「オートモビルカウンシル」2020、日本車です。
コロナ禍により出展取りやめも相次ぎ、日本車の展示も減っていました。やむを得ないことです。しかし例年に劣らず見応えがありました。単にノスタルジーに浸るだけではなく、今後へのヒントも隠されているように感じました。
== トヨタ ==
セリカ・リフトバック 2000GT(1973年)
ますはトヨタブースから。セリカ誕生50周年を記念した展示がされていました。

シルバーの初代セリカです。

子供の頃、この車はよく見ました。血気盛んな若者だけでなく、いろいろな人が乗っていました。当時は、若い夫婦が2ドアクーペの狭い後席に子供を乗せてドライブするなんてごく普通だったように思います。

今だと、ヘタすりゃ虐待呼ばわりされかねません(汗)
セリカ ターボ(1988年)
モータースポーツにおけるトヨタの尖兵だったセリカ。この車は、北米IMSA選手権に参戦し勝利した車。日本車初勝利です。

車重900kgで447馬力。

運転席(というかコクピット)は本当にスパルタン。

フロントに比べ、リアは市販車のランプ類をそのまま使っているようですね。マフラーは真ん中のナンバー-プレートスペースっぽくデザインされているところ(TOYOTAロゴの下)から生えています。
セリカ GT-FOUR(1990年)
セリカという車は、初代モデルからずっとラリーに参戦していたんですよね。世界におけるトヨタの、いや日本車のイメージアップに大いに貢献しています。

いまではとっくにモデル廃止ですからね。仕方のないこととはいえ、もう少し顧みてやってもよかったんじゃないかな。セリカ50周年と言われても、売ってないんじゃありがたみが薄いです。

たとえばセリカのモデルとなったのはフォード・マスタング(と言っていいですよね)ですが、マスタングは未だ現役バリバリ。北米フォードってセダン廃止とかいう暴挙をするくせに、伝統のマスタングはしっかり残しているんですよ。
そのほか、トヨタでは旧車のパーツを復刻しているという紹介。こういう試みは素晴しいですね。トヨタのような大メーカがやるからこそ、もっと言えば、失礼ながらそういうことに関心がないと思われてきたメーカーがやるからこそ、大いに意味があると思います。

って偉そうな講釈すみませんorz
写真もなんか暗いなぁ…今後はもうちょっとがんばります。
カローラレビン(1972年)
「ヴィンテージ宮田自動車」から、初代レビンです。

当時風にカスタムされたタイヤやホイールなどの効果もあるのでしょう。ギュッと締まっている。どことなくラテン車っぽい印象も。

つまり、とても良い感じということです。

ただ、この「TOYOTA」オーナメントはちょっと上すぎませんか?「Levin」のエンブレムと同じラインになるよう下げるか、思い切って外したいなぁなんて勝手に思ってしまいました(笑)
== 日産 ==
スカイライン2000GT-R(1971年)

日産です。毎回恒例のハコスカGT-R。今までは定番のシルバーか、レーシング仕様が多かったのですが白って初めてかも。

真っ白ではなく、旧いイギリス車のようなクリームがかった白です。個人的にはこういう白の方が好きですね。

それにしてもすごい価格。いまのコロナ渦が、ヒストリックカーの市場にどう影響するのかなんて、つい余計なことを考えてしまいました。
GT-R 50th Anniversary(2019年)
現行GT-Rの50周年記念車ですね。

2007年登場の現行R35。そろそろフルモデルチェンジすべきだと思います。ポルシェなどライバルが絶え間なく進化していく中、12年以上もフルチェンジなしってのはまずいでしょう。全面刷新せずとも今なお一線級の性能なんだといえばそうなのですが…

大いに話題と影響を振りまいたにもかかわらず、継続した発展がなかったためいつの間にかフェードアウトしてしまった初代NSXを、個人的に思い出してしまうのです。一線級のスポーツカーを飼い殺しみたいにしても意味がないでしょう。
すみません、日産の話になるとなぜかネガティブになってしまう。個人的にも応援したいのに。
R391(1999年)
というわけでR391を。富士スピードウェイからの出展です。1999年のル・マン優勝を目指して開発されたものの完走ならず。同年の「ル・マン富士1000km」に参戦し、優勝を果たした。ドライバーはエリック・コマス、影山正美、本山哲。

「やっちゃえ日産」とわざわざ言わずとも、ほんの21年前にはホントにやっちゃってたんです。頑張ってくださいよホント。
== ホンダ ==
S800(1966年)
ホンダです。

「ヴィンテージ宮田自動車」から、名車SシリーズのトップモデルS800が展示。

S500やS600、それからS800の最初期型は後輪がチェーン駆動でしたね。チェーンケースがトレーリングアームを兼ねた独創的機構。まさにホンダらしい。S800は登場間もない1966年5月に一般的な方式に変更されたそうですが、この赤いS800はどうなんでしょうかね。

大学のときの講義を思い出します。なんの講義かすっかり忘れてしまいましたが、教授がなぜかホンダS600の話を始めたんです。

あの車、峠で攻めると後輪のチェーンが外れて大変なことになったんだ…と。本当なんですかね??大学のセンセーってふつーにウソつくことありますからねぇ(笑)
バモス(1971年)

ホンダが発表したレジャーカー。「バモスホンダ」が正式名称とのこと。後年のクーペフィアット的な名付け方でしょうか。

残念ながら当時は不人気で、3年足らずで生産終了。後継車種も無し。ただし「バモス」という名称自体は形を変え去年まで使われていました。そちらは「ホンダバモス」なのがややこしい(汗)

このバモスはお値段150万円でした。定番的な人気車と、そうでない車とで価格差が激しいのもヒストリックカーならではでしょうか?
ビート(1991年)

実にダイレクト感のある車です!
って乗ったことはありませんが(汗)

日本車初のDOHCを軽トラックに積んだり、こんな本格オープンスポーツを出したり。ホンダの軽自動車に対する取り組みって面白いですよね。

なお、今回ホンダもメーカー自身がブースを構えていたのですが、どういうわけかスルーしてしまいました…というか時間配分を間違えました(泣)
== マツダ ==
最後はマツダです。初回よりマツダはこの展示会に力を入れています。今回も、もっとも広いブースを確保していました。少々間延びした感もありましたが、それは仕方ありませんね。以下、特に記載のあるもの以外はマツダブースでの展示です。
マツダ号 GA型(1938年)

年代順にいきます。まずは戦前の三輪トラック!マツダは三輪トラック製造から始まったのです。メーターパネルが緑色に塗られていたことから「グリーンパネル」という愛称も付けられた。モダンですねぇ。決して貧相な感じなどしません。

当時の事情もあり燃費の良さが追求され、トランスミッションは4速とのこと。先進的ですよね。1938年、昭和13年から12年間も製造。終戦から4ヶ月後には生産再開。

広島の企業である東洋工業、いまのマツダ。本社社屋は、原爆の爆心地から5kmしか離れていないそうです。原爆投下時、近くにあった丘のおかげで爆風の直撃は免れ、奇跡的にも壊滅しなかった。しかし、社員や家族はおおぜい亡くなっています。
R360クーペ(1960年)

終戦からわずか15年です。もちろんファミリーカーとしては小さな車ですが、一人前に「クーペ」です。

この当時、すでにトルコン式オートマチック仕様のR360もあったそうですね。
R360クーペ(1960年)
こちらは「Auto Roman」展示の車です。ノンレストアの初期モデル。この車が本当にスゴイのは、走行距離がたったの730kmということ!ありえない…まさに奇跡!!

この花柄シートカバー、当時の手作りかと思いきや、これは純正オプション品。なんともはや…

スライド式のサイドウインドウもレアで、めったに見ることはないそうです。

ずっと倉庫で保管されていたそうです。後世にこの車を残してくれた方の功績を称えたい。それにしても後席は暑そうだ(爆)
ファミリア 800バン(1963年)
当時のマツダは、乗用車のデザインをベルトーネに委託していました。このファミリアもベルトーネデザイン。どおりで洗練されています。

当時、仕事用のライトバンをファミリーカーとして兼用するケースが多かったそうです。スタイルといい性能といい、この車は理想的だったかも知れません。

このリアスタイルも、決してビジネスライク一辺倒には見えません。
ルーチェ 1500セダン(1964年)

デザイナーは当時のベルトーネに所属していたジョルジェット・ジウジアーロ。

せっかく良いデザイナーがいても、製品化に際しメーカー上層部の意向で凡庸なものへいじられるケースも多い中、

このルーチェは実に洗練されていますよ!
コスモ スポーツ(1964年)

世界初の実用ロータリーエンジン搭載車!

プロジェクトXを思い出します。この車も取り上げられていましたね。華やかなスポーツカーですが、開発現場では復興への強い思い、いや執念が込められていたのです。
ルーチェ ロータリークーペ(1970年)
ヴィンテージ宮田自動車から。

このエレガントなクーペ。R360クーペからたった10年ですよ。信じられません。

ジウジアーロによるセダンをベースに、マツダ社内でクーペ化。見事、いや美事です。

内装は、イタリア風とアメリカ風の折衷という印象。ユーノス・コスモもそうですし、マツダって優雅なクーペをときどき出しますよね。
コスモAP(1975年)
ここから3台、昭和50年代前半特集が続きます。

APとは「アンチ・ポリューション」つまり低公害車。当時の昭和50年排気ガス規制をクリアした車。車名に堂々と掲げているわけです。

数年前にケーブルテレビで観た昔の刑事ドラマ…なんていったかな。タイトルを忘れてしまいましたが、そこでコスモAPが警察車両として使われていました。

アメリカ製パーソナルクーペのイメージを、うまく消化しています。独自の世界観を築いています。

とても魅力的なL字型リアアンプ。ただ、反射板(リフレクター)の位置はもうちょっと考えて欲しかった。ランプ点灯時、発光がいびつになってしまうんですよ。かつての日本車にはよくありました…
ボンゴ トラック(1976年)

初代ボンゴ。マツダは商用車造りも長いですよね。この顔は愛嬌があります。これでヘッドライト周りも丸かったらケ○ロ軍曹?(爆)

リアエンジンのため、荷台の後ろ側はエンジンが占めます。

そのため、真後ろから荷物の積み卸しが出来ない。実用面ではどうだったんでしょうかね。このモデル以降も、ボンゴはリアタイヤを小径ダブルにして荷室をフラットにするなど、独創的なことをします。

しかし、そんなボンゴも今年の5月13日に生産終了。マツダオリジナルの商用車は90年近い歴史に幕を閉じました。

現在はトヨタ、スズキ、いすゞからのOEMです。って、ハイエースまでOEMで、ボンゴ・ブローニイとして調達しているとは知りませんでした…
ファミリア 1500XG(1980年)

前輪駆動に切り替わった「FFファミリア」、当時は売れまくりましたね。同クラスのライバルにはないシンプルさがイイです。
ユーノス ロードスター(1989年)

マツダは国内向けと輸出用とで車名が全然違うという状態がずっと続いてきました。今はそれを統一するほうへ是正していますね、賛否両論ありますが。

しかしこの車は国内向け「ロードスター」のほうが良い名前だと思います。マツダもそう思ってるのでしょうか、ロードスターは改名しませんね。
RX-7 タイプRZ(1991年)
「Auto Roman」出品車です。

自制心が必要な車だと思います。今となっては、これだけ綺麗なFDで乱暴な運転をする者もいないでしょうけど。
MX-5(欧州仕様車)

個人的には、免許証が何枚あっても足りない車より、こういう車の方が好みです(笑)
MAZDA MX-30(欧州仕様車)

今年の秋にも正式発表されるというMX-30。

かなり大きな印象でした。観音開き式ドアなど、スペシャリティーカー的な立ち位置を目指しているのは明らか。しかし、こういうニッチな車こそ、マツダの得意とするところだと思います。
MAZDA MX-30(日本仕様車)

最後は、そのMX-30の国内仕様車です。

MX-30。当初はマツダ初の量産EVとして発表されましたが、国内向けにはハイブリッド版も追加されるとのこと。航続距離が200kmちょっとというEV仕様と比べ、こちらの方が国内ではずっと実用的でしょう。良い判断だと思いますね。

前席シートはぶ厚く、スペース効率一辺倒的思考とは無縁なことが分かります。ゼイタクです。その分、後席は狭いのですが…それがなんだというのか!

こんなスペシャルな車、輸入車を含めてもなかなかありません。存在感は充分に示せると思いますよ。マツダが作れば、EVもハイブリッドもこれだけ面白くなる!みたいな。マツダは大丈夫でしょう。
日本車は、世界のあちこちで高い人気を誇ります。その人気も実力も、トップクラスと言って良いでしょう。それは一朝一夕にできたものではありません。
脈々と築かれた歴史と実績によるものです。それらを時々振り返ってみることは、とても大切なことだと思います。ユーザーだけではなく、メーカー自身もです。それを忘れてしまったメーカーは、何を作ったら良いか分からなくなるだけ。それで消えていった会社は世界にいくつもあります。我が国からそんな例がこれから出ないことを願いたい。
オートモビルカウンシル2020に関するブログは以上です。いまの時期に、この状況でこれだけのイベントを開くことがどれほど大変か。仮にもクラスターを発生させるなどあってはならず、その対策とプレッシャーはいかほどか。その苦労は想像もつきません。運営者には感謝しかありません。

次回は2011年4月9日から3日間を予定!期待しています。