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dora1958のブログ一覧

2019年09月15日 イイね!

兵どもの夢の跡 七尾城

兵どもの夢の跡 七尾城

七尾城(ななおじょう)







石川県七尾市古城町にあった日本の城(中世の山城跡)で、
国の史跡に指定
室町三管領家の七尾畠山氏の初代当主で
能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃に
この地に築いたとされる


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「七尾」という名は「七つの尾根」
(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来



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1576年(天正4年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、
一年にわたって持ちこたえた
最終的には重臣 遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した
重臣 長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城


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1581年(天正9年)、前田利家が七尾城に入城 
のちに拠点を小丸山城に移したため
1589年(天正17年)廃城
2006年(平成18年)日本100名城(34番)に選定


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Posted at 2019/09/15 09:57:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | お城 | 趣味
2019年06月05日 イイね!

兵どもの夢の跡 大分県 岡城

兵どもの夢の跡 大分県 岡城岡城(おかじょう)










豊後国直入郡竹田(現在の大分県竹田市大字竹田)
にあった日本の城(山城)

「臥牛城(がぎゅうじょう)」、
「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」
とも呼ばれる


城郭構造 梯郭式山城

天守構造
不明(1596年築・非現存)
複合連結型層塔式(1774年再・非現存)

築城主 緒方惟栄
築城年 文治元年(1185年)



岡城の築かれた天神山は標高325メートル、比高95メートル、
城域は、東西2500メートル、南北362メートル、
総面積は23万4千平方メートルに及んだ。

伝承では、文治元年(1185年)に緒方惟義が
源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりであるという。

その山城は、南北朝時代の建武元年(1334年)に
後醍醐天皇の支持を受けた大友氏一族の志賀貞朝によって拡張され
岡城と名付けられたとされている。

文禄3年(1594年)播磨国三木から中川秀成が移封され、
入城後に3年がかりで大規模な修築を施した。

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(95番)に選定










岡城の下を走る国道502号の上り車線にはメロディ舗装がなされた区間があり、
車が通過すると荒城の月のメロディが聞こえるようになっている
Posted at 2019/06/05 20:22:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | お城 | 趣味
2019年06月04日 イイね!

兵どもの夢の跡 愛媛県 大洲城

兵どもの夢の跡 愛媛県 大洲城大洲城(おおずじょう)











伊予国喜多郡大洲(四国・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城
別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)


城郭構造
梯郭式平山城

天守構造
複合連結式層塔型(1609年・非現存)(2004年・木造復元)


築城主  宇都宮豊房

築城年  元徳3年(1331年 )
宇都宮氏が創建した当初は、
肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから
地蔵ヶ岳城と呼ばれた。



文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備









平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(82番)に選定

江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財
Posted at 2019/06/04 20:56:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | お城 | 趣味
2019年06月02日 イイね!

兵どもの夢の跡 三重県 津城

兵どもの夢の跡 三重県 津城津城(つじょう)












三重県津市にある日本の城。
城郭形式は平城
別名・安濃津城(あのつじょう)。三重県指定史跡。

戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、
長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に
小規模な安濃津城を構えたことに始まる。
北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀としていた



永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により
織田掃部頭(津田一安)が入城。
翌年には織田信包が入城し
信包は城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、
本丸・二の丸・三の丸を整備した。
天正5年(1577年)には5重天守と小天守を落成した。

慶長13年(1608年)
藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城し
高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、
城下町を整備した。以後、明治維新まで藤堂氏の居城


昭和33年(1958年)に丑寅櫓が復元
平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(152番)に選定





津は江戸期を通じて伊勢神宮参拝の宿場町として栄え
「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と
伊勢音頭に謡われた。

Posted at 2019/06/02 15:07:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | お城 | 趣味
2018年11月22日 イイね!

兵どもの夢の跡  京都 福知山城

兵どもの夢の跡  京都 福知山城福知山城(ふくちやまじょう)












京都府福知山市字内記内記一丁目周辺にある日本の城

小笠原長清の末裔とされる福知山地方の国人塩見頼勝が、
八幡山の脇に掻上城を築城したのが始まりと言われている
現在のような縄張りは明智光秀がおこなった



丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした

市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、
その地形の姿から臥龍城の別名を持つ

明智光秀は本能寺の変では勝利したが、
山崎の戦いでは敗北し後に暗殺された
。明智光秀の在城期間はわずか3年間だけであった

関ヶ原の戦いの論功行賞により福知山城に入城したのは有馬豊氏で
、現在のような城郭や城下町はこの時代に完成



寛文9年(1669年)6月、土浦城の朽木稙昌が入部、
幕末の1869年(明治2年)に至る約200年の長きに亘り
朽木氏が13代世襲し当地域を統治

1873年(明治6年)の廃城令で建物や堀、石垣もかなり失われてしまい
遺構としては天守台と本丸の石垣が残されるのみとなった


現在は、福知山城公園として整備され、
天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が
1986年(昭和61年)に復元された

2017年(平成29年)には日本城郭協会が認定する
続日本100名城(158番)に選定された


別名
横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城

城郭構造
連郭式平山城

天守構造
複合・連結式望楼型(1699年(元禄12年)築)
現在:外観復元(1985年(昭和60年)再)

築城主
明智光秀

築城年
1579年(天正7年)

主な改修者
有馬豊氏

主な城主
明智氏、朽木氏

廃城年
1873年(明治6年)

遺構
曲輪、石垣、井戸、移築番所・門



石垣は、「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」と呼ばれる
自然石をそのまま利用されている方法で積まれている。






石材の加工と用い方は「野面積み」、角部の積み方は「算木積み」を採用


Posted at 2018/11/22 07:18:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | お城 | 趣味

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