2024年11月03日

D51に会いに行こう
長野県坂城町に保存されている
D51-245
保存場所所在地
坂城町文化センター・わんぱく広場
車歴
D51245
国鉄浜松工場で 1939年9月製造7
車歴;
配属;名古屋局→浜松→金沢→敦賀→福井→上諏訪
1966年1月奈良借入→同年2月上諏訪返却→中津川→1973年7月廃車;中津川
集煙装置、
煙突部に装着しトンネル区間に限り煙突からの煙を後方へ排出させることで
面への煙の降下を抑止する
Wikipediaより引用
蒸気機関車では、燃料を燃やした後の排気ガスを煙突から上方に吹き出している。トンネルなど上部に障害物がある空間では、噴出した煙がトンネル上部に当たって跳ね返り、運転室や客室に入り込んで機関士や旅客を苦しめることがあった。特に酷い場合には機関士・機関助士が窒息して倒れて列車が暴走し、事故につながる場合もあった。
集煙装置は、こうした障害物のある場所で煙の流れを通常と変えることで、煙が障害を引き起こさないようにする装置である。通常時は上部が開放されており、集煙装置のない機関車と同じように上部へ煙が排出される。トンネルに入るときなどには、乗務員の操作で引き戸が閉じられる。これにより煙は通常と異なり、集煙装置の後方から排出されるようになる。勢いよくトンネルの上部に当たるのではなく、トンネルの上方空間に沿うように排出されることで、運転室や客室に煙が入りにくくなるという効果があった。
車体側蒸気機関車を運用する各現場の必要に応じ、
各鉄道工場で製作し取り付けられる追加装備だったようです
前面に開口部を設けた長野工場式です
ボイラー上に重油タンク付き
重油を石炭とともに燃焼させることで発熱量を増大させ、
勾配区間における機関助士の投炭作業軽減と煤煙発生量の減少を図る
重油併燃装置がついています
一緒に保存されている腕木式信号機
在りし日のD51-245
画像をお借りしたブログ
http://shinanomachi.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-dd20ed.html
Posted at 2024/11/03 11:19:05 | |
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2024年10月29日

飛行機に会いに行こう 聖博物館
所在地
麻績村立聖博物館
長野県東筑摩郡麻績村麻聖5889-1
Wikipediaより
まずは
F86Fセイバー
アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発し、
世界各地で運用されたジェット戦闘機。
愛称の「セイバー (Sabre)」は、サーベルの意。
日本においては、航空自衛隊の主力戦闘機としてF-86Fを435機、
F-86Fのうち18機は偵察機RF-86Fに改造された。
航空自衛隊での正式な愛称は旭光(きょっこう)。

ブルーインパルスの初代機体として採用され、
1964年東京オリンピックの開会式にて国立競技場の大空に
五色の五輪マークを描いたことでも有名
F86D セイバードッグ
F86Fの派生型
レーダーを装備し、機銃の代わりに空対空ロケット弾発射機を装備した
全天候要撃機型。派生型の扱いだが、ほぼ新規設計の機体
最初のサブタイプがD型であったことと
、機首のレーダードームが鼻のように見えるその外見から
「セイバードッグ」と呼ばれた。
航空自衛隊が初めて得た全天候戦闘機であるF-86Dは
1958年(昭和33年)から供与が始まり、
同年8月1日に第101飛行隊を編成後、1962年までに
第102、第103、第105の計4個飛行隊が編成、
計122機(内24機は部品取り用)が配備
配備された122機のほとんどが、
F-102への機材変更で不要になった
在日米軍の中古機体を供与されたもの
自衛隊内での愛称はF-86Fの「旭光」とは異なり「月光」
F104J
F-104 は、ロッキードが開発した超音速ジェット戦闘機。
愛称はスターファイター (Starfighter)
アメリカ初のマッハ2級の超音速戦闘機
三菱重工業がライセンス生産を担当し、
細い胴体に極端に小さな主翼という形状から、
空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称ある
F-15Jの配備に伴い、1986年に全機が退役
航空自衛隊は、G型を基に日本での要撃任務用途にあわせて
火器管制装置などを改良したF-104J、
および複座の練習機F-104DJを採用した。
日本にとっては、独自で機体選考を実施した
最初のジェット戦闘機
空自では栄光という愛称
T-34 メンター(英: T-34 Mentor)
第二次世界大戦後にアメリカ合衆国の航空機メーカー
ビーチエアクラフト社が開発した単発レシプロ練習機
世界20ヶ国以上に採用された。
Mentorとは「良き助言者」「優れた指導者」の意。
ビーチクラフト社のヒット作である
民間機ボナンザをベースに開発され、
エンジンにコンチネンタル製O-470-13を搭載、
ボナンザの特徴的なV字尾翼は通常の単尾翼形式に、
4人乗りのキャビンはタンデム(縦列)複座の操縦席に変更された。
日本では独自の改良を加えた派生型を現在に至るまで数多く製造している。
1952年(昭和27年)に保安庁(現防衛省)が
初等練習機を50機導入することとなり、
富士重工業(旧中島飛行機)が生産ライセンスを取得したT-34Aを採用した。
翌1953年(昭和28年)にまず20機がアメリカ軍から貸与され、
警備隊に10機、保安隊に10機が導入された後、
富士によるライセンス生産によって30機が導入された。
さらに、1954年(昭和29年)10月から1957年(昭和32年)7月まで、
ノックダウン生産で49機、ライセンス生産で75機の計124機を生産し、
発展発足した航空自衛隊に「はつかぜ」として採用された。
そして翌1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)までは、
戦時賠償としてフィリピン向け36機、インドネシア向け1機を生産

Posted at 2024/10/29 23:32:24 | |
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