1872年に横浜に上陸したマザー・マチルドの一行5人。それは日本各地にある 「雙葉」 の礎となりました。娘の意中の学校であった 「横浜雙葉」 。私はクリスチャンではありませんが、まるで引き寄せられるように、この学校説明会に何度も足を運びました。横浜雙葉の校長先生のお話。何度聴いても深い感動を呼び起こすものでした。私には校長先生の全てのお話を理解できたわけではありませんでしたが、それでも社会的弱者に注がれる目。弱者と相対するのではなく、弱者の傍らに立って、弱者の視点で社会を見つめる目。そんな目をもったお子さまたちを、マザー・マチルドの横浜上陸から100年以上の年月を経た現代に育てていきたい。そのような熱意を校長先生のお話の中に聴いていたのです。
「ちっぽけな自分に気づくこと」 ・・・それはその人の 「謙虚さ」 につながります。恐らく私の両親が私に伝えたかったもの。それもこの校長先生のお話と同じことだったのだと、今の歳になってようやく分かってきました。 「謙虚さ」 は周囲の人たちを幸せにすることができます。また 「謙虚」 であることによって、あたりまえの日常生活の中に 「たくさんの幸せ」 を見出すこともできるのです。なぜかこの歳になってもいつも屈託なく笑い、周囲に幸せをふりまいている私の母親。そんな人間に育って欲しい。娘がこの学校を意中のものとしていた理由とは別に、ひとりの親として、娘をこの学校に進ませてみたい・・・そんな希望があったのです。
残念ながら、娘の受験は 「横浜雙葉」 とご縁を持つことはできませんでした。しかしながら 「ちっぽけな自分に気づくこと」 。それは何もこの学校に進むことだけが条件なのではありません。
私はこの歳になるまで、幾たびも同じような経験をしています。最近の例でいえば、ある日の上高地でのできごと。この写真をとったあと河童橋を渡り、突き当たりにある白樺荘そばのベンチに腰掛けて、河童橋のすぐ裏手にそびえ立つ 「六百山」 を見上げていました。あたりはもう漆黒の闇に近い暗がり。そこからグイッと見上げたところ。すぐそこに 「六百山」 の頂きを望むことができます。上高地からの標高差はいきなりの1000m。上高地を訪れる観光客の多くは、すぐそこにそんな大きな頂きがあることにも気が付かずに帰っていきます。私はベンチに腰掛けながら、その頂きに残る夕照を見つめていました。
自分の足下からはるかかなた上にそびえたつ 「六百山」 の頂きまでの雄大さ。あたりの暗さと頂きの夕照の輝きとのコントラスト。この壮大さを持って帰りたい・・・。しかし私のカメラは手持ちのレンズを総動員してもその壮大さを切り取ることができず、また私のカメラ自体も、このコントラストを写し取ることはできない・・・そう文句をいいつづけました。私はその感動を持ち帰ることをあきらめ、ただただ 「自然のもつスケールの大きさ」 「そのなかのちっぽけな自分」 。そのあまりの落差に圧倒されつつ佇んでいるほかはありませんでした。
娘がいつどのようなカタチでこのようなチャンスに遭遇するのかはわかりません。しかしそのおりにはしっかりと 「ちっぽけな自分」 に気がついて欲しい。現代に生きるマザー・マチルドの子どもたち。娘には彼女らと同じ目線を持つ人間に育って欲しい。この思いは、我が家にとっては受験の経験からの 「最大の贈りもの」 だったのかも知れません。
2008年7月22日記す
Posted at 2012/10/26 03:55:24 | |
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