
クルマ作りで、エンジン等々の部品をドナー車から直接外して準備するっていうのは、チキンカレー作りでいったら、鶏肉用意するのに鶏から捌くようなもの。
食品みたいに、スーパーでパックされたエンジンとハーネス一式とか売ってたらいいのに。
そして後年、「最近の子供はパックでしかエンジンを見た事が無い」とかいう道徳観が....
などと、詮無きことを考えながら、今回のエンジンドナー摘出手術を行っていたのですが、19からこの趣味始めて今年で16年目ともなると、色々な事が解ってきたり、それぞれの時代に生まれた幸と不幸なんてのも否応なしに考えたりするようになりました。
主観ではありますが、僕は自動車道楽のハードDIYで、深淵を覗きこむ行為の一つが
異種間エンジンスワッピング
だと思ってます。
エンジンスワップって、自動車ハードDIYの道を歩み始めたホビーユーザーにとって、「一つの到達点」であり「憧れ」ではないでしょうか?
人間って忘却する生き物なので、今出来る事が、未だ出来なかった頃の気持ちや感覚を思い出すのはなかなか難しいと思うのですが、これが教え人に習わずに、無駄に時間をかけて遅々と覚えていくDIYだと、わりと出来なかった頃の気持ちや感覚って鮮明に思い出せるんですよね。
そんな何も出来なかった頃の自分が、よく見ていたWEBサイトがありまして。
そのWEBサイトで当時一番人気だったコンテンツは、自動車解体のパーツで(コンテンツの制作主は解体業)ジェットエンジンを作るっていう企画だったといえば、今30代以上の往年のネトラーな方々は「ああ、あのサイトか」と察しがつくと思うんですが、僕はあのサイトで一番好きだったのは、そんなジェットエンジン制作の話では無く
おばちゃんアルトに、セルボの4気筒ターボぶこちむ話
だったんですよね。
あの話がとても好きだった。
そんなこと、どうやってやるんだろうっていう未知への好奇心や、それによって出来上がる「正規には存在しない」一発ギャグみたいなマシンを、乗り操る事への憧憬。
そういったものが、あのコンテンツにはあったんです。
また、なにより大事だったのは
ちょっとしたスポーツするより、よっぽど安上がりかもしれない
という、金銭的敷居の低さからくる身近な感覚も重要でした。
そういった先人たちへの憧れを抱きながら、自宅での同車種スワップから始まり(同じものを外して、同じものを元に戻すだけの、比較的簡単な作業)、いつのまにか自分も自然と異種間スワップの領域に足を突っ込んでいました。
今から見れば、その昔憧れた「 おばちゃんアルト powered by 4気筒ターボ 」は、ひたすら面倒だけど、それほど難しくはなくて、根気と少しの好奇心さえあれば僕のような頭の良く無い人間でも出来る、簡単な足し算と引き算のようなものであることがわかります。
これは一つのゴールとして、とても丁度良いレベルなんです。
少なくとも、LV1で何も解らない人間でも、そこに到達しようと思えるくらいのレベルであるのです。
しかし、残念ながら今の車のエンジンでは、どうやらそうはならないようなのです。
それがCANってやつです。
今の、安全の為の色々な制御を行っている車は、すべからくCAN制御で動いていて、これらのタイプのエンジンを別の車にスワップしようと思っても、まず諦めてください。
歴戦のプロが手を焼く代物です。僕らのような素人には無理です。
もちろん不可能であはりません。手段がないわけではありません。
しかし、それは「 おばちゃんアルトpowered by 4気筒ターボ 」が体現していた、ビギナーを育てるのに丁度よい難度を遥かに超越しているのです。
(ドナー車の全ハーネス全部品を1つも残さず移設する事の大変さなんて想像するのも嫌だし、素人がちょっと勉強した程度で簡単にMOTEC全制御ができるようになるなら、あんな高額な技術料で需供が成り立つわけがないし)
(この一部界隈ではとても有名なK4GPマシン。紙面にも書いてある制御関係のトラブルの原因、あの老舗マッドハウスの知見をもってしても難儀したのがiで採用されていたエンジンのCAN制御だったと聞く・・・)
その結果、今僕らのようなプライベーターが弄って遊ぶのは、ほとんどがCANが使われていない世代のエンジン系ばかりになっていてもおかしくありません。
しかし、そういった車は新車ではもうありませんので、市場にあるパイの数はもう増えません。
そうなってくると、市場に残っている”遊ぶのに美味しいパイ”はどんどん採掘されてゆき、やがて枯渇してゆくでしょう。
もちろん、まだまだ遊べる資源は沢山残っているのですが、それは”残っている”のであって”溢れている”のではないのです。
そうすると、おのずと二束三文で手に入ったりはしなくなってゆきます。
最近、久しぶりに富士重工の軽自動車の中古部品をヤフオクで調べて、その数が激減している事を感じました。
有るにはあるんです。でも「捨て値」が無い。
僕が学生から社会人1~2年目くらいの頃は、そういった”遊ぶのに美味しいパイ”が捨て値でゴロゴロしてました。
今も捨て値でゴロゴロしてる部品はありますが、それらはもっと高年式の”遊ぶには不味いパイ”なんですよね。
”遊ぶのに美味しいパイ”は、もう捨て値では手に入りません。捨て値が出るほど数があふれてないんです。
ある時代に生まれた人間が、前の時代に生まれた事や、後の時代に生まれる事より幸か不幸かは本人が決める事であって、他人がとやかく言うものではないのだけど。
今の自分がもっている車趣味の価値観において、これから免許を取り始める”未来の車趣味人”にとっておそらく、「 おばちゃんアルトpowered by 4気筒ターボ 」というホビーはリアルではなく歴史になるのだと思うと、ジェネレーションギャップと応対した時の寂寥感に似た気持ちを抱く事を否めない。
異種間エンジンスワップという深淵を覗きたければ、ついこの間の平成まではその辺の野原でよ~く目を凝らせば、野生の深淵がいくらでも見つかったのに、令和のこれからは、人の手で深淵が放流された管理区画にお金を払って入って覗くか、手にコントローラーを握って画面の中の深淵を覗くしかなくなるのかもしれない。
今はまだ野生の深淵は絶滅していないけど、近い将来絶滅してしまうのだろう。
令和には令和の幸せと楽しさが必ずあるのだろうけど
自分は平成の世に、このような道楽遊びが出来て幸せだった。
地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれた我々だが、素人でも車を好きに弄って遊べる時代に立ち会うことができた。
生きるとはなんと素晴らしきか
Posted at 2019/06/10 00:33:19 | |
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