まいど、Y田です
前のブログの続きです
9月16日、5連休3日目
遂にこの旅の主目的である
みんともさんとの対面を果たさんと意気揚々と三愛レストハウスにやってきました

取り合えず、フロントに付着した虫をとる
トイレに行ったり、なんやかんやしていてハイドラを確認したら
既に建物の反対側の駐車場あたりに到着してるっぽい…
基本的にはビビり且つチビリなのでおっかなびっくり移動
遂にその時がやってきた
きじくろさんに遂に対面
Y田姉がDSさんに乗り換えた時から足跡を付けてくださる様になってから約5年
まさか、こんな日が来るとは…
そしてこれか、DS3 Racing 通称 仏壇号
しなっとフェンダー付いてて幅がデカい、そしてブレーキがデカい
下回り見たかったなぁーフロントショックの径とか見たかった
そしてここからきじくろさんが誘ってくださった他のみんともさんと移動
で、考えて頂いたルート上にある第一目的地着

NDのボンネットが開いているのはつまりそういう事だ
元競技屋としてはやっぱり開けてしまう…まぁそういうペースって事ですな(^^;
先導してくださった718(写真の右端)に遅れまいと
ここで見失ったらY田は絶対に迷う…
…ここで逸れれば、
恐らく生きて本州の地を踏むことはない…
という大げさな緊張感から意地でもついていきました
ここから若干林道を徒歩で登った先にあったのは

ん?ドイツの対空塔かな?って思ったY田は何かの病気なのだろう
これの頂上からの展望

左側の雲の中にあるのが阿蘇山頂
手前のボコボコしてる地形は、大昔に噴火した時に流れ出た火砕流の跡…
もう規模がデカすぎて、Y田の最近の悩み…
気が付いたら左の耳たぶから
やたら長い産毛が生えてる事がある
なんてちっぽけな事だなって改めて思いますよ
景色を堪能した後、若干SS区間的な速さで移動、昼食へ
おしゃれな隠れ家的なピザ屋さん

ピザといえば王道のコレだろう…

変わり種、リンゴのピザ
何喰っても旨かったけど、リンゴが個人的に一番だったな
因みに店の全景、店内の様子は写真のデータが飛んだのでありませんッ
ピザを堪能した後、再び移動
佐伯市南東、石鎚山の‘空の公園’

この鐘はアレだろう、全国各地にある恋人の聖地的なアレだろう多分
写真のおっちゃん?…知らない人、主役みたいに写ってるけど知らない

海が青いぜぇ、日本海とは違うぜ、アレ黒いもんなぁ

今からの時期、冬が近づくと北陸周辺の日本海は大荒れになって真っ黒になるけど
北陸富山の生んだスーパースター某柴田氏の言葉を借りるなら
「あれを見るともう死にとうなる…」
そんなレベルなのである
そしてまた移動、
この旅の目的④に到着

Y田の無理やりスケジュールに合わせてツーリングに
付き合ってくださった皆さんのクルマたち
実は一直線に並ん唯一の写真だったりする
そして目的④とはここだっ!!

丹賀砲台跡地
うんそれは言うな、何処かがわかり辛いのは分かってる
もっとココっていうのが分かりやすい看板とかを撮った写真のデータが飛んだのさ…
因みに壁面の迷彩は確か当時のオリジナルのまま
壁のボコボコ偽装用で、光の反射をさせない為の処置
早速内部へ

ケーブルカーの名前が勇ましい…
ケーブルカーをもし使わないとなると
結構な傾斜の階段を100段以上登らないといけない
当然、変態なY田は階段である

Y田につられて、登ってくるきじくろさんの雄姿
この階段、途中で屈折しているけど恐らく爆風除け
砲自体(砲塔、天蓋)、もしくは麓の付帯設備等が砲爆撃にさらされた場合、
被害を極限させるため、爆風が一気に抜けない様に考えているっぽい
巡洋戦艦の伊吹の主砲塔を流用して造られた砲台だけれども
試射の際、腔発にて砲自体が全損、使用不可に
その跡地(砲塔が据わっていた竪穴)が整備されて公開されている

最下部から見上げた所
この螺旋階段を登る

射界方向
呉軍港等瀬戸内に進入を試みる敵艦に対しての防衛を担うはずだった

前方の海峡に向けてだけじゃなく、
別に観測所を設けて‘間接射撃’を行っていたはずだけど
当然、ここからそれは見えず、見つからず

巡洋戦艦 伊吹
砲塔跡地を出て弾薬庫

なぜ整備時に床をチェックにしたのかは不明…
多分当時の姿はもっと無機質だったはず
ここから弾薬を運び出して、今はケーブルカーが据わっている所にあった
ベルトコンベアで砲塔まで揚弾していたらしい
いつかは来てみたいと思っていた所だったので、
来れて本当に良かった
次はこの砲台と対となる四国の佐多岬砲台かなぁ
Y田のフェリーの時間が迫ってきたので
丹賀砲台を後にして大分港に向かいます
また先導して頂き
予定時刻に大分港へ
ここで今回お付き合い頂いた皆さんとお別れ
皆さんにお声がけして頂いたきじくろさん、
当日のルートの選定、先導をした頂いた8778パパさん
ツーリングに参加された皆さん
本当にありがとうございましたm(__)m
お陰様で最高の旅となりました
またみんなで走りましょう(^^)
そして皆さんに見送られた後、余韻に浸りつつ一人になった切なさと
…愛しさと切なさと心強さと…いやそれ言いたかっただけ
そんな感じでフェリー受付

来るときは大丈夫だったけど、帰り何故か低床車扱い
前にいたスーパー7集団の‘この人雰囲気あるわぁ~’っていう人に
「兄ちゃん、ついてねぇな、低床扱いになったら最後なんだよ」
って言われながら乗船待ち
この後、スーパー7集団にも置いて行かれ、本当最後に乗船(^^;
そして部屋に荷物を置くとほぼ同時に離岸

さらば九州、ありがとう九州、
またそのうち思い付きで来るであろう
その後、特にやる事もなかったので
シャワーだけ浴びてさっさと寝ました
今回の旅ですが
思い付きで行った中では
再遠征となりましたね
まさか鹿児島まで行く日が来るとは思っても無かったです
九州の戦争遺構、戦争の記録、これ言うのは
沖縄という戦場から遠い北陸では、ここまで貴重な物に触れる事はなかなか無く
非常に有意義であったと思います
九州の自然の雄大さ、コレには驚きました
北アルプスにまだ近い所に住んでいるし、北アルプス周辺、
場合によっては山中で仕事する者としては
北アルプスの自然=自然の雄大さと、自分の中ではなっていたのですが
九州の自然が趣が全く違う、綺麗さの中にも荒々しさがある、素晴らしいものでした
そして、今回お付き合いいただきました皆さん
ありがとうございました
Y田単独であったら、ただ走る→目的を達成する→また走る
の繰り返しで、今回ほど思い出にはならなかった事は確実です
本当にありがとうございました
因みにもしかしたら番外編⑥につづく…かも
Posted at 2018/09/28 00:00:32 | |
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