五木寛之100寺巡礼の寺を廻っていることは前にも書いています。その中の吉崎御坊がはっきり分かりませんでした。Wikiで調べると、遺跡と出ます。遺跡に仏像があるわけないし、五木さんはどこに参拝したんだろう?と思ってました。
ひょんなことから、ネットで現在の吉崎御坊のことを見つけました。吉前御坊のオリジナルは浄土真宗の中興の祖である蓮如が開くが、やがてそれは朝倉によって焼失され、現在は吉前西別院、東別院、願慶寺、吉前寺の四山がその流れになると。
100寺巡礼のネットページの吉崎御坊訪問の写真を見ると、西、東別院の門になっていますので、この四山を廻ればいいかなあと確信を得ました。
6月中旬からカミさんは白内障のオペを受けていて、そのためパートの仕事は長期の休みにしていますので、まあいつでも福井遠征はできるし、天気のいい時を狙って行くかと決めました。
車ですが、レガシィBEはもうレカロ、純正マッキンの外部入力装置、フロントストラットバー、アーシング等を外してしまていますし、ナビが古く信用できません。
なので、今回はC5で行きます。
6/24は晴れなので、この日に決定。AM5:00前に家を出てすき家で朝食の予定を立てていましたが、イマイチ食欲がなく、セブンでパンを買って車内で食べながらの道中です。
本願寺(西、東)は、教義でご朱印は無いことになっています。本山の西、東 本願寺は共にただのスタンプ(参拝記念)があるだけです(笑)
でもこのご朱印収入はバカにならないと考えた地方の浄土真宗(以下真宗)の寺は、ご朱印とは言えないから、参拝記念としてご朱印のようなものを書いてくれる寺があります(お金がかかります)。
事前に西、東別院に電話しますと、東は予定通りの対応で一切なし。西は当日お話をした都合で考えますとのことでした。
開門時間は両別院ともAM8:30ですが、西は掃除は7:00からしてるから、多少待ってもらえれば早くてもいいとのことでしたので、まずは西からと。駐車場は共同のものです。
名神を大垣ICでのり、北陸道を丸岡ICで降りるつもりでしたが、順調すぎて早着になりそうだったので、福井北でおりました。
朝の通勤時間帯なのでしょうか、8号が混んでいるので、早々に8号を離れてあわら市役所方面に進みます。
8:00前に駐車場について、そこから正式名称 本願寺吉崎別院(西別院)に。
電話してあった住職は偶然寺務所前にいらっしゃいました。”すぐに開けますから本堂に行ってください”と。
本堂でお参りした後、ゆっくりと住職とお話しました。
実は、我が家は東系の寺の檀家ですが、この寺の住職は弟の同級生でして、大した仏教知識もなく、”僕はM君(弟のこと)のように頭が良くなかったし、家が寺なので大谷大学です”と前に言いやがったのです。
檀家になっている寺はこの弟の同級生の元々の実家ではなく、お家騒動で跡継ぎが無くなり、本山(東本願寺)の意向でこの弟の同級生が住職に来たという経緯です。
そんないい加減な奴なので、今はほぼ我が家に来ていません(笑)
そんなバカな奴に、真宗の教義を聞いてもダメだろうと聞いてもいません。また本山の両寺にも行きましたが、ゆっくり話を聞けるはずもなく、ほぼ真宗の知識ゼロの状態です。つまり真宗の知識は、”南無阿弥陀仏を唱えさえすれば浄土に行ける”と言うことだけでした。
そのような私の知識環境なので今回色々お聞きすることができました。
まずは、吉崎御坊とは、
住職(以下住)
15世紀に蓮如が延暦寺の迫害から逃れるように吉崎に寺を立てたのが御坊の始まりです。そこで蓮如は多くの信者を集めることなります。その後、蓮如は吉前を退去して大阪に出ます。
蓮如の退去後、寺は焼失しそのまま廃寺となります、18世紀には本願寺は西、東に分かれており、それぞれが別院を立てます。それが今に繋がっています。
色々お話を聞いて、私の最大の疑問をお聞きしました。
(私)
真宗は、”南無阿弥陀仏だけ唱えれば浄土に行ける”となっていますが、それは他宗派は修行をし、お経をあげるなど、厳しい環境の中で修練しているのに、何もせずにただ南無阿弥陀仏だけでいいて言うのは掟破りの典型で、他宗派からの攻撃は無かったのですか?
(住)
それはあったと思います。法然、親鸞は島流しです。ただ、教義と言うより、経済的な問題が引き金でないでしょうか。つまり営業権侵害。信者が流れてしまい、今までのような収入が得られなくなったと言うことです。
なるほどね。そう考えた方が分かりやすいですね。
(住)
他教、他宗派は総じて、請求書の宗教と言われます。つまり、・・・をお願いしますと祈ります。でも真宗は領収書の宗教と言われます。つまり、仏はいつも私たちを見守ってくれてます。だから、いつも見守っていただいてありがとうございますと言うことで、いただいた事にお礼を言う(領収書を出す)という事です。仏に手を合わせる時には、お願いでなく、お礼を言うと言う事です。
(私)
南無阿弥陀仏はありがとうと言う事なんですね。
(住)
まあそう思っていただいていいでしょうね。
真宗が広がっていく理由はここにるのですね。読み書きができない農民に漢字ばっかの経典見せたところで読めるわけがなく、小難しいこと言っても理解できない。
そんな中で、”仏はいつもあなたを見守っている。だから手を合わせ、南無阿弥陀佛と唱えればあなたは極楽に行ける”と言われりゃクラッと来ますよね。今なら典型的な信仰宗教扱いでしょうけど。
このような会話を40分以上していました。
上記のようなこと書いていますが、大変参考になるお話を聞けました。
住職から、”参拝記念印は書いておきますからその間にお山に行ってみてください。そこが御坊があった場所です”言っていただいたのでお山上りに出ました。
願慶寺方面に歩きます。
看板が。
階段を上ります。

到着です。
寺に戻って参拝記念印をいただいて、寺を出ました。
西別院のもう一つの門です。
東別院へ。
正式名称 真宗大谷派吉前別院 です。


本殿です。
今回は、願慶寺、吉前寺は参拝できませんでした。まあ、FTPの会場は近くですから、次のFTPついでで行ってもいいしです。
Yahooニュースで、西別院の経済状況が悪いと西本願寺が発表している記事がありました。このみんカラを見ていらっしゃる方はFTPにもご興味があると思いますので、FTPに行かれましたら吉前御坊に寄られるのもアリかと思います。
その2に続く