
平原綾香が9日、TOKYO FMスペイン坂スタジオで、国際社会貢献運動「ランドセルは海を越えて」の特別番組に出演し、生放送中に号泣し、一時何も話せなくなる場面があったとか。
平原綾香は運動の主旨に賛同し、昨年自分が小学校時代に愛用していたランドセルを提供している。1年後のこの日、そのランドセルがアフガニスタンのタルワサちゃんという子の手に届き、笑顔で使用している写真を見せられて感極まったそうだ。「送ったランドセルでこれだけ喜んでくれていると思わなかった。もっと広めていきたい」と涙ながらに話していたとのこと。
この気持ち、少し分かる気が・・。一昨年、不要になった赤ちゃん用の電動揺り椅子?とか、ジャンパルー、チャイルドシートなどをオークションに出品して、落札された方にYouTubeで限定公開して、使用していた頃の様子を紹介しておりました。中には、お返しに、届いた品を実際に我が子が使用している様子を撮影し、Youtubeで投稿され、見せて頂いたことがあります。この時、我々が抱いた感情を増幅された形で平原綾香さんは感じたのではないかと推察いたしました。
自分の身近にあった品がまったく知らない他人に渡って、使って頂くこと自体は、どうってことないのですが、その品には、子供の成長する過程で様々な思い出が詰まっていて、その思い出と送った先で使われている写真や動画から、新たな家族とその子の成長に少なからず貢献してくれるであろうという慶びが重なって、なんとも不思議な感情がこみ上げてきたものです。
私が平原綾香が歌う曲の中でもっとも好きな曲が「ノクターン」です。
「ノクターン」を聴いていると、倉本聡脚本で、緒方拳の最期の作品となった「花のガーデン」というテレビドラマを思い出します。「ノクターン」はドラマの中で繰り返し流れる曲でした。麻酔医役の中井貴一が末期ガンを宣告され、父親と自分の別れた二人の子どもに会いに、北海道にもどってくる物語でした。平原綾香も中井の愛人の一人として、登場してました。この番組が報道される前から、緒方さんがガンのために余命幾ばくもなく、確か、ドラマが始まる直前に亡くなったこともあって、是非、見たいと思っていました。
中井の父親役としての、頑固で、かつ優しい、田舎の町医者を演じていましたが、実際、見ごたえのあるドラマでした。特に、第9話では涙が止まりませんでした。中井貴一の演技力はすばらしかったし、緒方拳という役者が、この物語の中で、とても存在感がありました。この作品は、緒方拳という昭和に活躍した俳優としての最期を飾るにふさわしい作品でしたし、最期の最期まで役者として、すごい人だったなと思います。
中井貴一演じる麻酔医は、東京で医師としての自己の才能を余すところなく発揮し、何もかもが自分の思い通りになる生活を満喫していた。そういう役どころの男が、末期ガンを宣告されて、最期の時を迎える場所として選んだのが、棄てたはずの故郷の、知的障害を持つ息子(岳)が世話をする、花々が咲き乱れるガーデンだったのです。息子と成長した娘、そして勘当された父親役の緒方拳と和解するために、東京での人間関係や、女性関係もすべて棄てて、末期ガンの患者から譲り受けたキャンピングカーから、実家のガーデンを遠くから眺めるという生活を選んだのです。
人間は独りで生まれ、独りで死んでいくにしても、懺悔をするかのような独りでいる環境を選びとる権利があるよ、と言いたげな物語の展開でした。散り散りになった家族との和解と中井演じる麻酔医の死へと向かう過程が皮肉にも同時に進行していくのです。
出会い・別離、再会、そして今生の別れ というのがこのドラマのテーマのようでした。人は、どのように装ったとしても、結局は独りぼっちで死んでいくんだということ、誰にでもいずれは訪れる死は、無意味さ、不毛さにこの世の無常を感じるが、家族との出会い・別離・再会・今生の別れ を通じて、見送る側も見送られる側も、納得し、絆を快復し得るのだということを、強く感じました。
それにしても、第10話の中井貴一が演じる父親と 神木隆之介が演じる息子との今生での別れのシーンは、止めどもなく涙が流れてたまりませんでした。HDDに保存していつでも見られるのですが、そのときの感動が薄れるのが嫌なので、めったに見ません。でも瞼に焼き付いています。抱擁シーンもグッと来ますが、むしろ、息子が乗る車が風のガーデンから去っていくシーン。まるで、天使かピエロのように見える中井貴一の演技が胸に刺さります。50代後半の私は、あと、何年、子どもらと一緒に過ごせるのだろう。いずれは来るその時がまるでカウントダウンのように感じられる年頃?なので、このドラマはとても胸にしみました。
Posted at 2012/01/10 12:51:06 | |
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