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ロンバードのブログ一覧

2025年10月10日 イイね!

私のミャンマー 25(2003年)


前回から少し時間が空いてしまいました(汗)。前の投稿はこのブログページの右の所にあるブログカテゴリーの下の方に”ミャンマー”とありますから、そこをクリックしていただければミャンマーの投稿になります。

24からの続きです。

日立製のMRIの寄贈計画が具体化して前年からミャンマーの保健省(以下MOH)と交渉を重ね、設置場所がサンピア総合病院(以下SGH)に決まって設置の場所(部屋)の基礎工事も進むことになりました。

D会側も日立の協力も得られ、MRIのオーバーホール、予想される故障に対しての補修部品の調達、シールドルーム(MRIは磁力を使うので、一般的な放射線機材の部屋と違います。磁界に影響を与えないようにノイズの侵入を遮断した部屋です)の建設機材等の調達を日立さんにお願いして、そのシッピングの手続きもとってもらいました、

もう20年以上も前のことでなので、この寄贈、設置、ミャンマーでの儀式とばっくりは覚えていますが、出張報告を見て詳細を思い出しています(汗)。

この2003年2月の出張は、SRの建設→MRIの搬入、設置→試運転、引き渡しの後、MRI寄贈式典、大臣との夕食会の予定です。文字にすると普通の事をやってるとなりますが、そこはミャンマー!。やってみないと分かりません。結果は現場合わせの連続でした(笑)。

寄贈式典、夕食会にはD会のM副院長、M放射線技師、S事務員が遅れての来緬になりますので、彼らも到着前に色々なセッティングです。

シールドルーム(以下 SR)の建設、MRIの設置については日立からNさんが責任者で来ていただいているし、前項で書きました日立のエンジニアのミッキーさんがいるので、現場はほぼお任せです。私はMOHとの折衝でD会スタッフの来緬後のスケデュールの作成です。なんで事前に決めとかないのかとなると思いますが、そこはミャンマーです(汗)。

MOHの海外からの窓口となるInternational Health Division(以下IHD)のペー課長との面談では、まずは大臣との夕食会のお願いをします。当然、日本にいる時からFAXでやり取りしてましたが、ヤンゴンに着いてからも同じでそんな先のことはまだ決められないからのスタートでした。

そこで大きなことが起こりました!大臣解任です

この頃のミャンマーの常で、ミャンマーの一番のタンシェSPDC議長(国家発展評議会)とマン エイSPDC副議長が決めていたと思います。

私にとっての1番のラッキーは、当時のMOH副大臣のチョウミンさんが大臣になられたということです。以前にも、そしてこれからも書くと思いますが、このチョウミンさんにお会いできたことが私のミャンマーでの活動に大変大きなことで、ミャンマーで遭遇する色々な困難を助けていただきました!

この当時のミャンマーMOHには5つの局があり、その5人の局長の内2人は私がチョウミンさんが以前から私を可愛がっていただいていることをご存じですので、チョウミンさんが大臣になられてからは色々なことがスムーズに進みました。

しかしながら、大臣のスケデュールは交代後も以前のスケデュールのままで、D会の一行のミャンマーでの滞在中には夕食会の時間が取れずに、大臣以外の局長、関係者で行うことにしました。

ミャンマー保健計画局のチーソー局長は5人の局長の中で私が一番フランクに話せる人なので、今回の訪緬の予定等を話をしました。寄贈式典についてはこちらからオファーするものではないので、MOHの出方を見ていたのですが、チーソーさんからは”あなたは新大臣と懇意だからぜひ寄贈式典をしなさい”と言われました。ならばと、ペー課長と相談です。

やはり新大臣(以下大臣)の予定が詰まっていましたが、一行(私を含めて)の帰国日にセットできることになりました。

一行のミャンマー滞在中には、SGH、ヤンゴン総合病院(以下YGH)、新ヤンゴン総合病院(以下NYGH)、ヤンゴン第一医科大学(以下UM1)の見学を考えていましたので、それぞれの院長に会って訪問、面会の了解を得ました。この当時は(今でもかもしれませんが)それぞれへに訪問にはMOHの許可が入ります。それはペー課長に許可をいただいていました。

ということでSGHでのSRの建設です。日本から3人のSR専門の大工さんに来ていただいていました。

まずはコンクリートの壁の穴あけと床の補強を事前にミャンマー側で行ってもらった部屋です。





資材を港から設置病院であるSGTに入れるところです。





そして、大工さんによるSRの建設です。現場では蚊が多いので、そこらじゅうに蚊取り線香を設置です(笑)。









上述のようにSRは電波とかノイズが入ることを防ぐ部屋ですから、銅板で覆って覆っていきます。銅板のつなぎはハンダで行います。







床が貼り終わり壁の施工に問題がない時点で重い重いガントリーの搬入です。











ご覧のように人夫の方々はズボンでなくロンジーという巻きスカートのような物を履いていて、安全靴、ヘルメットは無しです。当時のミャンマースタンダードです。

天井を仕上げます。



MRIの配線を入れる溝です。



操作室です。



SGTの病室含めて他の部屋とはグレードが一桁違う部屋になりました(笑)。
ミャンマーの病院で患者が入るところにエアコンもあります。

この建設中にD会のスタッフがヤンゴンに到着しました。その一行との同行記は26にて。

26に続く





Posted at 2025/10/10 08:01:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミャンマー | 日記

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ロンバードです。 (2017年2月22日にニックネーム変更しました) 前に1988年CX GTI SeriⅡに乗っていました。黒のVISA GTも所有し...
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