
※今回は写真多いです・・・・
この日は明けで、ハイドラ緑化と
”駅メモ”の神奈川県内駅制覇を達成すべく
鉄道で藤沢~鎌倉~逗子~浦賀と移動してました。
浦賀駅は京浜急行の駅。
知らなかったんですが、この浦賀駅が本線の終点なんですね!
三崎口が本線終点かと思った。
品川行きが出てるとはいえ、普通列車ばかりでちょっとお寂しい感じ。
◎浦賀駅の先に有ったのは・・・
ちょうど昼時だったので、ここで折り返しする前に昼食でも・・・
ネットで定食屋が有るのを見つけ、歩いていくと・・・
むむ!? 平地に古い擁壁? なんか怪しいぞ。
方角が駅に向かっているし、もしかして線路跡?
とりあえず刺身定食を食べながらネットで情報収集。
すると、浦賀駅の先にも路盤があったという話を見つけました。
軍の意向で浦賀の先、久里浜方面に延ばすような話が有ったとも。
しかし地盤に欠陥?が見つかったから経路を変えたとか、浦賀の先をトンネルで抜くと
時間と費用が掛かるので、別ルートにしたとか複数の話が出てきます。
これはネット上での受け売りで、私が調べた内容では有りませんけど。
”擁壁” だけでは今ひとつパンチ力に欠けるなぁ。
他に無いのか調べてたら
”橋台” が残っているという情報を得まして。
ちゃんと写真も載っていました。 これと擁壁がセットなら十分イメージ出来る。
これは見てみたい!
食事を終わらせて、その現場に向かってみました。
定食屋のすぐ裏側!
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お、おぅ・・・
(個人の家が含まれているので加工してあります)
橋台部分は新しく作り直して、あるお店の物置の基礎になっていました。
作り直したとはいえ、大きさや形状から在りし日の橋台を思い起こす事は可能ですね。
反対側は駐車場+駐輪場。
”怪しい擁壁”の内側は路盤が削られています。
他にも痕跡は無いのかな・・・
橋台跡の擁壁左側の先は緩やかにカーブして地山に向かっています。
では橋台跡の擁壁右側を行くと・・・地山を登る小道につながってまして
振り向くとこんな感じ。 擁壁の上の家も下に見下ろしています。
で、ちょいと右側を覗いてみると
こ れ は !
枕木柵! 壊れた標識が付いてますが「中に入らないで下さい」的なものか・・・?
そして 境界杭! KHK(京浜急行)のもの! しかしなんで斜めになっているんだw
下から見上げた位置関係。
ここが京急の土地(だった?)だという証拠です。
途中、駐輪場だったり住宅地に分譲されたりしてますが、きっと路盤も有ったのでしょう。
これで私は溜飲を下げる事が出来ました。
ちなみに地山の地盤はこういう岩。 地質は分かりませんが、モロそうです。
ネット上で見かけた”欠陥”と何か関連が有るのでしょうか。
この後も山側を見ましたが、これ以上の痕跡は見つけられませんでした。
駅から 橋台跡までの位置関係。
各痕跡を地図に落とすと、こうなります。 だいたいカタチが見えたかな。
これ以上、終端側の山には痕跡がないと思い、駅側に移動しました。
◎浦賀駅付近
今の駅前。 橋台跡などは見当たりません。
擁壁表面に縦に補修した跡とか見えますが、関係ないかな?
駅側から見た全容
これ以上の情報は無いと判断し、帰宅しました。
しっかり”駅メモ”の神奈川県内の駅は制覇してから帰りましたが・・・
↓
◎航空写真で見る浦賀駅周辺
国土交通省の航空写真で調べてみました。
まずは1963年当時。 私はまだ生まれていません。 そんな事はどうでもいいな。
今では何にも痕跡の無い駅前にも橋が架かっているのが見えます!!
そして駅より先、山の手前まで線路らしきものも・・・。
時代は進み、1977年。 駅前の橋は撤去されてしまいました。
橋台跡の部分にはまだ橋が架かっているようにも見えます。
地形図を見てみました。
線路は標高の低い、緩やかな場所に向かっていたようです。
やはりトンネルで抜くつもりだったのでしょうか。
現在の路線。
もし浦賀から久里浜へ延びていたらどうなっていたでしょうね。
快特が浦賀をバンバン(通過かも知れんが)走っていたことでしょう。 町ももう少し栄えていたかも。
予定以上に現場で時間を食ってしまいましたが、なかなか楽しい探検が出来ました。
Posted at 2016/09/05 02:06:04 | |
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【趣】鉄ネタ | 日記