラのRCカーという趣味の楽しみ方ってどういうんだったっけ?ということ。
RCカーの楽しみ方はいろいろとあると思う。オイラがこの趣味に出会ったのは小学6年生の時。当時はスーパーカーブームってヤツで、それに便乗した形でRCカーが爆発的に流行ったのよね。
んで、子供の頃から車に囲まれた環境で育ったオイラは、スーパーカーブームなんてどうでも良くて,
カウンタック?フェラーリ?ポルシェ?それがどうしたの?っていうガキんちょで、そんなスーパーカーよりケンメリが好きという変わり者だったかも。

当時、古いクラウンに乗っていた親父が買い替えを考えてて、ケンメリを買えと駄々を捏ねて買わせたんだよね(爆)
何でケンメリだったのだと言えば、直6エンジンと4輪独立サスだからというガキんちょが普通は考えないところに引かれたのだった。当時はリーフスプリングでリジットサスが普通で、セミトレーリングアームでコイルスプリングで、リアタイヤが“ハ”の字になるケンメリが凄い車だと思っていたのね。
もちろん、あの長いボンネットに丸いテールランプがカッコいいというのもあったんだけど、走る性能に妥協していないところがお気に入りだった。
その「走る性能に妥協していない」の部分が、RCカーの趣味にも引き継がれちゃっていたりする。
まあ、最初は走れば(動けば)満足だったけど、当時はスーパーカーブームに便乗したRCカーブームで、中学生になったオイラの同級生とか先輩とかでRCカーをやってた人がそこそこ居て、学校が終わるとみんなで集まって走らせるわけよ。そうなれば、誰の車がスピードが速いとかになるんだな。
んで、近所にRCカーを扱う模型屋(後に伝説となるイザワ模型)があり、そこで速くするネタを仕入れたりして、いかに他のヤツの車より速い(この場合、直線スピードが)車を作ることに励むわけ(当然、勉強は二の次になったのは言うまでもない)
そのうち、その仲間のうち数人が池袋の丸井の屋上に出来たコースに行ってきたとの話が。
そう、丸井ってあの丸井ね(笑)
当時、RCメーカーの京商が丸井の中にRCモデルの直販店を出してて、それの販促の一環で屋上にRCカーのコースをオープンさせていた。
んで、池袋って言ったらオイラの地元から割と近くて(路線バスに乗ればすぐ)、オイラもその辺で真っ直ぐ走らせるだけじゃ物足らなくなってきたんで、コースとやらに行ってみたいと思った次第。
そこで見た光景は、オイラの想像をはるかに超えてて、トンでもないスピードでコースをかっとんで行くRCカーと、それを華麗に操縦する大人の姿だったのだ。
オイラも当時の愛機であるタミヤのタイレル6輪で走り始めたけど、真っ直ぐ走らない、スピードは遅い、コーナーですぐにスピンするなど、まともに周回できない有様で、後はコース脇でオイラの車と次元の違うスピードとコーナリング性能の車の走りをただ見つめるだけだった。
その時にそこで走らせていた大人の人が、その数年後にチームのうてんき初代会長となったミルミル氏だったそうで、実は2回目に池袋・丸井屋上コースに行った時に声をかけてくれたのがミルミル氏。そこが最初の出会いだから、ゆうに35年以上前の話なわけ。
そこでビュンビュン走らせていたのは他にもたくさん居て、それらの人たちが走らせていた車が青柳金属とかいうメーカーのだと聞いて、雑誌の広告を見せてもらった。
それまで、RCカーと言えどもボディが先にあって、中身(シャシー)がメインじゃなかったのだけど、その青柳金属の車の広告は、まずはシャシーの写真がでかでかと出てて、ボディは二の次みたいなノリで、速く走るために生まれてきた生粋のレーシングマシンだと理解できた。
それから、頭の中は24時間「青柳、青柳」で埋め尽くされ、その次の正月にお年玉を叩いて青柳金属の車を手にしたのだった。
まあ、簡単に言えば「RCカーは速くてナンボ。速いが正義」という思考は、すでにこの頃確立されちゃっていたのよね。
この話、気が向いたら続きを書くね^^;
注・青柳金属=AYK
Posted at 2016/05/25 23:40:39 | |
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