
年始早々、探しモノで本置場漁りを。
御承知の様?に“物持ち”いいので
どんどん溜っていく一方です。
棚にも収納出来ず、床に直置きも。
最近は車雑誌より⊿掲載誌が大半。
棚にあるのは昔の雑誌達で。
そんな中、数冊の「プレイドライブ」が。
復刊後、定期購読・郵送扱い時代。
定期購読、してたんですよ。
立場、今と変わらないのに。無駄な購読?
何故残したのかを薄々感じつつ、中身を読んでしまいました。
いちばん古いの(タイトル写真の1番上)は2008年10月号。
中部の“スーパー1500”特集だからか。
それと、“ラリージャパン”の記事。
2008年の“ラリージャパン”、現地で。
直後に廃航路になる“ナッチャンRera”に乗り、北海道上陸。
なんだか“ナッチャンRera”、台湾⇔石垣航路での復活も?
(現在は台湾の船会社所有)
また乗ってみたいなぁ。
で、応援は無論こちらのメーカーを。
2009年1月号は“ラリージャパン”特集。
写真は残っていませんが「ダイハツ村」も見学しました。
2008年10月ですから、既に“リーマン・ショック”は発動。
明日への不安を感じ取ったのか、
その頃当方は生き急ぎ、散財へ(汗)
“ラリージャパン”の観戦もそうですが、ミラ大改造の決断も。
この時点では目の前に迫る火の手への理解が出来ていませんでした。
(我が身にも火の粉が…)
更にソニカの購入を決めた直後、
某メーカーが“最高峰”からの撤退発表。
続いてWRC参戦2メーカーも…
そして年明け、ダイハツもMS活動(及びダイチャレ)終了の発表。
それに関連しDRSに絡む御大2人の
インタビューが掲載された2009年3月号。
1人目の御大、三本氏。

誌面には“あの時のスクショ”が。
今見てもT_T
2人目はDRSの寺尾社長。
“夢の跡”はだいぶ前に取り壊され現在は高層マンションへ。
この時を境に日本車が現在へと続く方向性へ本格的に舵を切ったと改めて。
どんどん車好き(モータースポーツ好き)が生きにくくなりました。
色々なモノ、失われてしまい…
最後のPDは2009年9月号。
ダイチャレ関東戦の開催地、
関越スポーツランドさん他の尽力で
6月から復活開催された「D3チャレンジカップ」の記事。

当方のおクルマ、微妙に掲載の権利を得ておりまして(汗)
特に関東・東北地方の走る場所、
どんどん閉鎖になってしまっている現状
そして関越スポーツランドまで無くなってしまうなんて事も…
生業、少しは回復した時期もありましたが
現状はリーマン直後のレベルに低値安定。
大手さまではないぶら下がりでは(泣)
労働時間は増える一方、所得は反比例。
あの頃以上に先に見える光は遠く、どんどん弱くなる気がします。
どこが“ゆるやかな景気回復”?
置かれる立場は“失われた9年”、あの時のままな感どころか
過去を切り崩している塩梅。どこまで踏ん張れるのか。
2017年、人生があとどれだけなのか想像はつきませんが
残された日々を想いイマを真剣に考えないといけないのかもしれません。
年始から気分が重くなってしまいました。
こんな想いを抱くのは傲慢なんですかね。
生きていくコト、難しいな。。。
Posted at 2017/01/08 21:30:00 | |
トラックバック(0) |
想ひ出、ぼろぼろ? | 日記