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ソーラ・レイのブログ一覧

2012年01月06日 イイね!

史跡めぐり4 さきたま古墳群

史跡めぐり4 さきたま古墳群帰省中に行ってきました。
埼玉県の県名発祥の地。

5年ほど前は毎日のようにこの付近を徘徊してましたが、一度も車から離れて見学した事無かったので、初めて散策してみました。
当時は古墳群一帯が湿地帯で造成中でしたが、みごとな古墳公園になってました。


古墳公園の中で一番目立つ日本一の円墳「丸墓山古墳」
と、それに続く盛土の道は「石田堤跡」
豊臣秀吉の北条攻めの際、難攻不落の武州・忍城を攻めた石田三成によって築かれた総延長28㎞にわたる大堤防の跡です。
石田三成はこの円墳の頂上に本陣を構え、戦国史上最大規模の水攻めの指揮を執ったそうです。


円墳の頂上へ登ってみました。
前方後円墳が2基みごとに並んでました。
古墳を見下ろす眺めは、チョッと感動します。


同じ頂上から忍城本丸方向を眺めます。
遠く右に赤城山。
左の榛名山は雲に隠れていましたが山の姿は昔のままのはず。
石田三成もこの風景を眺めたのかな?
Posted at 2012/01/06 23:08:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡探訪 | 旅行/地域
2011年12月18日 イイね!

史跡めぐり3 旧陸軍第九師団遺構群

史跡めぐり3 旧陸軍第九師団遺構群金沢市石引に在る石川県庁石引分室となっているこの建物は、以前は旧陸軍第九師団偕行社。(将校クラブ)
金沢市は太平洋戦争終戦まで日本有数の軍都だった歴史があります。
日清戦争後、次なる脅威に対する為に金沢に新設されたのが大日本帝国陸軍第九師団。
(日本海の対岸に脅威があるのは現在も変らないかも・・・)
北陸三県の兵士で構成された旧陸軍きっての精鋭師団の名が後世に残る事になったのは、日露戦争。

日露戦争に於いて、旧陸軍第三軍の中核を構成したのが第九師団。
乃木大将の下、難攻不落の旅順要塞に計3回の総攻撃を決行し、日露戦争戦死者率・全国第三位(石川県)をだした師団です。


将校クラブの隣に建つのが「第九師団指令庁舎」
元々は、将校クラブは金沢市大手町、指令庁舎は金沢城二の丸跡にあり、現在この地に移築されたそうです。


すぐ近くに在る旧陸軍兵器庫跡
長さ90メートルの赤レン作りで、三棟がみごとに並んでます。
現在の石川県立歴史博物館。
その他の遺構として、第九師団長官舎・第六旅団指令庁舎などが現存してます。


余談ですが、
計3回の旅順総攻撃で疲弊しきった第九師団に替わり、203高地攻略の主力となった第七師団は北海道の師団。
壊滅的損害を出しながら203高地を奪取した第七師団の前身は屯田兵。
明治期に国策として北海道に移民した屯田兵出身地第一位は、現在の石川県。
東北エリアを除いた北海道移住者比率は、北陸三県が断トツ。
帝国主義時代の日本の歴史の礎に、
一部の地域の人々が係わっていたのは紛れもない事実だと思います。
Posted at 2011/12/18 14:59:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡探訪 | 日記
2011年11月24日 イイね!

史跡めぐり2  秋月庵・碑文

史跡めぐり2  秋月庵・碑文この碑文を見つけたのは、3年ほど前です。
いま住んでる場所からクルマで20~30分くらいの場所に在ります。
刻まれた文を読んでとても驚きました。
いままで全然知らなかった事実だったので。

幕藩体制の江戸時代に御禁制の「集団移民」が行われた。
その後ネットで調べ個人的雑学としてましたが、3・11以降この話題が歪められたカタチで表出しだしたり、個人的に最近再び碑文の近くに行ったので、コレを機会に記してみます。


江戸時代・天明の大飢饉で人口が1/3に減少し危機的状況に陥った相馬・中村藩。
その危機の解決策として御法度の移民を画策する。
極秘に浄土真宗教団と手を結び、集団移民を北陸から受け入れた。

危機的状況だったとはいえ、改易・減封の恐れのある禁制を行った相馬藩も凄いけど、見つかれば重罪になると判っていて日本海側から太平洋側へと大移動を行った移民たちの覚悟には驚きます。
相馬藩と北陸移民の間を取持った浄土真宗教団の存在も大変興味深いと思います。
まるで、日本の「出エジプト記」のようだと思いました。

碑文からは、遠い祖先の地への懐旧の念が感じられました。
北陸と浜通りの人々の多くは、祖先を同じくした古い絆で結ばれている。
碑文の思いに呼応するように、先ごろ富山県が新米を南相馬市へと送った新聞記事がありました。
この企画を立案実行しているのが真宗派のお寺さんだそうです。
絆は今でも保たれているし、
もし、北陸イデオロギーってモノが実在するのなら、その底辺には正しい意味での信仰心が脈々と流れていると感じます。


碑文全文(1ヵ所文字不明あり)

   秋月庵由来
今から二百年ほどまえ、天明の大飢饉による冷害のため作物が実らず、飢えと寒さで日本の人口が半減したと言われています。
その上、加賀百万石の大騒動による政変が起こり、住民は貧乏と苦しみに喘ぎ、ひそかに集団移民をし、雪の少ない太平洋岸の常陸・?城・相馬の大地に根を下ろしたのが私達の祖先です。
その数、能登・加賀・越中合わせて二十万と申されます。
そして、取り残された先祖の墓が無縁仏となり宙をさまよって居ます。
その大地に菩薩寺を建立し、さまよってる無縁霊をお迎えし、篤く供養するものであります。
   平成二年十月吉日
              秋月妙俊
Posted at 2011/11/24 00:15:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡探訪 | 旅行/地域
2011年11月04日 イイね!

史跡めぐり1  鳥越城跡

史跡めぐり1  鳥越城跡石川県を含む北陸三県って隠れた歴史史跡が結構あります。決して正史の表舞台に登場する事ない埋もれた史跡が数多くあります。
せっかく北陸に住んでいるのだから貴重な史跡を巡ってみようかと思う、今日この頃です。

そんな訳で、先日さっそく行って来ました。
『百姓の持ちたる国』
『日本のキングダム・オブ・ヘヴン』
その終焉の地『鳥越城跡』

守護大名・富樫氏を攻め滅ぼした後、約100年続いた農民の王国。
北陸本願寺教団を中心とした農民自治による地上の楽園。
そして。
対石山本願寺十年戦争(石山合戦)に勝利した織田信長により攻め滅ぼされる。
その最後の攻防の地『鳥越城』
壮絶なジェノサイドで幕を下ろした加賀一向一揆終焉の遺構です。


城山という山のほぼ山頂に本丸跡がありました。
クルマで本丸下まで乗り入れる事が可能ですが、結構な急坂です。
本丸・二の丸・三の丸があり、こじんまりとしながらも見事な山城でした。
たぶん復元されたと思われる石垣や、本丸門などがありました。
ここで徹底抗戦を続け散っていった多くの人々の念が、今でも伝わってくるような神聖さを感じる空間です。
山を下ると近くに道の駅に併設された「鳥越一向一揆歴史館」があります。
ビデオ等で加賀一向宗徒の事を学べました。

ローカルエリア限定ですが、この国の歴史で唯一の「革命」の地を体験できてとても良かった。
ただ残念なのは、道の駅の新蕎麦が長蛇の列で食べれなかった事。
Posted at 2011/11/04 23:29:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡探訪 | 旅行/地域
2011年05月05日 イイね!

国宝「松本城」

国宝「松本城」帰路の途中に松本城を見学してきました。

ここもお初の見学。
非常に感動しました♪
内部見学は大行列だったので叶いませんでしたが
外観を見ただけで来た甲斐がありあました。

まさに戦う為の黒い要塞のようにそびえていました。

Posted at 2011/05/05 18:40:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡探訪 | 旅行/地域

プロフィール

「週末はクルマ2台のオイル交換&フィルター交換。2台とも元気になりました。」
何シテル?   11/01 14:21
基本的に『インドア』で出不精です。 でもじっとしていられない性質なのでアウトドアします。 長時間の寝貯めが出来るので、 活動期と充電期がはっきりしています...

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