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いずぱぱのブログ一覧

2012年02月18日 イイね!

回想録:その12 アルバイト

無事(?)に免許も取得した夏休み


その後は何をして過ごしたのかサッパリ覚えていません・・・







そんな夏休みも終わり、


9月からの新学期が始まりました。


今までは、授業が終わると即部活をしていましたが、


もう引退をし、放課後の時間が余っています。




そんな2学期の始まりの頃


近所に住む友人が、


「俺のバイト先に来ないか?」


と誘ってくれました。


アルバイト先はガソリンスタンド。


今のようにセルフスタンドがまだ無く、


有人のガソリンスタンドが一般的でした。


また、私の居た工業高校は、


アルバイトにも寛大で、


特に禁止もされておらず、


クラスメートではガソリンスタンドでのアルバイトをする者も


多かったのです。




そんな環境でしたので、友人からの誘いを受けました。


実際に所長と簡単な面接をし、


時給を聞いたら、安いの何の・・・



でも、憧れだったガソリンスタンドでのアルバイトですから、


何も文句はありませんでした。






さて、そのガソリンスタンドのスタッフ達。





友人は車の免許を持っていませんでしたが、


バイクが大好き!


乗っているバイクもマニアックで、


ヤマハの初期型RZ250


エンジンを改造してあり、370ccにアップさせ、


暴力的な加速を味合わせていました。




4つ上の大学生Kさん




ブルーバードU12 に乗っていました。


この当時、非常にカッコいいブルーバードでした。


あぁ、大学生にもなると、こんなに良い車に乗れるんだ!


などと感心してました。




同じく4つ上のOさん


Kさんと同級生です。


この方は・・・




ジェミニです

憧れのPF60です。


その事をOさんに話すと、


「お前変わっているね」


と、つれなく言われました・・・


そりゃそうです、


この当時一番の人気車種は、


いまだに人気が続く


AE86でしたから(もう写真は載せなくてもいいですね)。


私はみんなが乗っているから、あまり好きではありませんでした。





次のスタッフは、1つ上のSさん


家も近所で、昔から知っていた方です。


そのSさんの愛車は・・・




カローラ レビン


AE86じゃぁありませんよ!


TE71ですよ!


最近ほんとに見かけなくなりましたね。


SさんのTE71


最初の頃は、足回りの改造のみでしたが、


後日、とんでもない車になってしまったのです!!!



物凄いエンジンを手に入れたとの事。


色々と話を聞いてみると、


私の高校のクラスメートのアルバイト先の先輩から譲ってもらったらしい。


そうと判ると


途中からの情報交換は、


私とクラスメートが間に入って行っていました・・・



このTE71のエンジン、


トヨタが誇る名機 2TGです。


1600ccのDOHC。


その物凄いエンジンは、


2000ccにアップして、


インジェクションからキャブレターに変更し、


更にターボを2つも装着していました。


まさに暴力的な加速!


勿論怖くて運転なんかしませんでしたが、


よく横に乗せてもらい遊びに行くと、


気持ち悪くなっていました・・・


そうそう、


ミッションが持たなくすぐに壊れてしまい、


しょっちゅう交換を手伝わされましたっけねぇ~・・・




さて、そんな好環境なアルバイト先に恵まれて、


安い時給でも楽しく仕事ができました。


仕事上、車の運転もよくさせてもらい、


仕事も運転も十分慣れてきた頃にある出来事がありました・・・・・・




Posted at 2012/02/18 21:09:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車回想録 | クルマ
2012年02月16日 イイね!

回想録:その11 教習所

さて、時は1989年


年号が昭和から平成に代わった年に、


いずぱぱは、18才になりました。


高校3年生です。


私が居た高校は工業高校。


自動車の免許取得には比較的寛大な学校でした。


なので、早い者は夏休み前に取得し、


クラスの憧れでもありました。


今にしてみれば、


たかだか数ヶ月から数年早く取得したからと、何の偉くも無いですがね・・・。




さて、私は中学から続けていたバスケットボールを、


高校入学後も続けていました。


しかし、弱小高校ゆえ、


夏の高校総体地方予選で、


早々の敗退。


同じように、


他の部活に居た者達も、


早々に敗退していたので、


もっぱら夏休みの話題は、


アルバイトか運転免許取得かで、二分していました。


勿論私は後者。


せっかくならば、夏休み中に取得したかったので、


同じクラスで野球部だった友人と、


合宿での免許取得に行きました。





場所は福島県須賀川市。


以前のブログでも報告しましたが、


我が家には全く車と縁が無い家庭。


それでも、


教習所の入所式が終わったその日その足で、


何の心構えも無いまま、


早速実車での乗務教習になったのです。




初めて運転した車はカペラのAT車。


教習所内では、比較的新しい綺麗な車でした。


しかし、自分で言うのも何ですが、


簡単に運転することができました。


まぁ、横に教官が乗っていたのもありましたから・・・。


そこの教習所の車は、


先にも書きましたが、マツダ カペラ


どんな年式なのかは忘れましたが、


MT車はディーゼル車だったのです。


しかし、ディーゼル車は低速トルクが厚い為、


全くのド素人の私でも、非常に運転がし易く、


非常に好印象を持ちました。



そうして、一回も落とすことなく、


仮免許の試験日が来ました。



教習所内の色々な課題をクリアし、


最後の車庫入れになりました。


比較的難しいとされるバックでの車庫入れ。


緊張しましたが、無事に入れることが出来ました。


しかし、ちょっと気になることが・・・


左側に寄り過ぎていることに気が付きました。




「まあ、大丈夫だろう」



後はココを出発し、


左折してスタート地点に戻るだけですから、楽勝気分です。



そして、余裕コイての出発。


すると、


「ゴンッ」



左リアのタイヤが縁石に乗り上げるのが判りました。


本来ならばここでバックし、


縁石から降りて仕切りなおせば問題無いのですが、


私の気分は楽勝モードのイケイケ状態!


「たいしたこと無いさ!」


そのまま進んで、縁石を超えてしまいました。



「終わりだよ」


教官が言います。


「ハイ!終わりですよね!」


「終了だよ」


「・・・・?」


私は、これで全ての試験のコースが終わり、


試験が終了したのだと思いました。


しかし、


「試験中止」



「・・・・・・」


「????」


「!!!!」



やっと意味が判った時は、


非常に落ち込みました・・・






しかし、合宿免許の特典で、


すぐさま翌日には無事に合格しました。







そうして、晴れて路上教習となったわけですが、


ここでは、自動車の運転技術を学ぶだけでなく、


教官との付き合い術を学びました。




この教習所には、一人の気難しい年配の教官が居ました。


いつも無愛想で、


なかなか気安く声をかけづらい雰囲気の教官でした。


その教官がある学科教習中に、


ふと自分の趣味を話し始めました。


他の教習生達は、運転や交通ルールとは関係ない話だったので、


覚えていなかったらしいのですが、


私はなぜか良く覚えていました。



その気難しい年配の教官が、


私の路上教習の担当になったときの事です。



教官の顔を見た瞬間に、


かなりの緊張を覚えました。


ニコリともせず、


気さくでもない教官は、


表情を変えずに、


淡々と路上での教習に入りました。




すると目の前に見えてきたのは、


教習生泣かせの激坂。


皆エンストしては怒られた場所です。



そのとき私はふと思い出したことがあり、


教官に話しかけました。



「教官の趣味って、狩猟なんですよね? 鉄砲を撃つときって、どんな心境なのですか?」


すると教官は、今までとは打って変わって和やかな顔になり、


「そうだねぇ、獲物をこうやって狙っているときは・・・」


と身振りを交えて話し出したときです。





プスプス・・・




見事エンストをしてしまったのです!


「ヤバイ!怒られる!!!!」


そう思い、恐る恐る教官の方を見ると・・・





「んんん?大丈夫だから、慌てずエンジンをかけなさい」





エッ!?


怒ってない?


なぜだ?


そう言われて怒らないことに慌ててしまいそうになりましたが、


なんとか冷静を装い、エンジンをかけなおしスタートさせました。


それでも、教官は笑顔で、


「鴨の場合はねぇ・・・」


と変わらず身振り手振りを交えての狩猟の話をしてくださり、


聞き役の私に、無事に判子をくれました。




そこで、馬鹿の私は、


「あぁ、失敗しても教官と上手く会話をしていれば、多少の失敗には目を瞑ってくれるのか!」


と、くだらない知恵をつけました。



しかし、そんな下らない知恵は他の教官には通じず、


「話してばかりいないで、ちゃんと運転しろ!!!」


と怒られてしまいました・・・。





そんなこんなで、何とか卒業試験の日が来ました。


友人と一緒に入校しましたが、


仮免の試験に一度落ちていましたので、


友人よりも一日遅れの卒業検定試験です。



当日は私を含めて5~6人。


検定車両は2台。


私は2号車に乗り込みました。


流石に毎日乗っていますので、


然程緊張するでもなく、


淡々と進行していきました。



すると、ある道路を走行していました。


前方に同じ教習所の1号車が走行していました。


その1号車は時速40km/hの制限速度の場所を、


30km/hで走行中。


当然私は制限速度で走行していましたので、


すぐに1号車の後方に着きました。




「なんだよ、遅せ~な~!」



とは声には出しませんでしたが、


心の中はオラオラ状態で言っていました。


すると教官は、



「近寄りすぎ!もっと安全マージンを取りなさい!」



と言って、チェックシートに記入していました。




「あぁあ、また落ちるのか・・・」




そう心でつぶやきながら、何とかゴール地点に到着。





終了後、教官にそのことの注意を受けましたが、


無事に卒業検定に合格をしました!





そうして、追い出されるように


福島から千葉に帰り、


はやる気持ちを抑えながら、


運転免許センターへ行き、


一回で試験に合格しました。






こうして、



暴走ドライバーが誕生しました。



Posted at 2012/02/16 19:27:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自動車回想録 | クルマ
2012年02月13日 イイね!

回想録:その10  カタログ

1980年代後半


私は中学生から高校生の頃です。


まだ自動車の免許はありませんでしたから、


相変わらずカタログ収集でした。


勿論この頃メインに集めていたのは、






いすゞ






さて、この頃の現役のいすゞ車は・・・





アスカ


当時はぱっとしない地味な車でしたが、


乗用車に初のNAVI-5を搭載していました。


今思うと、最新の技術。


その後に、5速ATだの、


デュアルクラッチミッションだの、


騒いでいますが、


正に先駆けですね。


しかし、当時は何故か受け入れられませんでした・・・。


そして、地味なアスカに



イルムシャ―です。


角目4灯の精悍な顔つき。


アスカの地味さが吹っ飛ぶカッコよさでした。








それから、日本車ではファミリーユースの先駆けだった




ビッグホーン


ピックアップトラックからの発生車種でした。


4ドアで、居住空間も広く、


この後の4駆ブームを牽引していく、


素晴らしい車でした。


また、このモデルの時は、


こんなマニアックなグレードもありました。





ソフトトップ


別名オープントップです。


このオープンモデルは、一度も見た事はありませんでした。


こんなグレードがあるビッグホーンは、


硬派な車ですね!








そして、いすゞの屋台骨を支えた、




御存じ、ジェミニ。


この前の型から、空を飛んでいましたね!


しかし、純正でこのピンク色を始め、


非常にカラフルな色が多かったですね。


CMも印象的でしたし、色もカラフルで、


FRのPF-60とは違う、


ソフト路線で人気が高かったですね。


しかし、こんなソフト路線のFFジェミニも




イルムシャ―(写真はもっとも硬派なR)や、





ハンドリング バイ ロータス


なんて、硬派なモデルも発生しましたね。


ロータスが発表された時のキャッチフレーズが、


「ZZが帰ってきた!」


なぁんて、いすゞマニアの心を


擽りましたねぇ~~~。





そして、何と言っても





ピアッツァ


ジウジアーロがデザインした、


正にショーモデルのようでした。


誰ですか!!


「マヨネーズの容器」


だなんて、言っているのは!!!


この優雅な流れるようなヒップラインが理解できないのですか!


女性とピアッツァのお尻は命ですよ!!



勿論ピアッツァにも




イルムシャ―がカッコよかったですね!


他のイルムシャ―もそうなのですが、


ホイールがボディと同色なのが非常に気に入りました。


確か、他の色のホイールも選べたと思います。




そうそう、ピアッツァにはヤナセでの販売していた





ピアッツァ ネロ


というモデルも存在していましたね。


ネロ=黒 と言う意味だそうで、


イメージカラーは黒でした。


確か、最初はいすゞディーラー販売には無い黒を扱い、


途中で、フロントレンズがイルムシャ―と同じ2灯になり、


最後は、輸出モデルの「インパルス」と同じフロントマスクになりました。


この最終型は、あまり見かけませんでしたね。



そして大トリは、





ハンドリング バイ ロータス


ブリティッシュグリーンが、


大人のピアッツァの雰囲気を醸し出していました。




カッコいい大人になって、


このロータスに乗りたかった、


若かりし頃のいずぱぱは思っていました。




しかし、この時代。


バブル好景気。


いすゞにとっても、


第2の黄金期ではなかったかなと今は思いますね。





さて、前回と今回のブログ。


いすゞと言う事で記事にしましたが、


流石は「みんカラ」


現役のピアッツァ乗りのJR120EXさん
からコメントをいただきました。


いすゞ車等旧車に非常に詳しい方ですので、


私があれこれ説明するまでもなく、


JR120EXさんのブログを拝見した方が判り易いと思いますので、


簡単な説明だけにしました。







さて今回の写真は、


いずぱぱが、前回からお話しているカタログ収集の品からです。





この当時の車の大半は持っていましたが、


長い年月の間に、


あげたり、処分したり・・・


しかし、いすゞのカタログだけは、


未だに保存しています。



今回のブログのネタにするにあたり、


書棚から引っ張り出して撮りましたが、


改めてみると・・・




まあ鼻たれ小僧の分際で、


よくヤナセの敷居を跨げたと、


非常に恐ろしい事をしていたなと思いますよ・・・




Posted at 2012/02/13 14:05:49 | コメント(5) | トラックバック(0) | 自動車回想録 | クルマ
2012年02月08日 イイね!

回想録:その9  いすゞ

1970年代の車の魅力にハマり、


べレットに惚れた、いずパパです。




そこからいすゞに大変興味を抱きました。


そこへ、友人のババさんが


「今月の中古車雑誌に、いすゞの特集が組まれているよ」


との情報が私の耳に届きました。




少ない小遣いでその雑誌を買い、


隅々まで熟読。


すると、もっと素敵な車たちに出会いました。








117クーペ


以前から117クーペの存在は知っていました。


なぜ、知っていたのか





それは、遡る事当時から十数年前。


まだ物心が付き始めた頃、


母と、母の実家がある奥多摩へ向かう途中の立川のデパートにあった食堂での出来事です。


大変混雑し、相席となったテーブル。


車種は忘れましたが、私は1つのミニカーを持っていました。


食事が運ばれてくるまでの間、


そのミニカーで遊んでいると、


隣にサラリーマンの2人が座りました。


するとその内の1人が声をかけてきました。


「ミニカー好きなの?」


母が、ハイと答えると、


「じゃあこのミニカーをあげるよ」


と言って、1台のミニカーを私にくれました。


わたしが持っていたミニカーを、


楽しそうに遊んでいる姿を見て、


嬉しくなり声をかけたそうです。


そう、その方達は、トミカの社員だったそうです。


そのときに頂いたミニカー、


緑色の117クーペだったのです。


その時のことは、もう35年以上経っていますが、


いまだに、


鮮明に、


覚えています。


そうして、私は117クーペを子供心に焼き付けました。


今考えると、素晴らしい出会いですね!!







話は戻りまして、


雑誌に載っていた117クーペ


「ハンドメイド」


と記載されていました。


ハンドメイド?


手作り?


そうなんです、初期型の117クーペは、


デザインの関係で、職人が板金して作り上げていたんですね!


素晴らしい!!!!


エンジンはDOHC


カッコいい!!!


そんな117クーペも、ハンドメイドは高価だったので、


量産タイプのモデルにスイッチ。


前期が丸目、後期が角目に。


やはり、前期の丸目でしょ!!


ミニカーも丸目でしたから。






そんな117クーペに対する思いを沢山抱いていましたが、


やはり、当時ですらべレットも117クーペも


車齢10年を超えていましたから、


たいした車の知識が無い小僧にでも、


維持するのは並大抵の事では無いと理解していました。




そして、


その雑誌の中に、


1台の緑鮮やかな車が目に飛び込んできました。







ジェミニ ZZ/R



雑誌に写っていたのは、


緑色のPF60丸目の前期型、2ドアでした。


DOHCエンジンに、クロスミッション。


男の後輪駆動。


モータースポーツに大活躍。


ZZ/R以外に、


ZZ/Tや、ZZ/Lなどのグレードもあることを知りました。


またまた惚れました・・・。


比較的年式が新しいのも魅力でした。


「これなら難しく考えなくても維持できるかな?」


そう考えるとますます身近に、


そして、更に好きになっていきました。





べレットや117クーペ、


そしてこのジェミニも、


これまでのいすゞの車達は、


どこかヨーロッパ車的な雰囲気を、


非常に感じるデザインに、


好感を覚えました。



Posted at 2012/02/08 20:44:09 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車回想録 | クルマ
2012年02月06日 イイね!

回想録:その8 ノスタルジー

さて、先日見たスカイラインS54-B



その後の私の自動車観に影響を与えました。





今のように、ちょっと調べるのに簡単な、


インターネットと言う情報ツールが無い時代、


やはり当時は雑誌等の書籍が中心でした。


でも、中学生の私のお小遣いでは、


車の雑誌ばかり買う程貰っていません。


当然のように、立ち読み情報収集です。




時は1980年代後半


世の車達は、バブル好景気の恩恵で、


素晴らしい造りになっていきました。




しかし、


最新=最良


の車とは真逆の流れも、


この頃から認知され始めていました。



当然雑誌も、そのような特集記事を組んでいたりしましたから、


容易に、そのスカイラインの事も判明しました。




そして、


他の気になる車達も色々ありました。





トヨタ 2000GT


確かスーパーカーブームの時に、


「日本のスーパーカー」


と紹介されていましたが、


子供心に、外国車ではないので、


スーパーカーとは認めていませんでした。


しかし、今となっては、


カウンタックや512BBに全く引けを取らない、


スーパーカーよりも、高貴な車ではないかと思います。



それから、





スカイライン GTR


通称「ケンメリR」


総生産台数197台という希少価値。


痺れました・・・


未だに見た記憶がありません。



他にも、


TE27  ハコスカ  30Z  510ブル ダルマセリカ  ギャランGTO  S600&800


ナドナド・・・


1960~70年代の自動車に、


非常に惹きつけられました。


そうした車達の中に、


この車がありました。






いすゞ ベレット GT-R



いすゞ?


何これ?


カッコいい!!!



そうなんです、


ベレットに一目惚れしたのです。


色々調べてみますと、



・スカイラインGTRよりも先にGTRを名乗っている。

・DOHCエンジン

・太陽光の反射を抑えたブラックボンネット


余計に惚れました。





そうして、沢山ある日本の自動車メーカーの中で、


いすゞというメーカーの虜になりました。




Posted at 2012/02/06 10:34:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車回想録 | クルマ

プロフィール

「@みなみのぱぱ さん

我が家のすぐ近くにもロピアありますよ!

確かに安いのですが、支払いが現金のみってのが、今にマッチングしていないような・・・」
何シテル?   08/07 19:45
いずぱぱです。ゴルフヴァリアントに乗り換えてからのみんカラデビューです。 いすゞジェミニ(PF60:クーペ)?ジェミニ(PF60:セダン)?ジェミニ(PF60:...
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