MINI History
◇最も知名度の高い車◇
ミニは世界で最も認知度の高い車と言っても過言ではない。
2000年にクラシックミニの生産は終了しているが、今でもミニクーパーという言葉から、可愛らしいルックスと、コンパクトなボディのクラシックミニの姿を思い浮かべる人は少なくないはずだ。今でも元気には活躍しているクラシックミニの姿を、街でたくさん見かける。
40年もの長きに亘り、基本的な姿を変えることなく作り続けられたクラシックミニ。生産を終えた現代でも、そのスタイリングと、小気味良いハンドリングと、車がかもし出す独特の雰囲気は、充分に魅力的だ。いや、発展したモータリゼーションの中において、その魅力と存在感を増しているようにも思える。
◇前輪駆動を初めて実用化◇
ミニは、前輪駆動車という構造を初めて実現し、全ての前輪駆動車の原点となった車である。徹底して効率を追及し、あらゆる部分が極めて合理的な構造となっている。あれだけコンパクトなボディでありながら、大人四人が無理なく乗り込め、安全に安定して走行することができる。自動車の価格を下げ、一握りの特権階級だけの物から、広く一般の人たちが所有できる物にしたのも、ミニである。そう言う意味で、ミニは発明品であると言ってもよいのではないだろうか。
◇人に愛される魅力◇
ミニは効率を追求した実用車であり、庶民向けの大衆車であった。しかし、それ以上の数字や理論で説明できない不思議な魅力がある。コンパクトカーのパイオニアとして、市場で一定の役割を果たした後も、人々の熱狂は冷めることなかった。優れた実用車から、趣味の車として、人々はミニにより高い付加価値を見出し、その存在感はますます大きなものになっていった。様々な時代を経ても、その輝きは曇ることなく、人を惹きつけ続けた。
◇変わることを許されなかった◇
故に、ミニは変われなかった。変わる必要がなかったと言うよりは、変われなかったと言うほうがふさわしい。
実はミニも、モデルチェンジを試みられたことがあるのだ。新しいものへと変わり続ける消費社会の工業製品として、ミニもごく当たり前のモデルチェンジが用意されていた。フェイスリフトを施されたクラブマンと呼ばれるシリーズがあるが、これがミニのマイナーチェンジを目指したモデルだと言われている。しかし、人々は旧来のミニのスタイルを支持し続けた。
ミニが作られ続けた40年は、人々がミニが変わることを拒み続けた40年である。
◇次々と変わったメーカー◇
ミニの不動の人気とは対照的に、それを生産するメーカーは、離合集散を繰り返し複雑な遍歴をたどり続けた。最終的にはローバーというメーカーがミニを製造ししていたが、ローバーをドイツのBMWが買収した。しかしBMWはローバーの再建を早々に断念し手放すことになる。しかしその際、巨額の資金を投入して一新したオックスフォードのミニの生産ラインは手放さなかった。かくしてミニはBMWのラインナップとなったのである。
◇NEW MINIへ◇
そしてBMWはMINIの後継モデルの開発に着手する。1997年秋、フランクフルト・ショーにプロトタイプを発表し、2001年、ついにフルモデルチェンジが施された。
実用的な大衆車として生み出されたクラシックミニ。新しいMINIも、同じ様に実用的な大衆車を目指したか。その答えはわざわざ私が述べる必要はないと思うが、否だ。クラシックミニのクラシカルでキュートなスタイリングと、キビキビと小気味良いハンドリング、人々がミニに見出した趣味性の部分をデフォルメして現代風にアレンジした。クラシックミニが追求したのは実用大衆車としてのあり方であり、MINIが目指したのはファンな趣味の車。開発コンセプトは、クラシックミニと、MINIでは全く違う。新しいMINIは、これはコスプレであり、ゴッコ遊びであり、一つのテーマの下に企画されたエンターテーメントだ。
しかし、MINIはやっぱり紛れもなくMINIである。正当なるMINIの歴史の継承者である。車に乗り込み、ステアリングを握り、走り出して、体中を駆け抜ける楽しさは、MINIだけのものだ。
これは、MINIという乗り物なのだ。今、私はMINIに乗っています。
2005年 文責