2024年10月15日
生まれて初めて釣り上げた「ブラックバス」
掌に収まるほどの小さな魚体でしたが、私の心の奥深くに眠っていましたブラックバスへの憧れを呼び起こすのに、十分な衝撃を与えてくらました。
淡い思春期での打ちひしがれた思い出をお話ししましたが、そのキャンプで最も簡単にブラックバスを釣り上げた友人にその事を話しました。
すると・・・
「じゃあ、ブラックバスを釣りに行ってみよう!あそこのダムは必ず釣れるらしいよ!」
と、今度の休日に一緒にブラックバス釣りに行く約束をしました。
そうなると、きちんとした道具を揃える必要があります。
学生時代とは違い、とりあえず社会人となった今は、ある程度自由に使えるお金が有ります。
そこで、以前のべ竿を購入した大型釣具店へと向かいました。
ブラックバスの道具などわかるはずも無く、店員さんに尋ねながらも情報を得て、とりあえずリールと竿を選び、ルアーも購入です。
友人からは、自分の分も購入しておいてほしいと伝えて来ましたので、プラグ類よりも安くて実績もあると思われるワームを購入しました。
そうして迎えた釣行日。
車で友人を迎えに行き、ダムへと向かいました。
移動中の車内では、ある先輩がこれから行くダムへ先週釣りに行き、かなりのサイズと数を釣り上げたと友人は話してくれました。
今回は期待ができるよと、思春期に女の子の前でかっこよく釣り上げた友人が、全くのど素人の私の心を刺激する言葉を並べました。
ダムへと到着。
湖畔に立つと、淡い朝靄の中からうっすらと浮かび上がる湖面が、なんとも言えない雰囲気が漂って来ました。
早速友人と並び、先日購入した同じワームを使い、キャストします。
すると隣の友人が
「ヒット!!!」
朝靄の中、声が響き渡りました。
湖面では、エラ洗いをしながら暴れるブラックバスが見えてきて、無事にランディング。
上がって来たのは推定35センチくらいの見事なブラックバスでした。
「ほら、簡単に釣れるよ!お前もすぐに釣れるさ!!」
私も友人と同じような場所へキャストをし、見様見真似で同じように誘います。
しかし、やっぱりヒットするのは友人ばかり。
私には一度もアタリすらありません・・・
友人は数匹のブラックバスを手にし、私は一度も手にできず・・・
また早朝からの釣りでしたので、少し釣り疲れなのか友人はちょっと寝てくると車内での仮眠をしに、湖畔を後にしました。
私はその間になんとか釣り上げようとひたすらキャストしましたが、相変わらず音沙汰なし。
キャストに疲れたためしばし休憩をしていると、私の傍に1人の男性がやって来ました。
その男性の手には、何か初心者の私には珍しいロッドが握られているのが分かりました
そのロッドはフライロッドです。
そしてそのフライロッドを巧に操り流暢にフライラインを湖面に向かって送り出します。
非常に珍しいフライキャスティングに、私はしばし目を奪われました。
そして、そのフライフィッシングの男性は、意図も容易にブラックバスを立て続けに手にしていました。
「そんなに簡単にフライって釣れるものなのか?」
結局この日は私には1匹のブラックバスを手にすること無く終わりました。
友人と同じルアーを使っても、私には釣れない。
非常に悔しい思いでした。
フライは非常に有効である。
非常にショッキングでした。
とにかく釣りた一心の私は、この日起こった出来事を糧に、時間が許す限りこのダムへと通うこととなりました。
Posted at 2024/10/15 07:23:27 | |
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2024年09月29日
淡い青春時代に、「釣り」と言う魔物に打ちひしがれた、いずぱぱです。
そんな学生時代を過ごしていましたが、高校を卒業と同時に就職し、新たに「社会人」としてのスタートを切る事になりました。
そして暫くすると、そんないずぱぱにも、彼女ができました!
その彼女は、特別アウトドアが好きという訳でもありませんでしたが、その当時流行し出した「アウトドア遊び」の中の「BBQ」とやらに、会社の人達と行ったそうです。
そして、その場所には管理釣り場も併設されていたらしく、虹鱒釣りを楽しんできたと、私に報告してきました。
「私も釣りがしたい」と私に話してきました。
確かに私も釣り道具を持っていましたが、いかんせん古る過ぎて使い物になりません。
それならば手軽にできる釣りをしようと、2人で釣具屋に赴き、振り出しタイプの延竿と、簡単な仕掛け、浮子に餌のミミズを購入し、早速私の通勤途中にある河川へと向かいました。
特に何が釣れるとの情報も無く、ただ釣り糸を垂れ、針に魚が掛かるのを待っていました。
するとそんなに時間もかからず、すぐに浮子が「チョコン」と動きました。
待望のアタリです!
久しぶりに味わう魚の引きは、何か懐かしく、そして少しの興奮を呼びました。
そうして上がって来た魚は、子供の頃から慣れ親しんだ「ブルーギル」でした。
勿論、彼女も「ブルーギル」を釣る事ができました。
こうして初めての釣りデートは、2人で沢山のブルーギルを釣ることができました。
彼女も少し釣りの楽しさが理解出来たようで、この後もちょくちょくと一緒に釣りを楽しんでいました。
釣りの楽しさが少し理解できる様になったこの時期、私の勤務が異動となりました。
それまでの勤務は日勤務と俗に言う「9時5時勤務」でしたが、「9時9時」の24時間勤務となったのです。
また公休日も土日では無く、ローテーションでの公休になりますので、平日休みが多くなりました。
そんな平日に遊んでくれる友人も居ず、朝仕事から帰ると、時間を持て余すことが多くなりました。
「そうだ、それならば帰宅時にあの川でも寄って、釣りをすればいいんだ!」
それからは車の中に釣り道具を積んで仕事に行くようになり、帰りは川に寄って、釣り糸を垂れるようになりました。
「折角なら、ブルーギルだけでなくフナを釣りたいな」
などと贅沢な気持ちが芽生えた時でした。
軽く浮子が走り出し、慌てて竿を引いてみました。
それまでに釣れていたブルーギルとは違うとても力強い引きでした。
「これは大物に違いない!」
そう思いながら何とか竿を捌き、慎重に引き上げます。
すると上がって来た魚は、今まで釣り上げてきたブルーギルとは明らかに違う、とても小さな魚体でした。
「一体何の魚だろう?」
よーーーーーく観察しますと・・・
それは、あの憧れだったブラックバスでした。
しかもとても小さな、手のひらに収まるぐらいの魚体でも、非常に力強い引きに興奮を覚えました。
「そうか、これがあのブラックバスなのか!」
子供の頃に憧れて、思春期に打ちひしがれたブラックバス。
バスフィッシングを始めるきっかけは、こんな体験からでした。
Posted at 2024/09/29 12:55:35 | |
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2024年09月20日
前回のお話は、ブラックバスを釣りたくても、釣れるのはブルーギルばかりと言うお話でしたね。
この時のお話は、小学生の頃。
この後の興味は色々と移り変わり、初代タイガーマスクの出現でプロレスにはまりましたし、友人が鉄道模型を所有していたこともあって、鉄道にも興味が湧き出し、いつしか釣りへの興味、ブラックバスへの憧れは、どこか遠くへ行ってしまいました・・・
中学生になって、バスケットボール部へ入部し、今では考えられない週7日の練習がある為中々自由になる時間などもなく、たまに空いた時間があれば、小学生の頃に興味が湧いた鉄道が、いわゆる「撮り鉄」となって各所に写真を撮りに行くようになりました。
また高校生になっても、中学生のころとあまり変わりなく、部活や撮り鉄へと駆け回っていました。
そんな高校生時代
ある時、中学生時代からの友人が、クラスメート達を誘って某ダム湖へキャンプに行こうと言い出しました。
そのダム湖は、千葉県のブラックバスの聖地です。
彼曰く、キャンプサイトのすぐ前でブラックバスが釣れるとの事。
その言葉を聞き、
「ブラックバスなんて久しぶりに聞くなぁ〜」
「憧れの魚だったよなぁ〜」
などと思い出し、小学校時代に使用していた釣り道具を押入れの奥から引っ張り出し、釣具を持参し参加をすることにしました。
そうそう、そのキャンプには女の子も参加します♡
「このキャンプで釣り上げたら、きっとヒーローだな♡♡」
などと、ブラックバスへの憧れよりも、思春期の男子は誰しも思う
女子にモテたい!!
と、邪な想いが一番に沸き立ちました。
色々な思惑を思い巡らせて迎えたキャンプ。
川で泳ぎ、食事も美味しく、夜中の肝試しと女子が参加してくれたおかげで、非常に楽しく過ごすことができました。
後は、私がブラックバスを釣り上げて、女子達からの熱い眼差しを受けるのみです!
そう思うと居ても立ってもいられません!
キャンプサイト前の流入河川で夜中から実釣開始です!!
しかし、どこがポイントなのか、どこにブラックバスが居るのか判らず、ただ闇雲にキャストをしている状況でした。
しかも持ってきた釣具は、ずっと押入れの奥に寝かしていたままの物でしたから、トラブルが当然のように起こります。
リールに巻いてあったナイロンラインはグシャグシャに絡んでしまい、全く釣りにならない状況になり、次第に苛立ちだけが芽生えてきました。
そんな状況でも朝日が昇り、夜明けを迎えました。
ふと友人がふらりと釣竿を持って現れ、黙ってキャストを始めました。
わずか数投目、時間にして数分です。
糸が絡んだリールと格闘していた私は、ふと彼の方に視線を向けると、片手にブラックバスを持っていました!
もう皆んなの視線は、彼だけに注がれています!
もちろん女子達もです。
「わ〜〜、凄〜〜い♡」
「釣りが上手なんだねぇ♡」
私が受けるはずであった賞賛と憧れの眼差し(妄想)を、彼が全て奪ってしまったのです。
「あ〜ぁ、釣りなんてそんなもんかい!」
憧れだったブラックバスを釣りたくて(?)、夜中から始めても全く釣れない私を横目に、彼はものの数分で手にし、しかも女子達の熱視線までも奪っていった・・・
ブラックバスや釣りへの思いはどこへやら・・・
ただ彼に対しての嫉妬が芽生えたキャンプでの釣りでした。
思春期に受けた釣りへの想いは、
辛く、悲しい思いでしかありませんでした・・・(涙)
Posted at 2024/09/20 08:00:13 | |
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2024年09月15日
私が生まれ育った街は、埋立地でした。
全国的に有名になった国際展示場や野球場などがある地区です。
今ではカッコよく言えば「ベイエリア」
私が小学生の頃は、単なる「埋立地」でしたけどね(笑)
そんな地域でしたから、すぐ近くには港があり、時間があれば友人達とサビキでイワシやアジなど小魚を釣って遊んでいました。
海は近いので魚種を問わなければそこそこ「釣り」を楽しむことは出来ましたが、無い物ねだりなのか、淡水魚の釣りに非常に憧れを持っていました。
そんな海に近い町でしたが、住んでいた団地からすぐ近く、それこそ海よりも近い場所に、鮒やザリガニが生息する池というのか水溜りというのか、歩いて5分の場所にその池はありました。
ですがその場所は、交通量が非常に激しい国道の上下線の間にありました(いまだに、なぜそのような場所に池があったのか不明です)。
今は信号も整備され、その場所に行くには多少は安全になりました(ですが今はもうその池はありません)、当時は信号も無く、行き交う車達を避けながら国道を渡らなければなりません。
そんな場所ですから、学校からは行ってはいけない場所に指定され、見つかると親に怒られるのではなく、学校の先生に呼び出しを喰らい、こっ酷く叱られました。
一体誰が見ていたのか?
一体誰が先生にチクった(報告した)のか?
等と普通は考えますが、純真な小学生の私には、行ってはいけない場所に行ったという後ろめたさが優っていたので、そこまでの考えには至りませんでした。
さて、では堂々と淡水魚が釣れる場所はどこ?
どこの家庭でも車があるのが当たり前の現在の家庭とは違い、昭和50年代の家庭に車があるのは、私の周りにはごく稀でした。
したがって移動をするには公共交通機関か、自転車を利用するしかなく、そう易々と遠く離れた淡水魚が釣れる場所までには行くことは難しかったのです(当然、我が家にも車はありませんでした)。
こんな時代の少年期の私に、非常に心に強烈な印象を与える魚が現れました!
それは「ブラックバス」です。
今なぜそのブラックバスと言う魚を覚えたのか定かではありませんが、多分隣近所の年上の兄貴分の幼馴染達からの情報だったのかと思います。
ハゼ釣りとは違い、おもちゃみたいな仕掛け(ルアー)で、こんなカッコいい魚が釣れるのかと非常に憧れました。
今ではどこでも生息するブラックバスですが、どこの場所にでも生息しているわけでも無く(当時は情報量が少なかったからだと思いますが)、私が住んでいる街からは、電車で隣町まで行き、そこからバスに乗り換え1時間以上揺られて行かなくては行けません。
しかし私は乗り物酔いが激しい(いまだにです・・・)ので、バスに1時間以上揺られるのは、耐え難い苦痛でしたが、憧れのブラックバスに合いたいが為に覚悟を決め、乗車したのを昨日のように覚えています・・・。
しかしそんな辛い思いをしてまで行った釣り場では、簡単にブラックバスには出会えませんでした。
現在のようにブラックバス釣りの情報などは非常に少なく、また少ない小遣いで買えるルアーは貧素なものばかり。
ルアーで釣る程の腕も無いので、終いにはハゼ釣り用の天秤に、針先にはミミズを付けての釣りをしていました。
そんな仕掛けでも、釣れるのはブルーギルのみ。
それでも当時は非常に嬉しかったのを覚えています。
Posted at 2024/09/15 19:58:04 | |
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2024年09月10日
私の趣味の一つに、「釣り」があります。
今も乗り続けている「ゴルフ ヴァリアント」も。釣りを考えてのセレクトになっています。
では、いつの頃から釣りに夢中になったのでしょうか?
思い出すのは今から40数年まえの小学生の頃。
当時「釣りキチ三平」がTVアニメで始まった頃でした。
近所の幼馴染たちは、皆見ていましたが、私には4つ上の姉が居ましたので、見ることができませんでした。
なぜ?
現在のように各家庭に複数台のTVや録画機能がある機器、スマホなどの視聴できる機器などはなく、一家に一台のテレビしか無く、年長者順にTV見る権利「チャンネル権」が私には付与がなく、姉が見たい番組ばかり見るしかありませんでした。
また当時小学2年生の私には、「釣りキチ三平」が掲載してある週刊漫画雑誌など買える財力も持ち合わせていませんでしたので、放映翌日に幼馴染たちから聴くストーリーの話しか情報源はありませんでした。
では実際の釣りはどうだったのか?
当時住んでいた町が埋立地だったこともあり、自転車で15分ほど走れば港があり、更に45分も走れば、魚種も豊富な河川の河口へと行くことが出来ました。
勿論、釣行へは幼馴染達とが多く、必ず誰かのお父さんが同行してくれました。
私の父も釣りが大好きで、よく同行してくれました。
その河口でのメインターゲットは、投げ釣りでの「ハゼ」でした。
現在では色々な情報が溢れる中、釣種によっての仕掛けや餌、誘い方など指南するものが沢山ありますが、当時はそんなものは無く、父から教えられた仕掛けに餌、仕掛けを投げては竿を置き、皆んなで周囲で遊んでいたのを思い出します。
そんな遊びながらの釣行でも、何とか魚を釣り上げることが出来ました。
ハゼばかりでなく、シーバスや今では東京湾では見られなくなったカレイなども釣ることが出来ましたし、外道扱いのボラなどは、子供の私達とっては、非常に大きな魚で魅力的に写りました。
さて、今では釣り上げた魚達は自分で捌いて食する事をしていますが、当時の子供であった私には到底できるはずかありません。
ですが、釣れれば必ず持ち帰り、押し入れから墨を出して魚に塗り、半紙を被せて魚拓をとることに夢中になっていました。
ですが、父と私の2人での釣行では、父が魚を捌くことが上手でしたので、釣ったハゼは天麩羅にして食卓に出してくれたことを思い出します。
そんな父ですが、一緒に釣行した時に発した言葉が、いまだに心に残っています。
「自分の子供が男の子だったら、2つの夢があるんだ」
「一つは一緒に酒を呑むこと。これは後10年先の話だな」
「もう一つは、一緒に釣りに行くこと。この夢は叶ったな!」
20年前に父は他界し、その後に私も男の子の父親となりました。
この言葉を思い出し、私も息子にこのような事を思い描くのかなと考えると、父のこの時の気持ちが少し解りかけました。
今この記事を記しながら、父への郷愁が溢れてきました。
Posted at 2024/09/10 07:27:13 | |
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