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ロンバードのブログ一覧

2024年06月28日 イイね!

私のミャンマー 9

8からの続き

1998年の1回目訪緬から帰国すると、ミャンマー大使館から、ミャンマーのSPDC(国家平和発展評議会)議長オフィスと国家投資委員会秘書の大臣という肩書きのMaung Maung 准将という方がA病院を訪問すると連絡がありました。大使も同行し、もう一人 防衛省の先楽的研究オフィスのHla Min 中佐(Deputy Head )も同行するということでした。

A病院の理事長(以下 理事長)ともずっと話していたことなんですが、ミャンマーというと、軍事政権でアウン・サン・スー・チーをいじめているヒドイ国となっていますから、人道支援でも軍とはある程度は距離をおこうと考えていました。

でも、この軍事政権の時代は、軍人が兼務で政府にいます。なので、軍人を避けて進めることが難しい所まで来たということです。

ミャンマーで覚えた軍の階級の英語表記を

Senior General  上級大将
General 大将
Lieutenant General 中将 Lt.で表記されることが多い
Major General 少将
Brigadier General 准将 Brig.と表記されることが多い
Colonel 大佐
Lieutenant Colonel 中佐 Lt.で表記されることが多い
Major 少佐
Captain 大尉

中尉以下は多分会ってなくて。ミャンマー式の英語の表記は知りません(汗)。

ミャンマー語を英語にしたときの発音ですが、Hは黙字になります。なので、Hlaはフラと書くマスコミは多いですが、私はラだけです。Hla Minはラミンと発音してました。
現在のミャンマー政権のトップをミン・アウン・フラインとマスコミは表記しますが、私的にはミン・アウン・ラインです。
また、チュ、チョはChu、Choの表記はまずなく、Kyu、Kyawになります。

そのMaung Maung准将さんと Hla Min大佐がA病院視察にいらっしゃいました。

理事長とMaung Maung准将



大使とHla Min大佐



Maung Maung准将と大使



大使も名刺には軍の階級は書いてありませんが、元は軍人ですから。

後から分かったのですが、このHla Min大佐はキンニュン氏の側近でした。その後、ヤンゴンの彼のオフィスを訪問するのですが、さすが軍ですね。めっちゃ警備が厳重で、入り口で一通りの儀式を済まして彼の部屋に。するとカメラマンがやたらと私の写真を撮ります。彼と話をしてる時も写真を撮られました。当時の軍のセキュリティーですね。
そこでは、寄贈式典、寄贈パーティへの参加のお願いが主でした。
また、困ったことがあったら言ってこいとも。なんせミャンマーですから、めっちゃ心強い人ができたらと思ったのですが、その後のキンニュン氏の逮捕、失脚で彼も捉えられたとの情報がありました。残念なことでした。

1998年11月に寄贈式典、寄贈パーティの準備、開催のために本体とは別に出発しました。いつものことですが、一人でです。

早速出来上がった招待状を前の訪緬時にお会いしてM商社のS所長に所に持参して、芙蓉グループへの配布、声かけをお願いします。



私は、日本人会名簿に沿って、在ミャンマー駐在員事務所を回って招待状を配りました。

その後、保健省からは私個人宛に寄贈式典の招待状が。まさに保健省主催ってことです。



寄贈式典、寄贈パーティは10にて。
Posted at 2024/06/28 09:02:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミャンマー | 日記
2024年06月28日 イイね!

私のミャンマー 8

7からの続き

寄贈の計画進行と同時に、東京のミャンマー大使館で前述のMさんの計らいで大使にお会いできることになりました。Mさんの提案で、大使を愛知県のA病院に招待して病院を見てもらって、それを地元紙に取材させたらどうかと。

大使にお会いして、その旨を伝えます。快諾が得られて、大使の病院訪問になりました。



そこで大使から驚く提案が。
大使は“ヤンゴンでの寄贈品にキンキュン第一書記を呼んだらどうだろうか。私はキンニュン第一書記(S1)の子分だから、段取りはしますよ”と。もうびっくりです。その後、ヤンゴンで駐在員の方々に寄贈パーティーへの招待状を配りますが、その時に“キンニュンとかの大物がくるとなると、時間が変わりまくって大変だよ”と言われました。結果的にキンニュン氏は参加してくれましたが、言われたように時間変更は数回ありました。

キンニュン氏は同時のナンバー3で、ナンバー1のタンシェ氏が首相を務めていましたが、その後キンニュン氏が第一書記から首相になります。これはタンシェ氏がアセアンとかの国際会議等に参加するたびに民主化について意見されるのを嫌って代わったという憶測も流れていました。

大使のA病院訪問後、1998年10月に私はこの寄贈式典、パーティの打ち合わせにヤンゴンに行きました。ここで初めて海外の窓口のInternational Health Division(以後IHD)のDr.Ohn Kyawと会います。日本的に言えば、課長待遇であったと思います。日本のミャンマー大使館からは連絡が行っていますので、ここではほぼ問題無しでした。

ここで、私の勘違いがありました。単純にDonnation Ceremony(寄贈式典)と表現してキンニュン第一書記に参加していただいてそのままパーティーと思っていましたが、式典とパーティは別物で、式典の主催者はミャンマー側、パーティの主催者はA病院ということがミャンマー側の意向でした。つまり、キンニュン第一書記は式典の参加だけで、パーティには不参加になるだろうというものでした。

そして1番の問題になったのはその日程、時間です。10月で11月の話をしているのに、まだFIXできないと。まあ、聞いていたミャンマーってことですね。
また、National Health Commiteeという組織がありました。キンニュン第一書記が議長で、保健大臣、運輸大臣、情報大臣とかの大臣がメンバーでミャンマーの保健を考える会ということでしょうか。なので、そのメンバーも式典に参加するとのことに。もう全くの無経験の私には好きにしてくれ状態でした。

日本人をどうするかについては、お世話になっているN社のヤンゴン事務所のY所長に相談すると、今後A病院がミャンマーでどうしていくかで決めることと思います。ヤンゴンで駐在員事務所をオープンする時は、ヤンゴン在住に企業にはほぼ全て声かけしますが、A病院の場合はそこまでは必要ないのではとのことでした。

この時はすでに日航ホテル・ヤンゴン(以下日航ホテル)は開業していて、私はそこに宿泊していました。海外的には総支配人(GM)は白人の方がいいだろうというお考えで、GMは西洋人でした。日本人のトップはK営業部長となっていました。幸い、そのK氏が大変よく私のサポートしていただけで、パーティのについて教えていただきました。K氏によると日航ホテルには弁慶という日本食レストランがあり、日本人の板前がいるので、パーティ食には寿司が出て日本人駐在員には好評とか。
また案内状の雛形もいただき帰国して印刷することになります。

本来は会員以外には渡してはならない日本人会名簿もなぜか私の手元にありました(笑)。それによって企業訪問しました。M商社のS所長を訪問し、11月にドネーションパーティをしますので、ご参加くださいとお願いすると快諾していただき、なおかつ”招待状があるなら芙蓉グループの会合で配ってあげるから、出来上がったら届けてください”と言っていただきました。
当時のミャンマーはさほど日本からの来客も少なかったんでしょうね。私は”こんなころによく来たね”というみなさんに互助のお気持ちがあったと思います。テインセイン氏が大統領になってさあこれからはミャンマーの時代だとなった2011年の日本企業のミャンマー詣も知る身には、この民主化前のミャンマーはいい時期でした。

この1998年の一回目の方面にて、在ミャンマー日本大使館の書記官から紹介された歯科クリニックを開設準備中という新潟から来られているS歯科医師に会いました。Sさんは日本でミャンマー政府に顔がきくというミャンマー人の誘いで、日本の歯科クリニックをたたんで機材をすでにヤンゴンに運びマンションの一室に設置を完了されていました。今は許可待ちとのことでした。Sさんは本当に素晴らしい方でした。11月の我々のパーティにはぜひ出席してくださいとお願いしました。快諾を得ました。
お互いにこの国の役にててるように頑張りましょうといい、11月の再会を約束しました。

9に続く
Posted at 2024/06/28 07:22:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミャンマー | 日記
2024年06月24日 イイね!

私のミャンマー 7

5月〜6月と車の行事、一年前からの旅行計画等がっやっと一段落しましたので、ミャンマー記を再開します。

6からの続きです。

1998年にA病院初めてのミャンマーへの医療機材の寄贈がスタートしました。

東京のミャンマー大使館にはその機材のリストを送り、ミャンマー側が日本→ミャンマーの船代を持っていただくことで話を進めます。

こちらは、機材の梱包、港までの移送をどうするか?を考えました。どう調べたかは思い出せませんが、ミャンマーの船会社はファイブスターラインという国営企業のようで、ミャンマーから胡麻とかを定期的に名古屋港来ていることを知ります。そのファイブスターラインとの取引のある海運会社を知りましたので、そことの交渉から入ります。

A病院からその会社までトラックで運んで梱包し、港に運び通関手続きを経て船積みになります。この時は、ベットと病理の細かい機器だったので、後々問題となるCOCOM抵触はかなったので通関は楽だった覚えです。

ここまでは、まあ事務手続きみたいなもので、教えてもらって進めることができました。

問題は現地での式典をどうするかです。ここまではミャンマーでの動きでお世話になったN社の方も寄贈の式典についてはご経験はなく、色々な方のご意見を聞きました。
最終的には前述のM事務所のMさんのご意見に従って、寄贈式典、寄贈パーティーを行うことに。

今までは在日のミャンマー大使館だけが私の窓口でしたが、これからはミャンマーの保健省との交渉になります。どうやって窓口になるIHD(International Health Division)にたどり着いたかも忘れましたが、多分在日ミャンマー大使館からだったと思います。

そこで、Director Dr.Ohn Kyawにお会いしました。一連の経緯を説明して、寄贈式典、寄贈パーティーをしたいことをお願いしました。多少の紆余曲折はありましたが、少しずつ進んでいきました。

この時点では、まだ私は保健省の組織を知りませんでした。いろいろ教えていただいて、下記の事を知りました。

保健省には5つの局とそれに属さない1つの課がある。

Dept. of Health
Dept. of Medical Science
Dept. of Medical Research
Dept. of Medical Planning
Dept. of Traditional Medicine
International Health Division

この上に大臣、副大臣です。

今後は、このInternational Health Divisionとの付き合いが始まります。

8に続く
Posted at 2024/06/24 07:54:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミャンマー | 日記
2024年06月22日 イイね!

スキーシーズンの予約取り Day 2


朝食は7:30からですが、いつものように早朝に目が覚めます。

朝、ホテル周りをぶらぶらして。



朝食は珍しく洋食にしました。和食にするとビールが飲みたくなるので・・・・。

原則、バッフェですが、卵料理とトーストは別オーダーで。イタリアンも久ぶりなら、English Breakfastもど久しぶりで。豆はないですが、嫌いなので問題なし。



この日の客は私のように予約取りはほとんどいなかったと思います。バスでのグループとか、新幹線での個人とか。以前は旅行社には出してなかったんですが、経営がスポーツウェアーのフェニックスから、そのフェニックスの創業者の田島家になってからは旅行社に出してますね。前にはクラブツーリズムのバスもいましたし。

なので、以前は夕食時、朝食時にこのホテルの主だという顔した人間が多かったんですが、この日はそんな輩はいませんでした。私たちが一番大きな顔してたかな(汗)。

ここに来る数日前にTVドラマの浅見光彦シリーズ(はちまん)で更埴市の武水別神社をやっていたんで、早速行くことで計画インです。

先ずは象山神社へ。



象山と真田家八代目



ここでまた己のバカを思い知らされます。佐久間象山は勝海舟と共に称される人とくらいの認識ですが、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬は象山の弟子なんですね(汗)。この私の知識のBrush Up(錆び取り)ができて良かったです。

勝海舟と龍馬



象山が吉田松陰の渡航未遂で幽閉されたと言う高義亭







神社のトイ面にはこんな人の屋敷が。



次のそのロケ地の若水別神社へ。ここは大きな神社でした。

拝殿



本殿



摂社、末社



鳥居から



で、一枚



国道18号側ですから国道19号側にでないと帰れませんから、聖高原経由で明科を目指します。姨捨駅の上部にあたる所に展望台がありました。
見える景色は上信越道の姨捨SAから見える景色と同じと思います。

善光寺平



飯綱山



菅平



展望台からは、明科ー田沢で梓川SAの横を抜けて山形村ー洗馬と通って国道19号で帰宅しました。

今回の燃費は高速をほとんど使わずに山上り3回が効いたのか16Km/Lには届きませんでした。
2024年06月18日 イイね!

スキーシーズンの予約取り Day 1


以前は、奥志賀のグランフェニックスと言うリゾートホテルに宿泊して、その年のスキーシーズンを終えるとしてました。

でも、定年になり年金生活になってはその出費も大負荷になり、それ以降はその儀式は途絶えていました。一昨年に従兄弟が奥志賀に宿泊すると連絡があってこのグランフェニックスを推奨しました。推奨した以上、我々も行かねばとかなり無理をして同じ時に宿泊しました(汗)。で、昨年は我が夫婦のルビー婚なので、また経済的大無理をして宿泊しました。その時のホテルのもてなしにあらためて大変感激しました。

元々はイタリアンが好きなので、それなりに下界でも出かけていましたが、何回も書いていますように直腸腫瘍オペの後遺症での排便障害があって、電車で食事に出かける気も無くなって、最近は家から外食だけに出ることは無くなりました。奥様のスーパーイタリアンに満足してました。

そんな夫婦にとって、グランフェニックスでのちゃんとしたイタリアンは大変貴重な機会だと再認識し、定年前のようにスキーシーズンの予約を取りにグランフェニックに宿泊してきました。

6月は閑散期で安くなり、私は貧乏人シーズンと言っています。通常のスキーシーズンの予約は9月からですが、宿泊者は6月でも取れるので。

と言うことで、チェックインは建前では16:00なので、まずは戸隠で蕎麦を。いつもの蕎麦屋さんは夏場は10:30からなので、家をAM 4:45に出発して、小牧ー小牧東だけは高速で、あとは下道で小川村ー鬼無里で。今回は冬場のスバルS4でなくシトロエンC5なので、最後は県道で上りました。

残念ながら10:30には間に合いませんでしたが、10:45に到着です。





まだ店にはお客は無し。なので、奥さんとは先々週の東北の旅で、出羽三山、湯殿山の報告を。この蕎麦屋さんの本家は神職でもあるので、この神社仏閣の話はよくわかっていただけます。

食事後は、第二の氏神様の戸隠神社 中社の参拝を。



この日は、小布施の岩松院の参拝も予定していましたが、雨降ってるしで、ながの東急百貨店で覚えた櫻井甘精堂のモンブランを食べたくなって、櫻井甘精堂の本店へ変更です。



本店にはモンブランはなく・・・・。近くの栗の木テラスと言う櫻井甘精堂直営の喫茶店にあると。

ありました。ついでに栗絡みのシュークリームも買って。賞味期限はこの日の内ですが、帰ってから食べました。



グランフェニックスには15:00には着きました。





着いた時は雨はほぼほぼあがってました。16:00前ですが、部屋にも入れて、遅めの昼食というかビールを。山には雲が。



スキーシーズンは、それなりに人がいますが、この貧乏人シーズンは人が少ないのでゆっくり写真を撮りました。







裏の入り口です。スキーから戻る時はここから入ります。



夕食です。

スキーシーズンは少しでも出費を抑える目的でアラカルトで食べることが多いのですが、この日は一休の予約で8%オフになったこともあり、一泊二食で夕食はコースになります。



ワインはこの冬に飲んで美味かったドルチェット・ドリアーニで。



アンティパストは冬はワゴンでチョイスですが、貧乏人シーズンは最初から皿に盛ってでます(写真なし)

パンはです。



パスタ







ナイフですが、左が魚用、右が肉用。肉用の方が小さかった。メーカーも違っていました。



肉は塩胡椒だけの和牛のステーキ。美味かった!

味ついては、基本的に大満足でした。ただなあ、魚、ステーキは小さくなっています。コースのステーキは60gとか。せめて100gにしてほしいなあ。

デザートもコースなので、ついています。これはいつのもように、バーラウンで食べます。





デザート後には余市をロックで。



バーテンダーの方はそれなりにこのホテルの在職期間があるので、いろいろ最近のホテル事情についてお話しを。

この日はこれで寝ました。

プロフィール

「[整備] #C5セダン 燃料フィルター交換 4回目 https://minkara.carview.co.jp/userid/1377780/car/2453316/8206303/note.aspx
何シテル?   04/28 08:16
ロンバードです。 (2017年2月22日にニックネーム変更しました) 前に1988年CX GTI SeriⅡに乗っていました。黒のVISA GTも所有し...
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