*今回のブログは長い上に、車ネタ的な面白さは一切無い、ただの自分語りです
改造計画の詳細を今まで伏せていた理由は、考え出すと切が無いほど、複雑で曖昧でしょうもないけど、しょうがない事ばかり。
ひとつは、まだ何も出来ていない時、出来るかどうかもわからない時に、ド素人の自分がこんな滅茶苦茶な改造計画をぶち上げたところで、妄言や誇大妄想と思われるのが当然だし、自分自身が半信半疑だったから、大風呂敷広げて畳めなくなるのが怖かったというのが一つの理由。
でも、最大の理由はインターネットへの不信感が、自分の行動を抑制していたという点につきる。
自慢にもならないけど、自分がインターネットの世界と出会ったのは中学1年の頃で、中3になる頃には家にいる時間の大半はネットにアクセスしていた。今28歳の自分が13歳の頃から始めているのだから、すでに人生の大半はネットコミュニティに影響されていることになる。
それで、この15年間にネットの何が一番解ったかといえば、ただひたすらに「気味の悪さ」と「怖さ」だった。
高校の頃には、いわゆる晒されとか吊し上げを経験した。今で言えば炎上になるか。(当時はブログなんてなかったけど)
だから、ブログ黎明時に数々おこった炎上事件なんて、起こるべきして起こったと思ってたし、「個人が簡単に特定されるブログで、あれこれ考えもなしに書くからそーなるんだよニワカが」なんて上から目線で冷めて見ていた嫌なヤツだった。
不特定多数という「よくわからない不気味なもの」を相手にした時、一番の自衛策は何かっていったら、それもうひたすら「目立たないこと」に他ならないと思った。
何が炎上のトリガーなのか解らない、十人十色の思想があるかぎり、正解と不正解は表裏一体だ。だったら、何もない無色透明な存在でいることが、一番の平穏だと考えるようになったっていいだろう。
2005年に登録したみんカラを、2006年に利用開始した時の自分のブログに、その時の信条が色濃く繁栄されている。
ネットで目立つ事は、ことプライベートな範囲に関しては、デメリットでしかない。
それが自分の信条だった。
つまり、整備士資格すらもってないド素人が、ヴィヴィオをミッドシップ化して公道デビューを目指すなんて話は悪目立ちもいいところで、やるにしたってこっそりやってたほうが”賢い選択”だと思ってた。
そんな風に思いつつ、着々と作業を進めてきたこの数年間。
自分の行動を振り返ってみると、笑ってしまうくらいに自分の信条とは矛盾していた。
この数年間、僕にとって日課だったのは、ネット上に公開されているミッドシップ化や車作りに関係するような作業の記録を探すことだった。
それは今も続けているけど、途中で国内で公開されているサイトはあらかた探しつくしてしまったので、ここ1~2年は海外サイトから探すようになっている。
そんな日課で見つけたサイトは国内外に数知れず。これだと思ったサイトや画像などは穴が開くほど凝視し、何度も回覧しつづけ、次の更新を今か今かと待ちわびた。もっと詳しい情報が欲しいと思った。
ずいぶん身勝手な話だと思う。
自分自身は、わけのわからん保身で、自分のやっている事をひた隠しにし続けているくせに、縁もないアカの他人にはもっと情報を曝け出して欲しいなどと願っていたのだから。
ネット上で見つけた数々のサイトと、その情報発信者である製作者は誰もが皆キラキラと輝いて見えた。
前回書いた島根のダートラ屋さんや、先日書いたノーチラスさんも、この長年のネット徘徊で見つけたサイトだった。
もしかしたら、自分はただ自信が無かっただけなのかもしれない。もとより自虐思考旺盛な人生を歩んできた身である。
数々の名チューナーや、熟練のプロメカニックだけが実現させてきたであろう「ミドシップ化」という車道楽最大級の大改造を、三流私立文系卒で整備士でもないタダの接客業なド素人な自分が、ネットという公の前で「彼らと同じ事やってます(`・ω・´)シャキーン」なんて大言壮語甚だしく、炎上を恐れて身の程を弁えようとしていたのかもしれない。
そんな風に、毎週の作業を繰り返していく中、一つのアクシデントが起こった。
ようやく出来てきたと思ったフレームの、致命的な失敗に気づいてしまったのだ。

(5年かけて作った鉄のガラクタ)
その失敗について、このまま引くか進むかで悩んでいる時、その頃ブログを発見していた、ある車両設計関係のエンジニア氏に思い切って質問をし助言を求めた。
すると、相手にしたところで何のメリットも無い自分からのお願いに対して、エンジニア氏は快くアドバイスをしていただけたのだった。
作り直したいと思いつつも躊躇っていた自分は、そのアドバイスに背中を押され、1からの作り直しを決めた。
そのアドバイスが書かれたメッセージの中で、エンジニア氏に言われた一言が衝撃的だった。「面白そうな事をやってるな~と思っていました」と氏は仰った。その一言は青天の霹靂だった。
はっきり言ってしまえば、この改造計画の面白さなんて、とても主観的なものだと思っていた。
ただ猪突猛進に自分の嗜好を形にしていくだけの変態的道楽は、他人が見て面白いもんではないだろうと。
そんな個人的道楽の垂れ流しを、その道のプロから「面白い」と評価されたのは、素直に嬉しいものだった。
もしかしたら、少なからずそう感じてもらえたからこそ、僕なんぞにアドバイスの一つでもしてやろうかという気になってもらえたのかもしれない。
考えてみれば、昨夏にコーチビルダーのノーチラスさんを尋ねたとき、同社の代表であるF氏からも、色々な知識やノウハウを惜しみなく教えていただいた。
少しだけでも車作りの話を聞ければと思っていた自分からしたら、こんなに長い時間をとって、どっぷりと話をしてもらって良かったんだろうかと心配になるくらいだった。
あれも、もしかしたら、自分のやっていることを、F氏に「面白い」と思ってもらえたという事なのかもしれない。
そう考えると、ちょっとだけ自分のやっていること自信がついてきた。
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こんなブログもあった。
そのブログでは、とある学生さんが完全に0から独力で車を作っていた。
材料は普通のSS材の角パイプ。駆動形式はミドシップ。エンジンはヤマハ
(だったかな)。目標はその年のK4GPへの出場。
驚くべきことに、溶接もその時初めてだったらしく、田舎のホムセンでも売ってる100Vの半自動を使って作っていた。
最終的に車両はなんとか走れる所まで完成し、レースでは無事完走を果たしていた。
そのブログを読んで衝撃的だったことは、やっぱりまず何歳も年下の学生さんが、いきなり一人で0から作ってしまった事。しかも溶接経験も0からの出発。
そんな人が、どうやったら僅か数ヶ月でレースカーを1台作れるんだと驚愕した。だけど、モチベーションの向上にはこれ以上ないほどの効果覿面だった。
「彼がやれるんだったら、きっと自分にも!」そう思わずにはいられなかった。毎週の更新がひたすら楽しみだった。
後から過去ログ読んで気付いたんだけど、その学生さんは英国の超有名大学で専門教育を受けた超エリートで、実務経験が無いというだけで、素養の差は月とスッポンだったのだけど、、、
(残念なことに、現在このブログサイトは閉鎖されています)
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FF車両のミッドシップ化って、それなりにディープな車好きなら、理系文系体育会系問わず、一度は妄想にふけるものだと思う。
1万人の車好きがいたら、そのうちの100人くらいが興味があって、さらにそのうちの10人くらいがやってみたいと思う変態予備軍で、さらにそのうちの1人が実際にやり始めるド変態なんじゃないかなと思う。
僕はそんな全国に何人かは確実にいるド変態のうちの一人になった。
でも多分、自分はこのインターネットが無ければ、こんな計画を立てることもなかったし、実際にできなかったと思う。
それほど、ネットの力には助けられている。あらゆる場面で。
そんなネットで僕は今まで、情報に群がるハイエナであった。ただ、他人の情報を貪るばかりで、自分からは発信せず草むらに身を潜める。
それは、なんだかとてもつまらなく思えてきた。
もとより、自分がここまでこれたのは、インターネットの世界に自分のディープな車道楽を公開してくれた、全国の
変態偉大な先人のおかげ。
ならば、これからは自分も、自分なりの車道楽を公開していこうと思う。
願わくば、このド素人の改造計画が
次代に育つ新たな変態の礎とならんことを。