2013年02月05日
「ぶん殴ったら、ふつう、殴り返されるでしょ」・・・というのが個人的な感覚としてある。
ぶん殴って、その相手が言うことをきく、というのは絶対的な服従関係か、信頼関係、つまりはざっくり言って「言うことをきかせる側ときく側」という上下関係が前提になる。
対等であれば、相手が仕返ししてくることは充分有り得る。
女子柔道は結果的にそうだった訳だ。高校バスケの場合はそうでは無さそうだが。
しかし、40近くまで、それほど強くないなりに、ではあるが、スポーツ選手の端くれとしてやってきた立場から言わせてもらえば、こうした案件で、体罰を下した側にだけ非があるような言い方には少し引っかかるものがある。
いや、結局あのレベルでなされる体罰なんて、単なる暴力でしかない。なんだかんだ言って、それが事実である。
しかしだ。
ぶん殴られても黙って言うことをきくレベルの選手が、向上していくとは思えない。
言い換えれば、そこまで指導者を頼る、依存する選手が伸びるとは思えない。
たとえてみるならば、陸上の短距離。
世界レベルで戦うならば、素質的に恵まれない日本選手は、トレーニング方法や技術で勝負するしかない。つまり、最先端を究めないと勝負にならない。
最先端とは未知の分野である。
そこを道案内するなどということは誰にもできないことである。
切り開いていくのは、コーチと選手の共同作業である。
「こうしたら速くなった」という選手の感覚を「実はこうだった」と客観的に裏付ける、あるいは反証するのがコーチの役目。経験による積み重ねをもって、選手が無駄なまわり道をせずに済むよう気を配るのもコーチの務めだ。
未知の世界に乗り出すのに、誰が正しいレールを敷けるというのか?
だから、選手だって考えないと。コーチに任せっきりで、挙句、方法がどうだ、厳しいの厳しくないのというのは、少しばかり甘えが過ぎないか?
なおかつ、競技だけでなく、進学やら自分の将来まで、とは少しばかり依存が過ぎないか?
本来、コーチというものは選手が将来自立した人間になれるよう願いながら指導をするものである。自立の肥やしになるよう願って、スポーツと向き合うものである。
ただ、そういうコーチよりも、依存してくるものに見返りを与えるコーチの方に、人は集まりがちである。
そういうコーチの方が、学校レベルでは成果を挙げる。
さて、確かに、体罰・・・というより単なる暴力だが、それがまかり通るような、緊張感の無い関係で、選手自身が本当に向上するとは思えない。
また、そこで気づくことがあったとしても、そこまでコーチが踏み込まないといけない、というのはあまりにも選手側として、ふがいないのではなかろうか。
それこそ・・・ぶん殴られたって、文句は言えないはず、である(苦笑)。
Posted at 2013/02/05 22:47:12 | |
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2012年11月27日
三十数年前。・・・初めて手にした漫画の単行本は永井豪の「デビルマン」第1巻だった。
ところが、それがひどい落丁乱丁で。・・・それでも内容はなんとか理解できたものの・・・。
・・・内容は、テレビのデビルマンを期待して買った、当時小学生の私にはかなり衝撃的だった。でもそれは決してマイナスの印象ではなくて、簡単に言ってしまえば、「買って良かった」と思うだけのものはあったのだ。
だがその一方で、落丁乱丁の商品だと知ったウチの母親が、「取り替えてもらいなさい」などと言いだしたのは、作品の内容を知ってか、知らずか。
・・・交換をしてもらいに向かった田舎の本屋に、同じものの在庫などあろうはずもなく。
結局手にしたのが、「サイボーグ009」だった。・・・しかも「天使編」。
以来、「天使編」の結末を待った。
待った・・・。待った・・・。・・・で、そのうちに石ノ森章太郎センセイはいなくなってしまった。
あ~。
・・・と、ため息をついて何年たったか。「完結編メモ」の存在を、たまたま手にとった雑誌で知った。
で、小説化。1巻が出て・・・・。・・・・・・・やっと完結。
最初こそ違和感があったが、あるときから、懐かしい石ノ森章太郎の漫画が浮かぶようになった。
どどどっと謎解きになだれ込むラストまで、石ノ森テイスト。
センセイが描いても、やっぱりこうでしょ。
最後は、センセイなりのハッピーエンド。・・・こうでないと、また戦いに巻き込まれるから、ね。
センセイ、サイボーグたち、そして何より小野寺丈さん、本当におつかれさま。
・・・あぁ~。
「ふるさと記念館」、また行ってみようかな。
ウチの母親の育った家(今は誰も住んでないけど)の隣なんです。
石ノ森センセイの生家は。
Posted at 2012/11/27 23:29:11 | |
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2012年10月09日
チームや組織が世の中の競争に参加できないレベルになると、たいていの場合、その中の競争に参加できそうなものに集中して強化を進め、結果、目標や活動内容が、チームの大多数からは乖離した中身になる。
もしくは、活動自体が外との競争を考えない、内向きな内容になる。
以上の共通点は、いずれも少数の満足にしかならないこと。
・・・・・それはやっぱりつまらん。
Posted at 2012/10/09 22:55:58 | |
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