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dora1958のブログ一覧

2021年09月21日 イイね!

TT

TTTTとは












地名
トリニダード・トバゴのISO国名コード
鳥取を表す日本の国際ナンバーの符号
鳥取県を表す漁船法施行規則13条・付録第二の漁船の登録番号



ではなくて


ツーリスト・トロフィー - モータースポーツの賞杯の略称
ツーリストとは旅行者ではなく「遠征するスポーツ選手」という意味で、
マン島TTレースの場合はライダーのことを指すそうです
レースの形態が現在のようなサーキット(周回コース)を使用して
行われるようになるまで、ヨーロッパの都市と都市を結ぶ公道を使用して
行う都市間長距離移動レースという形態であったことに由来





代表的レース
マン島TTレース - イギリスマン島のオートバイレース




1907年からイギリス王室属国のマン島 (Isle of Man) で
開催されているオートバイ競技




日本人では唯一50CCクラスで
伊藤光夫選手が優勝


そのほか
ダッチTT - オランダのオートバイレース
FIMロードレース世界選手権の一戦として、
毎年6月最後の土曜日にオランダのTTサーキット・アッセンで
開催されるオートバイレース


TTと名図けられたタイヤもありました



Posted at 2021/09/21 07:37:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ
2020年10月03日 イイね!

HONDA F1 回顧録

HONDA F1 回顧録HONDAが2021年を限りに
活動中止









HONDA F1回顧録

第一期 1964年~1968年
この時代は私は鼻たれ小僧



このころのF1はナショナルカラーでした
白と赤でシンプルですね
イギリスはブリティッシュグリーン、フランスはブルー、イタリアはレッド、
ドイツはシルバー

シャーシ&エンジンともホンダ製
1964年 RA271
横置きの1.5LV型12気筒エンジン



1965年には全戦出場し最終戦の第10戦メキシコGPで
リッチー・ギンサーが念願の初優勝

1965年 RA272





1966年 RA273
1966年に大幅なレギュレーションの改正が行われ、
エンジンの排気量がそれまでの1.5Lから倍の3.0Lになった




1968年 RA301
前年型のRA300同様ローラ・カーズとの共同開発
イギリスGPからはハイマウント式のリアウィングを装備








第二期 1983年~1992年

1986年と1987年にはコンストラクターズ・タイトル
1987年ネルソン・ピケのドライバーズ・タイトルを獲得
1988年 マクラーレンが16戦中15勝し
アイルトン・セナがドライバーズ・タイトルを
1989年 マクラーレンのアラン・プロスト
1990年にはセナが再びチャンピオンに輝く
コンストラクターは6年連続、ドライバーは5年連続で
ホンダエンジン搭載車が獲得
「ホンダエンジンなくしては総合優勝を狙えない」とまで言われた

スピリットホンダ 201C 1983年

F2シャーシに1.5L ターボエンジン搭載


確かドライバーはF1のシュワちゃんこと
S ヨハンソンだったはず



ウィリアムズホンダFW09

エンジン名 ホンダRA164E
気筒数 V型6気筒ツインターボ
排気量 1,500cc
ドライバーは
ジャック・ラフィット ケケ・ロズベルグ

アルミニウム製のモノコックを採用
ホンダF1の黄金時代と謳われる第二期F1活動における71勝のうち
最初の勝利を挙げたマシン

1984年第9戦アメリカGPでケケ・ロズベルグにより復帰後初勝利
この勝利は1967年イタリアグランプリ以来17年ぶりの優勝



無敵のウィリアムズホンダFW10 1985年

モノコックはウィリアムズとしては初となるカーボンファイバー製

エンジン名 ホンダRA164E,RA165E
気筒数 V型6気筒ターボ
排気量 1,500cc
ドライバーは
1985年 ナイジェル・マンセルとケケ・ロズベルグ

№5はNマンセル車



ウィリアムズホンダFW10B 1985年

FW10 のリアサスペンションをロッカーアーム式から
プルロッド式ダブルウィッシュボーンに変更
ホンダが吸気チャンバーを小型化したこととあわせ、
エンジンカバーを10cm低くすることに成功
この改造によって、リアウィングへの気流が改善







1987年 
ウィリアムズとロータスの両チーム併せて11勝を挙げた
イギリスGPでは初の決勝1〜4位独占
(マンセル、ピケ、セナ、中嶋)、
イタリアGPでは決勝1〜3位(ピケ、セナ、マンセル)を達成する
ホンダは翌1988年のエンジン供給先は
ロータスとマクラーレンとなることを発表した。
1984年以降続いたウィリアムズとの契約は、
1年を残して打ち切られることとなった


ロータスホンダ 99T 1987年
中嶋選手が日本人初フル参戦 
 第2戦サンマリノGPで 6位入賞
第7戦 イギリスGPで4位 第15戦 日本GPで6位



凱旋した日本GPでは
ゲルハルト・ベルガーがフェラーリにとって2年半ぶりの優勝



アクティブサスに手を焼いていたセナも 日本GP 2位






マクラーレンホンダMP4/5 1989年
3.5リッターV10エンジンを搭載
1989年10勝(アイルトン・セナが6勝、プロストが4勝)
セナは6回のリタイアしドライバーズタイトルはプロストのものになった



1991年から ティレルチームに対し、V型10気筒エンジン供給



第三期 1999年~2008年


ホンダRA099 1998年
デザインを日本で行いイタリアのダラーラがシャーシRA099の製作を担当
1999年にテストドライバーにヨス・フェルスタッペンを起用
ヨス・フェルスタッペンはMフェルスタッペンの父

結局ホンダはフルワークスによる参戦を断念した。



BAR ホンダ 005 2003年
ドライバーはジャック・ヴィルヌーヴと新加入のジェンソン・バトン。
佐藤琢磨がリザーブ兼テストドライバー
エンジン ホンダRA003E 自然吸気
気筒数・角度 V型10気筒・90度
排気量 2,998 cc



BAR ホンダ 006 2004年
エンジン名 ホンダRA004E
気筒数・角度 V型10気筒・90度
排気量 3,000cc

第4戦サンマリノグランプリでジェンソン・バトンが
チーム初めてとなるポールポジションを獲得
バトンは表彰台10回を獲得してドライバーズランキング3位
佐藤も第7戦ヨーロッパGPで日本人歴代最高となる予選2位を獲得。
第9戦アメリカグランプリで自身初となる3位表彰台を獲得



BAR ホンダ 007 2005年
エンジン名 ホンダRA005E
気筒数・角度 V型10気筒・90度
排気量 3,000cc

第10戦フランスGPでシーズン初ポイントを獲得。
バトンは最終戦まで10戦連続入賞・2回の3位表彰台と活躍を見せた
佐藤は第13戦ハンガリーGPでの8位1回に終わった
コンストラクターズランキングは前年の2位から6位に後退




Super Aguri SA07  2007年
本田技術研究所と協力して製作された
エンジン名 ホンダRA807E
気筒数・角度 V型8気筒・90度
排気量 2,400cc

佐藤琢磨が第4戦スペインGPでチーム初の8位入賞、ポイント獲得
第6戦カナダGPでは、前年王者のフェルナンド・アロンソを残り3周で
オーバーテイクして、6位入賞

年間ランキング
佐藤琢磨 14位 アンソニー・デビッドソン 23位





ホンダ RA108 2008年
ホンダレーシングF1チームの最終作
エンジン名 RA808E
気筒数・角度 V型8気筒・90度
排気量 2,400cc

参戦ドライバーはルーベンス・バリチェロとジェンソン・バトン
入賞はわずか4度に終わり、
コンストラクターズランキング
ポイント獲得したチームのうちでは最下位となる9位




第四期 2015年~

パワーユニット(エンジンおよびエネルギー回生システム(ERS)。)
のサプライヤーとしてF1へ復帰

第2期マクラーレンとのジョイント​
ドライバーは Fアロンソ Jバトン

マクラーレンホンダMP4-30
エンジン名:本田技研工業(ホンダF1) RA615H
気筒数・角度:V型6気筒・90度
排気量:1,600cc

2008年以来7年ぶりのF1復帰となるホンダ製パワーユニットを搭載したマシン
パワーユニットはメルセデスが先鞭をつけた「スプリットターボ方式」
第6戦モナコGPでバトンが8位入賞し、初ポイントを獲得
コンストラクターズ選手権順位は10チーム中9位に終わった。



2016年 高速サーキットのイタリアGPでは
アロンソがファステストラップを記録

2015年から供給を行っていたマクラーレンとの契約を
2017年いっぱいで解消


2018年はトロ・ロッソへ単独供給


Toro Rosso STR13
名称:ホンダ RA618H
気筒数:V型6気筒
排気量:1,600cc

デザイナー
ジェームス・キー

ドライバーはピエール・ガスリーとブレンドン・ハートレイ
2018年はコンストラクターズ9位に終わった










2019年はレッドブルとトロ・ロッソの2チームに供給。
レッドブルのマックス・フェルスタッペンが
開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞

第9戦オーストリアGPでフェルスタッペンが優勝を果たし、
ホンダにとっては2006年のハンガリーGP以来、2015年のF1復帰後初優勝

第20戦ブラジルGPではフェルスタッペンがシーズン3勝目をあげ、
さらにトロ・ロッソのピエール・ガスリーが2位に入り、
1991年の日本GP以来、2015年のF1復帰後初となる1-2フィニッシュ



Posted at 2020/10/03 11:14:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ
2020年02月05日 イイね!

マツダ100周年 ラリー編

マツダ100周年   ラリー編マツダ100周年









ラリー編

1981年、ベルギーにマツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ
(Mazda Rally Team-Europe,MRE-T)が設立

チーム代表はWRCドライバーのアキム・バルンボルト(Achim Warmbold)
1982年、BD型マツダ・ファミリア(323)で参戦を開始
1985年から4WDターボのBF型323GTX(1.6L)を投入

1987・89年スウェディッシュ・ラリー、1989年ニュージーランド・ラリーで総合優勝、WRC通算3勝
マツダのワークスチームは1992年をもってWRCから撤退
(ランチアと日産ワークスチームも同年に撤退)。





WRCドライバーのアキム・バルンボルト選手が率いる
マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパは、
初代RX-7をベースに、グループBラリーカーを製作


グループB車両による WRC(世界ラリー選手権)は、
1982~1986年に開催された。
1986年シーズンをもって、安全上の理由によりグループBカーによる
WRCは突然中止。結果的に7台が製造されたに過ぎなかった。

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シャシーナンバーMRTE 019は、
RX-7のグループBラリーカーとしては唯一、
オリジナル状態を保っている車両であり、
おそらく、現存するグループBラリーカーで唯一の未走行車になるという




国内にはFD3でラリーに参戦されている方もいらっしゃるようです

FDSラリーカーはこちら




Mazda 323 4WD

WRCには86年の最終2戦から参戦。B6エンジンは260馬力を発生

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1987年第2戦のスウェディッシュで総合優勝。
ドライバーはティモ・サロネン/セポ・ハルヤンネ組。
WRCヨーロッパラウンドにおいて、
1976年アクロポリス以来の日本車の勝利であった。

90年1000湖で275馬力を発生する1.8Lエンジンを搭載した新型323がデビュー。当時驚異の新人トミ・マキネンが6位に入賞
92年はモンテカルロとスウェディッシュのみにエントリーし
以降のイベントは参戦せずバブル崩壊による会社の資金難のためWRCから撤退。

マツダファンフェスタでのMazda 323

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Posted at 2020/02/06 00:55:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ
2020年01月30日 イイね!

マツダ100周年 RE VS GT-R編

マツダ100周年 RE VS GT-R編






レースでの歩み





1967年(昭和42年)5月に2シータークーペモデルとして発売された
コスモスポーツ(10A型ロータリーエンジン搭載)
10A型エンジンは、多気筒(マルチローター)ロータリーエンジンとしても
世界初の市販車用エンジン

1968年(昭和43年)8月、
mazda110Sの名でコスモスポーツを擁して
ニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース
「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦
このレースは、生産車のスピードと耐久性が競われる
文字通りのマラソンレース
ポルシェ・ランチアに次ぐ総合4位
(順位は84時間後の走行距離で決められる)入賞
参加59台中、完走はわずか26台であった。
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ファミリアが1967年にモデルチェンジした2代目には、
コスモスポーツと同じ10A型ロータリーを搭載
最高速度180km/h、0-400m加速16.4秒は
当時の2リッターエンジン車並の俊足!

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デビュー直後からレースに出場、
1969年11月3日の”全日本鈴鹿自動車レース大会シリーズⅡ”で
片山 義美氏のドライブにより優勝。

日本のモータースポーツファンとして特記すべきは
やはり初代日産 スカイラインGT-Rとの激闘


両雄が初めて大舞台で激突したのは
1970年5月3日に富士スピードウェイで開催された
”JAFグランプリレース


結果は黒沢 元治氏がドライブしたGT-Rが優勝し、
ファミリア勢の最高位は武智 俊憲氏の3位でした
そ総合トップ10台中9台がGT-Rとファミリア、
それもGT-R4台に対しファミリアは5台
トレッドの狭さゆえにコーナリングで及ばず、
打倒GT-Rは続くカペラやサバンナに託されることとなりました。



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1971年9月
コスモ、ファミリア、ルーチェ、カペラに次ぐマツダ第5弾の
ロータリーエンジン搭載車サバンナが発売
1971年10月10日
富士グランチャンピオンシリーズ(富士GC)第5戦の
ツーリングチャンピオンレースBに3台が参戦。寺田が4位入賞
12月12日
富士ツーリストトロフィ500マイル(富士TT)に参戦。
マツダワークス サテライトチームから出場した
増田/加茂組が総合優勝

GT-Rの50連勝を阻止。


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画像はマツダファンフェスタでのデモレース

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1972年3月18日
サバンナは、12Aエンジン搭載車のRX3でのTSレース参戦が可能となる
1972年5月3日
72日本グランプリTS-bレースにRX3で出場し、
1 - 3位まで表彰台を独占。ワークスGTRを撃破する。
(1位片山RX3/2位武智カペラ/3位従野RX3)
片山は、ポールtoフィニッシュで優勝
マツダは、ワークスチームとしてMMS(マツダモータースポーツ)を
結成した最初の参戦。
1972年10月18日
富士GCシリーズのTSにMMSから参戦。
予選でツーリングカーとして富士の6kmコースで初めて2分の壁を破る。
従野がPP獲得、日産ワークスGTRの黒沢も2分の壁を切る。
(予選:1位従野RX3/2位黒沢GTR/3位片山RX3の3名が2分の壁を破る)
日産ワークスGTRとの死闘のすえ表彰台を確保
(優勝は、増田のカペラ)


以降日産ワークスGTRは、TSレースから引退

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1973年1月14日
全日本鈴鹿新春300kmレースのII部門に
片山マツダから従野が参戦し総合優勝
レースでは、日産ワークスのフェアレディ240Zの北野と死闘
1974年8月18日
FUJI500レースで中島悟が総合2位/クラス優勝獲得
この年富士ツーリングチャンピオンレースで
マツダオート東京の寺田陽次郎が初代チャンピオンを獲得


1975年1月26日
新春富士ツーリングオールスターレースで中嶋悟が優勝
1976年5月3日
JAFグランプリTS/GTS-Bレースに片山マツダの片山が参戦し優勝


サバンナのレース参戦通算100勝を達成

Posted at 2020/01/31 06:29:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ

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「@あぐる2号 さん
暑さ対策として空調服は
欠かせないですね
私はバッテリー追加しました」
何シテル?   06/21 16:30
dora1958です。 最近はダム巡り ダムカード、マンホールカード、消防カード 収集にはまっています 所有する車は高齢車ばかりなので ぼちぼ...

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