ここ数日、夜なべ続きだったこともあって、今日は早めに仕事を切り上げた。時々電話が鳴るが、どうせ「明日の納品は大丈夫か」「先週来る筈だった仕様書がまだ来ていないがいつよこすのか」といった、客先や外注先からのろくでもない催促に決まっているので、受話器を取るなどという愚かなことはしない。今日は、もう働くことをやめたのだ(因みに儂は、働くことをいつもやめている)。
だから、暇になった儂は、「女とクルマ」について、ひとつ論じてやろうと思う。
古来から、クルマ趣味は男の趣味であった。その内容は人それぞれ多岐にわたっていて、エンジンをチューンアップしたり(たいていの場合はエンジンを壊す)、足回りを改造して好みのハンドリングに仕立てたり(たいていの場合は失敗に終わる)、アルミホイールだのスポイラーだのの外観にこだわってみたり(たいていの場合は下品な格好になる)、すぐに壊れるのを分かっていながら
変な国のクルマを可愛がってみたり(きっとマゾなんだろう)、一口にクルマ趣味といっても様々だ。
男に比べて現実的な生き物とされる女にとって、これ以上無駄な趣味はこの世に存在しないであろうことは、容易に想像がつく。
だから、クルマを趣味とする男にとって、どんな女を妻として迎えるかによって、その後の人生は大いに違ってくる。つまり、勘の鋭い女とそうでない女だ。
勘の鋭い女と結婚した男のクルマ人生は、悲劇そのものである。ブレーキフルードをDOT3からDOT5に変えたという、どう考えても外見上は分からないことをしても、「あんた、今日何かやってきたでしょ?」と鋭く突っ込まれるのだ。おちおちガソリンさえも給油できない。
反面、「さすがにこれはバレるだろう」ということをしても、全く気付かない女もいる。こんな例がある。儂の四駆仲間の
ボウズメガネ氏の場合、
タイヤを交換しようが、サスペンションを換えて車高が上がろうが、ごついクロカンバンパーを装着しようが、彼の奥方は全く気がつかないというのだ。これはかなり稀なケースで、ボウズメガネ氏は他に類のない幸福な男ということになる。近いうちに、ボウズメガネ氏の自宅に電話をかけ、外部告発をしてやろうと企んでいるのはここだけの話にしておいて欲しい。
かと思えば、妙にクルマ好きな女もいる。これも趣味の内容は多岐にわたるが、たいていの場合はファッションとしてのクルマだ(みんカラにはかなり多数の例外があるらしい)。この場合も、度が過ぎると男は大変な目に遭う。
儂は今まで一度も婚姻の経験はないが、かつては二人の女と生活を共にした(今では一匹の雄猫と生活を共にしているほどだ)。最初の女が、洋服大好き、カバン大好き、靴大好き、お洒落な外食大好き、ワイン大好き、ついでにクルマが大好きという、男にとっては財布が幾つあっても足りないという女だった。やけにクルマに詳しく、とりわけ日本に正規輸入されているヨーロッパ車については、全ての車種を網羅しているのではないかと思われるほどだった。日本車については、顎が外れるほど何も知らなかったのであるが・・・。
「あなたには、プジョー406クーペが似合う男性になって欲しいの」と言われた時は、竿が縮んだ。そんな男になる自信は全くなかったからである。なんたって、車歴は野蛮なランクルである。またある時、「あたし、ポルシェが似合う女になりたい」と呟いた時は、「お前なぁ、確かにそういう女はエレガントに見えるかもしれないが、実は石の様に重いクラッチを踏むために毎日四股を踏んでいるのだよ」と言い聞かせて納得させた。さすがに、現代のポルシェが安楽に出来ているということまでは知らなかったようだ。ましてや、オートマチック車があることさえも・・・。
その女は、運転免許を取得して以来5年間、ペーパードライバーだったのだ。
次に一緒に暮らした女は、まるで正反対の性格で、何をやっても無駄、無駄、無駄、であった。「ガソリンよりも軽油の方が安いんだから、軽油を入れなさい」とまで豪語したものである。確かに、ここまで徹底している女と生涯を共にすれば、死ぬまでの間にそうとうな額の金が貯まったに違いない。そして、札束で一杯の棺桶に埋まったまま仏になるのであろう。
女のクルマ好きも、様々である。今でこそ、フランス車やイタリア車に乗っている女は増えてきたが、ほんの7~8年前まではまだまだ珍しく、小型のヨーロッパ車に乗っている女などというのは、それは粋なものであった。
土砂降りの東北自動車道を東京に向かって走っていた時、きれいなブルーのプジョー206が儂を追い越していった。追い越されざまにふと見ると、年の頃20代半ばの、なんとも可愛らしい女性が運転していた。当時から女の子大好きだった儂は、すかさず追い越し車線に移り、少し距離を置きながら後をついて走った。驚くことに彼女は、土砂降りの中をさらに加速して150Km/hで走り続けたのだが(きっと何者かに追われていたのだろう)、運転も上手かった。後から見ているだけで、惚れ惚れとする美しくスマートな運転だった(儂は呆れるほど不様な運転だった)。当時の儂は、こういう女性に弱かったのである。今では、全ての女性に弱いと言えよう。
かと思えば、真っ赤なランチアイプシロンという、男が乗っていても「変わってるね」と言われかねないクルマを粋に転がしている女性もいた。あれは仙台市内の混雑した街の中、隣車線の斜め前方の位置で信号待ちをしていたボブカットの彼女は、真っ赤なランチアの中でフンフンと鼻歌を歌っていた。その時、儂は黒塗りのメルセデスS500のリアシートでふんぞり返っていた。彼女を見た儂は、なんとなく華やいだ気分になった。誰かの視線を感じ取ったらしい彼女が突然振り返ったとき、思わず、小さく手を振ってみた。彼女は照れくさそうにニコっと笑った後、少し視線をずらしてクスリと可笑しそうに笑った。彼女の視線の先を追うと、ふんぞり返った儂の左側のサイドウィンドウに「初乗運賃¥640」と書いてあった(当時の仙台には、結構な台数のSクラスのタクシーが走っていたのだ)。
信号が青に変わり、彼女は左折していった。傷心気味の儂を乗せたタクシーはそのまま直進し、当時儂が住んでいた会員制高級アパートメントへと向かった。その会員制高級アパートメントは、名前を聞けば誰もが良く知っており、確か「レオなんとか」という名称だった。
話は変わるが、「バックミラー越しの一瞬の恋愛」というのがある。例えば信号待ちで、前に停車しているクルマの女性ドライバーがバックミラーをチラリと見た時に、一瞬視線が合う。たいていの場合は、一瞬視線が合ってお終いなのだが、時々お互いに妙に気になるのかはたまた波長が合うのか、何度もチラっと視線を合わせては反らす、ということを繰り返す。これは、中々楽しいことだ。しかし、信号が青に変わった瞬間に、脱兎の如く、まるで逃げるように走り去ってしまうのは何故なのか分からない。
思うに、儂は190cm級の男であるから、女はそのガタイの良さにある種の恐怖を感じるのかもしれない。互いにクルマを降りて、「やあやあどうも、ところで食事でもいかがですか?」などと気の効いた挨拶でも交わしてみれば、実は儂が身長167cmの小男だということに気づき、安心できるというのに。なんともせっかちな話ではある。
さて、駄文をだらだらと書いてしまった。最後まで読んでくださった皆さん。特に、淑女の皆様。よろしかったら、
今 度 儂 と デ ー ト し ね ぇ か ?
Posted at 2005/06/09 17:43:26 | |
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淑女のみなさんへ | 日記