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このクルマは、平成3年から22年まで、20年間、38万kmを走り続けてくれました。若気のいたりと無知が合わせ技で、随分と痛めつけてしまいました。
走るのに夢中で、いろんな所に行ったはずですが、行った先も、愛車も、ほとんど写真におさめていません。
画像保管庫をあさってみたら、やっと、カメラの試し撮りをした時のものが見つかりました。タイヤ・ホイールを四セット目の純正に戻したときと思われます。
この頃には、運転席のサイドサポートの表皮が擦り切れて中の鉄が丸見えになり、さらにその鉄が服で磨かれピカピカになっていたと思います。純正のフロアマットは完全に劣化して、ゴムの部分がバキバキになって、繊維の部分だけでつながっている状態でした。
新車で購入当時、本当はそれほどR32に魅せられてはいなかったのです。職場の先輩がtypeMの黒を乗っていて、真似したみたいになるのも嫌でしたし、何よりR31の白ボディに惚れ込んでいましたから。
それが前車のトラブルと、ちょうど税制が変わって2500ccがはやって来た時だったので、後期だしNAなら被らないと思い購入に至りました。ガンメタにしたのは、やはりRのイメージが強かったようです。
一番最初のいじりは、箱スカGTの赤バッジとの取り換えでした。2個で4000円位で高いなぁと思いましたが、それから果てしなく金が出ていきました。
4回以上にわたる、ミッション交換、足廻り更新、10回以上のタイヤ交換、その他タイミングベルトは言うまでも無く、ラジエーター、オルタネーター、ウォーターポンプ等補機類、センサー類、マウント、ブッシュ……(どれをどれだけ換えたのか記録にも記憶にも、きちんとは残っていません)の様々な手を入れたにも係わらず、エンジン本体は頑丈そのものでした。
最期は、草津温泉の帰り道不調になり、だましだまし、高崎近くまで辿り着き、NISSANのディーラーを見つけて駐車場に停めたところで息絶えました。主原因は燃料ポンプの寿命。サービスでは、本当にここまで、走行してきたのか、とびっくりしていました。燃料ポンプ以外にも不良があり、とても走行できる状況ではなかったそうです。そこまで、辿り着けたので、クルを預け、レンタカーを借りて、自宅まで帰ることができました。
その他にも、他人が聞いたら、ばからしく思えるような出来事もたくさんありました。R32のアキレス腱であるテンションロッド、アッパーアームは何セット交換したでしょうか。通常の不具合(超過走行のため、二年で軽く10万km越えで保証終了)整備費用だけで、軽く新車購入時の費用を超えていました(同額近くに感じた時から、怖くて明細書も見なくなりました)。三回位NISSANカードのキャッシュバックを貰いましたが合計で6諭吉ほどですからR33GTRは買えてましたね。その他のいじりは完全に字数をオーバーするので割愛しますがお察し下さい。
エアバックなんて高嶺の花だった頃のクルマですから、当然エアバックはついていません。それでも、最期まで私が怪我をすることも、誰かを傷つけることもありませんでした。本当にいい子でした。
ばかげていると思われます(ディーラーで実際言われました)が、最期に修理できるところは修理して、自走できるようにして、部分取りにされるのもつらかったので、海外に中古車を販売している業者に持ち込みました。そうはいっても既に鉄くずにされてしまっているのかもしれませんが、自分の中では、どこかを走っていることを願っています。
愛用していたナルディのスティアリングをどうしようかとおもいましたが、そのまま装着して、代わりに純正のSマーク入りを思い出として残しました。しかし、大事に油紙に包んであったものを家人が見つけ出し、こんなもの、と……
まあ、この気持ちは分かってもらえないでしょうね。分かってもらえなくてもいいんです。自分にとっては、甲子園の土みたいなものですから。
そうそう、ウィンカーレバーが独立している車種って、もうないですかね。ものすごく、気に入っていました(そのかわり、ライトスイッチのトラブルが激しかったけど)。
いまだ健在で、愛用されている方に敬意と羨望を捧げます。